その38

 M銀行の支店窓口前で待つこと十分。自動ドアが開いて、中から西恋寺さんが出てきた。


「どうだった?」

「それがさ、上限があったの……。五〇万だけ移した。ほら」


 紙の明細に五〇万円預け入れと記載されていた。西恋寺ママから受け取った個人用のキャッシュカードだと一日に五〇万円までしか引き出せないらしい。引き出した五〇万円は同じM銀行の法人用キャッシュカードに預け入れた。銀行専用ATMでやらないと手数料がかかるので、ここまで足を運んだと言うのに。


「二八〇万は一気に引き出せないんだ」

「ATMじゃだめ見たい。あと、お母さんの本人確認いるみたいだよ」

「とりあえず明後日の家賃はこれで足りる」

「そうだよね。月末のお給料までに残り入れる形でいい?」

「うん。それだと助かる」

「分かった。じゃあお母さん連れて移すようにする」

「助かるよ」

「ほんとごめんね、私のせいで」

「僕の方こそ、もっと早く言えば良かった。残高がこんなに減るとは思ってなくて」


 僕が謝った。資金繰りについては正直、あまり把握できていなかった。というか軽視していた。請求書の支払いについては五十嵐さんがやってくれるから、僕は銀行口座の残高を日々確かめてはいなかったのだ。月次決算書にある「現金預金勘定」を月に一回把握していだだけで、それだとリアルタイムに資金の動きを捉えることはできない。損益計算書や貸借対照表はあくまで損益についての情報でしかない。損益とキャッシュは違っていて、キャッシュベースで情報を得るにはキャッシュフロー計算書という会計書類が別に存在している。ただ中小企業だとこのキャッシュフロー計算書の作成は行われることはほとんどないらしい。仮にキャッシュフロー計算書があっても、過去に資金が動いたという情報でしかないため、これからの引き落としの予定まではそこで管理することはできない。結局のところ、僕が未来の引き落とし予定までを含めた資金繰り表をスプレッドシートで作成し、管理して置かなければ行けなかったのだ。それなのに僕は損益ベースでひどい赤字じゃないから大丈夫だろうと、高をくくっていたのだから、完全に僕の考えが甘かった。


「もっとうまく管理できてれば良かったのに……」


 僕が悔しさを滲ませる。すると西恋寺さんから笑顔が戻ってきた。


「ミスは誰にでもあるって九くん言ったじゃん。どんまいだよ。九くんがいなかったら私、お母さんにも相談しなかったし。これからも宜しくね。頼りにしてる」


 そう言ってもらえて、僕はまた頑張ろうと言う気持ちになった。

 これくらいで凹んでいたらキリがない。


「私の結婚式に取ってたんだって。おかしいよね。お父さんのこと悪く言ってるけど、お母さんの考えも普通におかしいよ」


 西恋寺さんが口元に手を当てて、おかしそうに笑った。


「結婚式なんてお金使わなくてもいいやって、思うんだけど。九くんはどう思う?」

「どうって、どうだろう。人それぞれじゃないかな」


 自分の結婚式のイメージなんて全然沸いてこない。

 だけど西恋寺さんと結婚できるなら、お金がなくても僕は幸せだ。

 とんかつを一緒に食べるだけでも、笑っていられそうだから。

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