その35

 翌日の朝、副店長と腹を割って話をした。


 不満な点は小さいものから大きいものまで色々と噴出したけど、結局のところ最も嫌がっていたのは労働時間が増えていることだった。家族に割く時間が浸食されていることが耐え難いらしい。そこで話し合った結果、副店長の勤務日数を月二日、減らすことにした。代わりにもう一人の調理師である於史さんが働いてくれることになった。於史さんは反対に勤務日数を増やしたかったらしいので、うまく調整できた形だ。そして閉店後に帰りが遅くなりがちだった課題については、バイトの僕と西恋寺さんも協力して、三〇分は早く帰宅できるように頑張ろうという目標を立てた。値上げをして以降、客足はやや落ち着いているにも関わらず帰宅時間だけは変わっていない状態だった。こういった取り組みは、みなで本気で実施しないと案外、達成できないものらしい。話し合いを通して、みなの意識が変わるきっかけにもなった。


 於史さんの勤務日数が増えるので、支払うバイト代も増える。電卓を叩いてみると月二万八千円程度の増加だった。新しい人を見つけて仕事を覚えてもらうよりは、安上がりで良い。とんかつあぁやのような小さなお店だと一人辞めるだけでも大きな損失に繋がる。それが古株の人間だったらなおさらだ。人の管理って大変なんだな、と僕は身に染みて感じた。



 副店長が辞めそう騒動が落ち着きを見せ、しばらくは平和な日が続いた。

 リニューアルしたチラシを配ったり、西恋寺さんがSNSの更新を頑張ったりして、値上げ前の水準にまで客足が戻ってきた。決算書の分析を通して、僕は利益率の重要性に気付いた。単価が低いと、いくらお客さんを呼び込んで行列ができたとしても利益なんて微々たるものだ。客足だけを無理に伸ばせば、今度は人手が足りなくなるし、労働時間も増えて人件費がかさむ。なにより忙しくて床掃除だってまともに取り組めない。店員の態度も悪化し、お店全体の質が下がってしまう。そして客離れが起こる。これだと本末転倒なのだ。一方で思い切って単価を上げて、利益率を高めることに成功すれば、そもそも行列なんて無理に作らなくても良い。適度に席が埋まり、適度な忙しさでしっかりとした接客を行う方が、お店のイメージ向上に繋がる。お店のとんかつは確かに美味しいし、自信があるけど、お客さんのレビューを見る限り、味だけで評価が下されてはいなかった。他に、西恋寺さんの愛想のよい接客と、レトロな雰囲気がウケていた。


 その日、僕はたまたま早起きしたので、リビングでラジオ体操をしていた。たまには身体を動かそうと思い立ったからだ。朝の運動は健康にも精神にも良いらしい。


 液晶テレビにYouTube動画を映して、画面の向こう側の人たちと同じ動きをする。十一月も終わりが近づき、週明けには簿記試験の合格発表が控えている。僕は少しずつ高まってくる緊張感を振り払うように仕事と勉強に精を出していた。このラジオ体操もそんな緊張を紛らわせるための活動の一環なのだ。

 仕事に向かう前の姉がリビングに入ってきて、不審者を発見したような目でこちらを見てくる。ラジオ体操第二をしている最中だった。


 姉はなにか言い出そうと口を開いたかと思うと、結局はなにも触れずに、リビングを黙って立ち去った。ちょっと恥ずかしいので、なにかしら声を掛けて欲しかった。シュールな空気が漂ってしまったじゃないか。


 すると、久しぶりに西恋寺さんからビデオ通話があった。

 机の上に置いてあるスマートフォンが、ぶるぶると震え出す。


「なんか、きたっぽいぞ」


 僕がつぶやいて身構えた。このパターンは三度目だ。差し迫った時だけ西恋寺さんからビデオ通話がある。それも朝にくることが経験上、分かっていた。


 僕は画面をタップして、通話に出た。


「はい、九っちです。なんか問題あった?」

「九くんどうしよ」

「うん。分かってる。今度はなにがあったの?」

「明後日に家賃の引き落としがあるんだけど、銀行にお金がないの」

「お金がない?」

「このままじゃ家賃が引き落とされない」

「ええっ? 先週もらった月次資料には現金まだ余裕あったよ」

「五十嵐さんから連絡があって足りないって言われて。お金がどんどん減ってるみたいなの」

「そんなばかな」


 理解が追いつかなかった。僕は自分の部屋に戻って、先月の月次決算書を印刷しておいた紙を確かめてみた。貸借対照表に記載されている現金預金は一六八万三五〇〇円。まだ余裕がある。そしてデータで管理している週間の利益も大きな赤字でも何でもない。むしろちょっと黒字になっている。来月からお金が増えてきても不思議ではないと思っていたくらいだけど。


「とりあえず、今からお店に行くよ」

「分かった。私じゃあ五十嵐さんに連絡してビデオチャット来られるか聞いてみるね」

「お願い。じゃあ後で」

「はーい」


 通話を切って、僕は急いで着替えた。そしてお店へと走って向かった。

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