第三章 競合調査と簿記受験
その8
インターホンが鳴った。早朝六時に。
「
襖の向こう側から、姉の声が聞こえてくる。
「ええ、僕まだ寝てるよー」
敷布団の上で仰向け状態のままに答えた。薄い掛け布団を手でまさぐり掴んでたぐり寄せる。お腹に被せてまた眠ろうとした。すると再度インターホンが鳴り、姉の強めの声が響いた。
「早く出て。急いで。私いま出られないから!」
姉の事だ。化粧でもしているのだろう。誰に見せるでもない独り身のくせに。
僕は眠たい瞼をこすりながら、身を起こした。
「早く出てって言ってるでしょ。人が待ってんのよ。いま何時だと思ってんの」
「分かったいま行くよ! まだ六時だって」
最悪な寝覚めになった。僕は和室の六畳部屋で立ち上がると、天井からぶら下がっている灯りの紐を引っ張った。朝日の射し込まない南向きの窓、全体的に薄暗い部屋がぱっと明るくなる。襖を開けてリビングへと出た。リビングには二人掛けソファと六〇型テレビが向かい合って置かれている。フローリングの床には、ふた周りくらい小さい正方形の絨毯が敷かれていた。
僕は玄関まで続く廊下へ向け歩いた。もう一度、インターホンが鳴る。
「いま行きますよー」
そう言って僕は、壁に張り付いているモニター付きインターホンの通話ボタンを指で押した。
「はい。もしもし」
粗い映像を確かめるに、宅急便の人ではなさそうだ。こんな早くに宅急便が来るなんてのも、ちょっとおかしい。女性らしき人が映り混んでいた。姉の知り合いだろうか。
「えーと、九一くん居ますか」
「はい。僕ですけど」
「同じ学校の真壁です」
え、なんで女子が? 僕の家に来たの? 考えていると、向こうがまた先にしゃべった。
「お届け物です。オートロックを開けて下さい」
「ああ、はい」
なんだかよく分からないけど、ちょっとテンションが上がったので解鍵した。
どこかで見たことある女子の気もする。
ショートカットで頭にヘアピンを付けている女の子。誰だったっけ。
「しまった。この格好はまずいぞ」
僕は慌てて上着だけ着替えようと、部屋に引き返した。
四十秒で支度をして、襖を開けたところで、玄関が開く音がした。
「いま行きまーす」
リビングを通り抜け、廊下まで小走りで向かう。
「え」
女子が廊下まで上がり込んでいた。靴を脱いで。ハエ叩きを握りしめている。
「え、あの」
「この毛虫野郎!」
女子が叫んだ。目の形が三角になっていてばちばちに怒っている。とてつもない気迫が漂う。
その子が近づいてくるなり、ハエ叩きで僕の太股をばちんと叩いた。
「いっっったぁっ!」
僕は後退した。眠気が吹き飛ぶ。太股がずきずき痛み出した。
「ちょちょちょっと待って」
女子が無言で迫ってくる。眼球が完全にキマっている。
恐怖を覚えた僕はリビングへと逃げた。やばい。リビングにあるソファを挟んで、危険人物と対峙する。どういう状況だ。死ぬのか僕? 早朝に死ぬのか僕?
僕が混乱していると、女子が再び叫んだ。
「この犯罪者が!」
「いや待って。犯罪者は君の方じゃ……」
「なに言ってんだ。絢ちに下らない入れ知恵したんだろ!」
「あやち?」
「愛絢の事だよ。しらばっくれんな」
「西恋寺さん?」
そう言えば、西恋寺さんと一緒にいた女子だ。友達か。
「おまえを警察に突き出してやる」
「それはこっちの台詞だよ」
僕らが言い合いになっていると、姉が部屋から飛び出してきた。
「どしたの、なになに?」
目を血走らせている女子が、姉の方を見た。そして目をさらにぎょっとさせた。
姉は着替え途中で、いかにも中途半端な格好だった。紺のスーツを一応は着用しているが、白シャツがはだけ気味、胸元は開いている。下着がちょっと見えていた。セミロングの髪もとっ散らかっている。その格好を目にした女子が、僕の方に向き直り、怒声を浴びせた。
「てめぇ女も居たのか! 大人の遊びしやがって!」
「姉ちゃんだよ。似てないよ確かに。七つ離れてるし」
「その子、弟です。一応」
僕を指さし、姉が答えた。
「やだ、ちょっと待って」
姉が口元に手を当てて驚く。僕と目の前の凶暴女子を交互に見て、
「ええ、女の子? ええ、武器? ええ、弟?」
と一人でぶつぶつ言っている。それから、すべてを悟ったように深くうなずいた。
「この展開、痴情のもつれってやつ」
「違うよ。事件だよ。いきなり家に上がり込んで来たんだ」
姉が腕組みして、状況分析を始める。
「なにしたの九ちゃん。謝りなさい」
「信じろよ弟を!」
僕の言い分をなに一つ理解していない。
「これに見覚えあるだろ!」
目の前の女子がデニムのショートパンツの後ろポケットに手を伸ばす。そこからなにかを取り出して、正面に掲げた。
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見覚えある紙の束が出てきたぞ。
「これをあたしの親友に持たせただろ! この外道が!」
「いやそれ僕じゃないよ」
僕が全力で首を横に振った。冤罪だ。どういう伝わり方したんだ。
姉が女子の
「あんた。とうとう、手を染めたのね」
姉が震える声で続ける。
「いつもふわっと生きてる弟だなって思ってた。優秀じゃないのも知ってた。でも人様に迷惑だけはかけない弟だって、お姉ちゃん信じてたのに。私の教育が間違ってたのね」
この姉、自己完結力がすごい。弟の話をいっこも聞かない。
「これ二個あるんで」
ハエ叩き二重で持っていた。その一つが、女子の手から、姉の手に渡る。
「いやいやいや、話を聞いてよ」
「もう遅いの九一。母さんに連絡する前に、私が根性叩き直す。覚悟しろやぁ!」
ソファの両側から挟み撃ちにあって、僕は理不尽にもシバかれた。
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