その9

「なんだ。そう言うことだったの」


 と姉。


「早とちりして、ごめんなさい!」


 女子が絨毯の上で土下座する。


「早く言わなきゃ」


 と姉は腕組みして、ソファにもたれ掛かっている。謝る姿勢、一つも見せない。


「つまり九一がその愛絢ちゃんという子を助けるために、お店の手伝いする事になったのね」


 ようやく事情を理解してもらえた。


「それで、あなたはその女の子の友達ってことね」

「はい。あたしは真壁妙子って言います。絢ちとは中学の頃からの親友で……」


 姉が身を震わせていた。いまにも泣きそうな表情で。


「いい名前ね。妙子ちゃん。あなた、絶対いい子」

「ごめん、どうしてこのお姉さん、感動してるの?」


 真壁さんが僕に尋ねてくる。


「姉ちゃんの名前は和子っていうんだ。鳥羽和子。たぶん妙子って名前に親近感覚えたんだよ」

「和子って古いでしょ。昭和か、ってツッコまれるでしょ」


 姉が勝手に話を続ける。


「この名前のせいでね私、彼ぴっぴができないの」


 彼氏ができない理由が名前が古いからだと思い込んでいる。和子という名前は昭和二年から昭和二七年頃まで人気だった名前だ。姉はこの名前に謎の怨念すら覚えている。彼氏ができないのは絶対、名前とかじゃなくて、別の要因だと思うけど。


「もしかして、ここに二人で住んでるんですか? 聞かない方が良ければ、大丈夫です」


 真壁さんが聞きづらそうな表情で尋ねてくる。


「そうなのよ。聞いてよ妙子ちゃん。こいつ、私の部屋に居候中なの。高校に通学したいからって実家からこっちに移ってきてね」

「そんなこと話さなくてもいいよ」


 姉と二人暮らしとか、あまり知られたくない事実だ。


「そうなんですね」


 真壁さんが納得する。


「ご実家は遠いんですか?」

「実家は長野だよ」


 と僕が答えた。


「へえ、それで通学コースにしたくて東京にきたんだ」

「そういうこと」

「早く出て行って欲しいなー」


 と姉が言った。いつもの嫌み。


「一部屋余ってたじゃん」

「あんたのために無理して2LDK借りてた訳じゃないの。将来の彼ぴっぴのために、部屋を用意してたの。夢の同居生活」


 このマインドだけは親族でも理解できない。なんで? これからできる彼氏のために、部屋を一つ確保して置くの? 意味が分からない。しかも和室だ。誰が住むというのだ。


「僕だって一人暮らししたいよ」


 思わず愚痴をこぼしてしまう。だけど両親が高校卒業まではそれを許可してくれない。姉と一緒に暮らすならと、ぎりぎりのラインで東京に出て来られたのだ。


「仲がいいんですね」


 と真壁さんが穏やかに言った。


「いや仲は良くないよ」

「そうよ妙子ちゃん。こいつを家に泊めるとパパから家賃の仕送りがもらえるの。だから金のために住まわせてるのよ。あんたはさっさとバイト見つけて、お金入れなさいよ」

「バイト探してるよ。でも僕のおかげで家賃出してもらえてるんだから、損してないだろ」


 両親からの仕送りは家賃の半分と食費月五万円。それらが全部、姉の口座に振り込まれる。僕は部屋の掃除をやらされる。新手の奴隷商法かなにかだと、僕は気付きつつある。


 絶対おかしいぞ。この生活。


「それで鳥羽くん。本題に入っていいかな」


 と真壁さんが話を切り出した。


「本題?」

「鳥羽くん、あなたそれで本当に絢ちのお店を建て直す事できるの?」


 そう問われ、僕はぎくりとした。


「まあ頑張ろうと思う。簿記とか勉強中だし」

「その簿記がなにか知らんけど、お店に客呼ぶって大変じゃない。あなたにそれができるのか、あたしはそこが心配なの」


 真壁さんがはきはきと話す。姉が口を挟んだ。


「そうよ九一。利益出すって大変なことよ。従業員をとにかくこき使って魂すり減らして、なんとか利益が出るものなの。ビジネス舐めてちゃだめよ」


 それはおまえの会社だろ、と内心で毒づいた。あと、僕への対応も改めろや。

 それを言い出せずに姉を睨んだ。


「あたしは心配。だってお店の運営を同じクラスの男子に任せるなんて。こんな頼りなさそうな人に絢ちすっかり騙されてる」


 真壁さんが怪訝そうな顔つきになる。


「もしかしてさ、人の弱みにつけ込んで、本当は下心があるんでしょ。そうだろ?」

「いや……下心なんてないよ」


 首を振って否定する。恋心ならあるけど、とは付け足さない。こう見えて僕は真剣なのだ。


「九ちゃん、女の子が家にきたと思ったら、そう言うこと」


 姉の目もやっぱり冷たい。この二人、並べると性格似てるぞ、と僕は思った。

 詰めてくるタイプだ。しかも理不尽に。


「そんな事言われても。じゃあ西恋寺さんを見捨てろって事なの? 僕は西恋寺さんが学校に通えるように力になりたいんだ!」


 僕が思いの丈をぶつけた。


「その考えは賛成なの」


 と真壁さんが答えた。


「あたしだって絢ちが辞めるって昨日知ったの。だからあたしが力になろうと思ってたんだから。先を越されて正直まだ納得してない。親友のあたしを差し置いて、あなたみたいな、どこの馬の骨か分からない男の言葉を信じて。絢ちすっかり信じてる。簿記とかいう怪しい呪文みたいなワード」


 簿記を学んでいる人、全員敵に回してる?


「とにかく私が絢ちを助けるから。あなたも絢ちを手伝うなら、協力するところは協力していこ。不本意だけど」

「まあ、そう言うことなら」


 僕がうなずいた。仲間なのかライバルなのか、真壁さんがパーティーに加わった。


「あら、もうこんな時間」


 姉が慌ててソファから立ち上がる。


「私これから仕事だったの。ぎりぎりやばい」

「そうえいば今日、土曜日だよね?」


 真壁さんがやや混乱する。


「土曜だから出勤するのよ。日曜も出勤。休みは心の中だけ。心のオアシスが休日なのよ~♪」


 ミュージカル映画みたいに唄いながら、姉が部屋に戻ってゆく。

 間もなくして準備を終えると、鞄を持って玄関まで駆けて行った。


「九ちゃん、戸締まりはちゃんとして出て行ってね」

「分かった」

「友達とは健全なお付き合いを、するのよ~♪」

「大きなお世話だ。はよ行けや」


 僕が言い終えるかどうかという所で、玄関の閉まる音がした。

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