その7

「へぇ。行方不明なんだ。……って、ええっ!?」


 思わず大きな声が出てしまう。


「どういうこと?」

「このお店ね、お父さんが経営してたの。私は週に二日だけアルバイトでお手伝いしてたんだけど、夏休みに入ってすぐ居なくなっちゃって」

「おお……。とりあえず行方不明なら警察には行ったの?」

「もちろん、届け出はしたよ」


 西恋寺さんが、うなずいて答える。


「でも置き手紙が残ってたから、積極的に探してもらえなくて」

「置き手紙?」

「うん。旅に出ますって」


 なんだそれ。すごい父親だ。


「それでね、私の他にバイトしてた人も辞めちゃって、お店が回らなくなったの」

「だからお店を継ぐって話になったんだね」

「うん。他に選択肢がなくて」


 西恋寺さんの表情が暗くなる。さらに言いづらそうに、話を続けた。


「……でね、私も最近になって知ったんだけど、借金があるの」

「借金って、どれくらい?」

「二千万円」


 僕は言葉を失った。借金をして親が蒸発したのか。ホームドラマみたいな展開だ。


「だから私がこのお店をなんとかしなきゃって思って、先生に言ったの。学校辞めますって」

「そうだったんだ」

「でも一つ問題があって」

「問題?」

「そう。その退学届ね」


 と言って、西恋寺さんが、机の向こう側から身をぐっと乗り出してきた。

 西恋寺さんの右手が、僕の持っている退学届に伸びる。指先が触れてどきりとした。顔が急接近してきて、シャンプーの匂いがこちらにまで届く。


 僕は不意を突かれ背筋を反らした。


「ほらここ、親の承認がいるの」

「ああ、うん。そうみたいだね」

「私、お母さんにまだ言ってないの」


 それは僕も同じ状況だった。西恋寺さんも実はまだ、辞めてはいないのだ。


「これさ、やっぱり勝手に辞められない仕組みなんだね」

「ね」


 西恋寺さんが近くで相づちを打つ。

 その相づちがまた可愛かった。奥二重な目も可愛いし、頬にあるホクロまでチャームでいい。肌とかつやつや真っ白だ。世界で一番、可愛いぞこの子。楊貴妃か何かの生まれ変わりか?


 突然の急接近に、僕の頭はバグりそうになっていた。

 高鳴る鼓動をなんとか押さえようとする。


「でも、西恋寺さんが辞める事はないんじゃないかな」


 僕がそんなアドバイスをする。


「親の借金は親が返すべきだし、いくら家族だからって西恋寺さんが辞める理由なんてないよ」

「そうかもだけど」


 西恋寺さんが言葉を詰まらせる。


「でも学費とか出してもらってて、大変そうだし」

「確かに」


 M高校は通学コースだと年間で結構お金がかかる。無理強いして引き留めるのも厚かましいと言うものだ。結局は僕にとって西恋寺さんは辞めて欲しくないという、僕の一方的な我が儘でしかない。ひどい奴だ僕は。一銭も家賃を払っていない居候の分際で、言えたものじゃない。


「それを言うなら鳥羽くんの方こそ、学校辞める必要ないと思う」


 西恋寺さんが切り返してきた。


「そうかな」

「そうだよ。だって通えなくなった訳じゃないでしょ」

「でも目的とかないよ。ぐだぐだ学校に行くのは違う気がするよ。目的意識のある人が学校に行けばいいんだよ。M高って、なんかみんな意識高いし」

「そんなことないよ。目的ない人だっているよ。先生も話してた。最初は目的がなくてもいいぞって。ふわっと入学して来いって。目的を見つけるのが、M高生活だって」

「言ってた記憶あるね。サーフボード持って」


 僕は西恋寺さんの言葉を聞いて、ちょっと納得した。


 やりたいことを学校で見つけるという選択肢もあるかも知れない。友達だってまた死ぬ気で作れば、なんとかなるかも。早々に辞めるのは、もったいない気もする。中卒になる訳だし。


