その29

 お店が閉まった夜九時過ぎ。とんかつあぁやに関係者を集めて作戦会議を開いた。

 閉店後の片づけをしている西恋寺さんと、調理師の於史さん。副店長は本日、非番なのでオンライン参加となった。PC画面の中で会議が始まるのを待っている。画面の中から幼い子供の声が聞こえてくる。正面入り口から最後のメンバー、妙子が入室してきた。


「ごめーん遅くなったー」


 と言って、ドアをがらがらと閉める。塾帰りと聞いていた通り、教材の入っているであろう鞄を背中にしょっていた。鞄には、うさぎのぬいぐるみがくっ付いていて、謎に可愛い系だ。肩をやや上下させ、急いできた様子が見て取れた。


「絢ち、今日の売上どうだった?」


 妙子がカウンター席に腰を下ろす。背中の鞄を膝の前に持ってきてから、そう尋ねた。


「今日もお客さん入ったよ。一〇万円弱だった」

「わおっ! 順調に伸びてるじゃん。集客で変わるもんだね」

「ねー」


 一日の売上が一〇万円を超えると、だいぶ忙しい。とんかつあぁやの場合、一日で約一〇〇人来店した計算となる。特にお昼と夜のピーク時は席がだいたい埋まるので一人で回すのもぎりぎりだ。食器を洗う余裕がなくなり、シンク内に回収したお皿がどんどん溜まっていく。それらは後からまとめて皿洗いをする。だからタイムカードを切る時間も遅くなりがちだ。


「妙ちゃん、お水飲む?」


 西恋寺さんが厨房の片づけを中断して、妙子の正面に寄ってきた。


「あー欲しい。ありがとー」

「みんなの分も用意するね」


 そう言って、西恋寺さんがお盆を手に持ち、お水を汲みに向かった。

 僕も厨房奥にあるいつものパソコン前の固定席から立ち上がると、ノートパソコンを抱えたまま席の移動を始めた。妙子の隣に移る。ノートパソコンをテーブルの上に乗せて、モニターを妙子の方へと向けた。


「あ、飯田さんいたんだ。こんばんは。なんかお久しぶりです」


 妙子がモニターの中にいる副店長へ挨拶をした。


「お疲れさまです。僕の入ってる日、会わないしね」

「ですよねー。あたしはお店にもそんな来ないですけど」

「集客助かってるんで、ありがとうね」

「とんでもないです。まだまだ頑張りますから。任せてくだせー」


 力こぶを作ってみせる妙子。


「お待たせー」


 西恋寺さんがカウンターの内側、ちょうど僕と妙子の正面の位置にまでやってきた。差し出されたお盆の上から、僕と妙子はそれぞれ水の入ったコップを受け取る。


「私、ここで話聞いてまーす。始めてくださーい」


 厨房の片づけを続けている於史さんが呼びかけてきた。


「じゃあ本日の議題。なんだっけ? 九っち、よろしく」

「うん。パソコン使って説明するよ」


 僕がブラウザのタブを切り替えて、妙子と西恋寺さんに画面を見せながら、話を進めた。


「これが週間の売上で、これが原価と販管費、つまりかかっているコスト。差し引くと利益が計算されて、利益率がその下に表示されてる。売上総利益率つまり粗利率と、営業利益率ね」


 スプレッドシートに入力されている数値を目で追いながら、妙子がうなずいた。


「なるほどね。それで最近の状況は、この右の列を見ればいいってことか」

「そう。この二週間は売上げが徐々に伸びて来てる」

「わー」


 西恋寺さんが小さく拍手をする。


「いいじゃん」


 と妙子も満足そう。


 二人の反応はごく自然なものだった。客足が増えているのだから、当然と言えば当然だ。


「インスタからもお客さん来るようになったんだよ。私の投稿見ましたって昨日も言われて」

「そう言えば、レビューも増えてきたよね」

「そうなの。常連さんにレビューお願いしたら、その場で投稿してくれたりする」

「絢ち、完全にやり手じゃん。この、看板娘っ!」

「やだ、誉めないでよ妙ちゃん。照れるなー」


 なんか、いちゃこら始める二人。僕が一つ、咳払いをして、話を戻した。


「ごめん二人とも。楽しそうなところ悪いんだけど、ここ。利益も見てよ」

「利益?」と二人がハモった。

「ほらここ、利益はまだマイナスなんだ」

「……なんで?」


 妙子が眉をへの字に曲げる。


「九っち、あんたまさか横領してるんじゃ……」

「してないよ。どうして横領するんだよ僕が」

「じゃあ、これどういうことよ?」

「利益率が低すぎるんだ。薄利すぎて、いくら客足が増えたところで、それに負けないくらいコストも増えちゃうから、なかなか利益が伸びない」


 妙子が腕を組み、うーんと唸った。


「これつまり原価が多いってことよね」

「いや、違うんだ。違わないんだけど原価が多いというより、単価が安いが大きな問題」

「単価が?」

「うん。値下げしたでしょ去年」

「したした。去年の夏」西恋寺さんがうなずく。

「そこから利益率がこの通り、分かりやすく悪化してるんだ。第三期の決算書が赤字になってるのも要因としてはこの値下げが一番、影響大きい。水道光熱費も増えてきてるけど、これは仕方ない感ある」

「そうなのかー」


 妙子が冴えない表情で言った。僕がさらに続ける。


「で、客足は増えてるでしょ? 忙しさだけが増してるんだ。ここ一年で労働時間も増加傾向にあって人件費がしっかり増えてる。副店長は固定給だから変化してないけど」

「明らかに忙しくなったよ。一年前はもっと早く片づけ終わって帰ってたから」


 とパソコンの中から副店長の声が聞こえた。


「じゃあどうすんの? 値上げってこと?」


 妙子が僕に尋ねてくる。


「になると思う。今日それを相談したかったんだ」

「いくらくらい値上げするの?」

「現状の平均客単価が九九二円だから、できれば二〇〇円くらい上げたい」

「えぇー。たかっ」

「全部上げなきゃいけないの?」


 西恋寺さんの顔も心配そうになる。


「えっと、全体の単価を引き上げれば良い訳だから、メニューにもよる」

「九っちさ、値上げしたら厳しいと思うよ。駅前の大手チェーンにお客さん流れるよ」

「言いたいことは分かるよ。でも、大手と勝負しちゃダメなんだ」


 受け売りの台詞を僕が返した。


「商店街のおばあちゃんのお店はもっと安いじゃん。大手でもないし」

「そうだけど、年金暮らしのお店とも戦っちゃだめだよ。チート経営じゃん」

「二〇〇円上げるなら、メインの定食は一一〇〇円くらいってことだよね」と西恋寺さん。

「で考えてる。それしか道がないと思うし」

「そんなことないでしょ。お客さん増やしたら、なんとかなるっしょ」


 妙子の強気な発言を聞き、今度は僕がうーんと唸った。


「なるかなー。仮にお客さんがこのまま増えたとしても、利益少ないよ」

「絶対に出ない訳じゃないんだ? 一応は伸ばせば黒字になるでしょ?」


 妙子が僕の言葉のニュアンスを逃さなかった。西恋寺さんが手を挙げた。


「はいはい、SNSでバズらせるとかどうだろ?」

「それは現実的じゃないよ西恋寺さん」

「バズっても一時的だしね。お客さん来るの」と妙子も続く。


 僕も激しく同意し、大きくうなずいた。


「継続的に伸ばして行かないとだめだからね。いまの利益率だと一日一一一人お客さんを呼ばなきゃ行けない。それで利益がとんとんになる。ここ一週間の平均来客数は一○○人弱」

「あと一歩じゃん」


 と妙子が言った。


「とんとんのラインだよ? そこからしっかり利益が出るには、もっと伸ばさなきゃ。そう考えたら僕は厳しいかなって」

「やりようじゃない? あたしはまだまだ行けると思う。あたしの中の目標はもっと高いもん。ピーク時は待ち客ウェイティングが出るくらいの繁盛店が目標だから。ひとまず、このまま伸ばそうよ。それでも利益出るんでしょ」

「出るけど、行けると思うの?」

「行けるかどうかじゃないよ。行くんだよ!」


 妙子の目は本気だった。気合と根性があたしの友だちと言わんばかりに。


「席数がさ、限られてるよね。このお店三十二席しかないよ。上限が決まってる以上、客足を増やすより単価を伸ばしていく方向に舵を切った方がいいと思うんだ」

「でも、値上げしたらお客さん減る可能性あるよね? 逆に」

「そうだけど」

「じゃあ、やだよ」


 妙子が首を振った。


 最悪なことに意見が割れた。めっちゃ集客頑張る派の妙子と、値上げしたい僕。


「宅配するの、どうですか?」


 厨房でまな板を洗っている於史さんが、そんな提案をした。


「テイクアウトなら席数以上に売上伸ばせますよ。私、まだ注文作る余裕あるので」

「それいいね。お店の宣伝にもなるし」妙子が乗り気に答えた。

「宅配はありだと思うけど……」


 僕が一瞬、考えて、やっぱり首を横に振った。


「待って。宅配始めるのと、値上げの話はやっぱり別だよ」

「そう? 売上をプラスで伸ばせるから関係はあるでしょ」

「違うよ。売上をいくら伸ばしても利益率が低いと労働力もずっと増え続けるの。いつまでもしんどい状態から抜け出せる気がしないんだ」


 大切なのは利益率だ。集客以上に利益率なのだ。


「これ見てよ」


 僕が改めてパソコン画面を二人の前に差し向ける。



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(お店の現状をCVP分析で見る図)

https://kakuyomu.jp/users/mogumogupoipoi/news/16818093089686357969

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