「だから鳥羽くんは続けたらいいと思う。私はさすがに通えそうにないけど」


 西恋寺さんがそう言って、腰を後ろに戻した。しんみりした空気が漂う。


「あ、そうだ! 私ね、秘策があるの。借金を返す方法」


 西恋寺さんが立ち上がる。


「秘策?」

「うん、ちょっと待ってて」


 西恋寺さんが明るい声で言い残して、厨房の奥に引っ込んだ。

 まもなく駆けて来て、握っている何かを机の上に広げた。


「これメルカリで買って、昨日届いたの」


 A四用紙の紙が二十枚くらい束になって、右上ホッチキスでまとめられている。表紙には大きなゴシック調の文字が踊り、カラフルなデザインが施されていた。


  ―― 二ヶ月で六千万稼ごう。アイたんの頂き投資マニュアル ――


 タイトルはこれだ。


「これを実践しようと思って」

「いや待って西恋寺さん。これは違う気がするよ」


 マニュアルを手に取り、めくってみる。怪しそうなチャートが並んでいた。まだまだ伸びるだとか、シグナルを逃すなだとか、節税にもなるだとか、書かれていた。


「これは絶対ダメな奴だよ」

「お店のお金がまだ二百万くらいあるから、それを使えば六倍くらいで増やせるって」

「いやいや怪しいよ。この変なマニュアルいくらで買ったの?」

「二千円」

「怪しさが増した!」

「……どうして」

「だって二ヶ月で六千万円本当に稼げるなら、二千円でこんなの売らないよ。発送する手間の方が面倒だよ。詐欺だよこれ。絶対そうだ」


 西恋寺さんの動きが止まった。両手を口元に当てて、目を大きく見開いている。サンタさんはいない。初めてそう告げられた五歳の少女みたいな反応を見せる。


 気付いてしまったらしい。遂に。


「でも、それじゃあ秘策が。借金を返せない」

「いったん落ち着こう西恋寺さん。疲れてるんだよ」


 僕がそう言って宥めた。しかし西恋寺さんは肩を落として、意気消沈する。万事休すと言わんばかりに。また悲しそうな表情に戻ってしまった。


 そんな顔は見たくない。西恋寺さんには学校に残って欲しいし、笑顔でいて欲しいのだ。


「僕が手伝うのはどうかな。このお店」

「鳥羽くんが? でも悪いよ。大変だし。借金まみれだし」

「大丈夫。僕、いま簿記を勉強してるんだ。だからこのお店の窮地だって救えるよ」


 なに言ってるんだろうと内心思った。だけど見栄を張って、すごく自信ありげに話していた。


「簿記って、なに?」


 西恋寺さんが首を傾げる。


「簿記は会社のお金の流れを把握して問題点とか見つける的なやつ。経営をするには簿記が必要なんだ。絶対力になれるよ」

「なんだか頼もしい気がする」


 西恋寺さんの顔に笑顔が灯る。僕はそれが嬉しくて、さらに続けた。


「だから、僕がこのお店の経営を手伝うから、一つ約束しよ」

「約束?」

「うん。いま九月でしょ。年明けまで一緒に頑張ろうよ。それでこのお店がうまく行ったら、愛絢さんも僕も、二人で学校を辞めるの辞めよう」


 我ながら大胆な事を口走ってしまった。でも西恋寺さんのいない学校なんて絶対つまらないのだ。なるようになれ、という腹積もりだった。


 西恋寺さんが鼻水をすすり、その顔がちょっと不細工に崩れた。


「ふええ」

「どどど、どうしたの西恋寺さん」

「ごめんなさい。すごく嬉しくて」


 頬を伝う涙を手の甲でごしごし拭う。それから、こう続けた。


「だってね、お店の借金のこと誰にも言えなくて、最近ずっと独りで悩んでたの。お母さんはバリキャリだから、話聞いてくれないし。離婚するって言うし」


 家庭崩壊しかかっていた。深刻度思ったより高い。ならばなおさら僕が助けてやらないと。

 僕は両手の拳を、ぐっと握っていた。


 一通り涙を流すと、西恋寺さんがまた席を立った。


「ごめんね。恥ずかしいところ見せて」

「大丈夫だよ」


 泣いている西恋寺さんも可愛いので問題ない。


「じゃあさ、ちょっと待ってて」

「え? うん」


 西恋寺さんが再び厨房の奥に引っ込む。そしてまた何か手に抱えて戻ってきた。


「これ」


 それは僕が持っている書類と同じ、親のサインなし退学届だった。

 西恋寺さんが僕の退学届の上に、自分の退学届を重ねる。


「二人で精一杯頑張って、お店の状況が良くなったら、この退学届を二人で破こう!」

「そういうことか。不要になるもんね、この退学届」


 僕が首を傾げた。


「でも、いま破くじゃだめなの?」

「また書かなきゃならないかも……」

「不吉だ」


 西恋寺さんが二枚の退学届を掲げて、力強く続ける。


「だからね、苦しいときはこれを見て、退学してなるものかって自分を励ますの。だって私、学校に通いたいもん。辞めたくない」


 そうだ。西恋寺さんは学校に通いたいのだ。そして西恋寺さんがいれば、僕も通いたい。


「分かったよ」


 僕も席から立ち上がっていた。


「全力で頑張るよ」

「うん。私ももっと頑張る。簿記? とかいう力でなんとかしよう」

「簿記の力でなんとかなるかは、ちょっと自信がないけど」

「えいえいおー」

「おー」


 二人で両手を重ねて、気合いを入れる。

 こうして僕と西恋寺さんの、学校を辞めるを辞めるための取り組みが始まった。



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(とんかつああやのメニュー表は、近況ノートで公開中)

https://kakuyomu.jp/users/mogumogupoipoi/news/16818093089684273863

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