その19

「答えが出た。君がやることは売上を「単価」と「販売数量」に分けて把握すること。加えて「原価」と「販売管理費」を変動費と固定費に分類し直すこと。で、いったいどれだけのお客さんが訪れたら利益が出るのか損益分岐点を出す事だ。現状を知れば百戦危うからず。それができて初めて、適切な取組みが浮かび上がってくるはずだ」


 どこまでいっても数値の話しばかりだ。最終的なゴールは「利益」を出すことで、それは数値なのだから、過程でも数値が登場するのは至極当然とも言える。


「分かりました、じゃあそれらをスプレッドシートとかにまとめます」

「共有して見せてね。それをおかずに俺は飯を食う。うひょひょ」


 大丈夫かこの先輩。僕が内心かなり引いていると、爆弾おにぎり先輩が、また別の話をした。


「あとはそうだなー。仕訳帳は全部目を通したん?」

「仕訳の量が多くて、全部は見てないです。軽くは見ましたよ」


 僕が首を振って答える。仕訳帳には全ての仕訳が載っている。B/SやP/Lには総額しか載っていないが、それらの内訳を見たければ仕訳帳のそれぞれの勘定科目に目を通せばよい。


 先輩が、指に付いたご飯粒を舐め取りながら言った。


「経費を削減したいなら全部、見るといいよ。仕訳を眺めてどんな取引が行われたか考えると力が付くぞ。俺みたいに筋肉も付く」


 筋肉は付かないだろう。でも、ちゃんと目を通しておくことに異論はない。

 各仕訳には「摘要欄」と呼ばれるものがあって、仕訳を見て後から内容が分かるようにメモを残しておく事ができる。会計ソフトに入力されている仕訳にも「摘要欄」が用意されていて、細かくメモが残されていた。誰と何人でご飯を食べたか、とかそんな情報まで書いてある。


「仕訳は切るだけじゃなくて、読み解く事も大切だぞ。ちなみに俺は通信費が臭いと思ってる。臭うぞ。プンプン臭う」

「分かりました。そこも見ておきます」


 そんなレクチャー形式のやりとりを続けて、僕はやるべき事をタスクリストにどんどん落とし込んで行った。


「今日はありがとうございました」


 カレーを完食した僕が頭を下げた。画面を切ろうとした所で、先輩に引き留められる。


「おーいおいおいおい。思い出した。ちょっと待ってて」


 先輩が椅子から立ち上がり、僕はしばらく待たされた。

 戻ってきた手には、高級カップアイスが握られている。


「デザートがまだあるから付き合って」

「はあ」

「君もデザート食べなよ。取ってきていいよ」


 デザートが常時あるみたいな前提で話してくる。普通、ないだろ。

 僕はお菓子あったかなと思って、冷蔵庫に足を運んだ。


「あった」


 プリンがあった。僕はそれを持ってソファに戻った。


「そのプリン俺も好き。まろやかんプリン」

「冷蔵庫に入ってました。たぶんねーちゃんのです」

「なぜプリンを食べるのか? そこにプリンがあるからだ。その罪をゆるそう」

「有り難き幸せ」


 先輩のゆるしをもらって、僕は姉のプリンを開封した。

 あとで同じの買えばいいやと思った。おまけにうめぇ棒一本付けよう。


「この決算書さ、もらっていい?」


 先輩がアイスを食べながら尋ねてくる。


「もらう? 何かに使うんですか?」

「コレクションしてる」

「決算書を? なぜ?」

「なぜ? その質問に答えが必要なのか? なぜ集めるのか。そこに集めるものがあるからだ」


 理解に苦しむ回答だ。


「いま上場企業の決算書をEDINETって所から集めてきて、データベース作ってるんだ」


 先輩が別のスライドを画面に表示した。


『ありったけの決算書をかき集め、決算書の王に俺はなる』


 などとキャッチフレーズが踊る。


「AWSっていって、アマゾンがやっているクラウドサービスがあるんだけど、そこに決算書を食わせてAI分析をしてて」

「ちょっと、良く分からないです」

「例えば、年商十億円規模の飲食店の交際費って年間いくらか、業態別の平均とか出てきたら便利だと思わない? その情報をユーザーに提供できたらいいサービスになると思うんだ」

「他社がどれくらいか、それは知りたいですね」


 僕がうなずく。先輩がやっている怪しいビジネスの正体がちょっと理解できた。


「それで上場企業の決算書はネットに転がっているから集めてみたんだけど、事業規模が大きいし、多角的に経営してるから役に立ちそうになかった」

「なるほど」

「それでこの決算書なの。非公開の単一事業者の決算書を集めて、中小企業の決算書統計データサービスはどうだろうかと、俺は行き着いちまった。やばいよ」

「それでこの決算書欲しいんですね」

「この決算書を僕に下さい。お願いします」


 先輩が畏まって頭を下げた。娘さんを僕に下さい、みたいな感じで言われた。


「いや先輩。僕じゃそれ判断できないですよ。西恋寺さんに聞かないと」

「じゃあ聞いて聞いて」

「聞くだけならいいですけど。もし決算書あげたら、どうなるんですか? この決算書を誰でも見れるようになるってこと?」

「話し聞いてたかよ! アンケート調査みたいなもんだろ。統計データの一部になるんだよ。個別の会社についての情報は誰も見れない。見れたら、逆にやばいよ」

「なら確かに困らないですね。でも統計ってたくさん集める必要ありますよね?」 

「各分類ごとに数百サンプル欲しいから三十万社はないとな。でなきゃ決算書の王になれない」

「三十万? 集めるにしても無理があるでしょ」

「最初はいまみたいに下さいとお願いして回る。実はもうこの決算書で二十社目だから。決算書を提供してくれる代わりにコンサルするで集めようと思ってて」


 色々と親切に教えてくれたかと思ってたら、実は裏があった。先輩がスライドを次に進める。


「で、ある程度データが溜まったら、サブスク形式でデータ閲覧できるようにアプリを作ろうと思うんだ。月額一万円とかで」

「なるほど。売上になるんだ」

「顧客は中小企業オーナーとか投資家とかお金ある人だから、値段もちょっと高めにできるだろ。そうなると、その資金を元手にして決算書は買い取りにしたい。例えば三期分の決算書を十万円で買い取りって言ったら、企業オーナーから自動で決算書が集められると思ってるんだ。資金繰り大変な企業多いだろ。決算書を作成したら、まずは決算書の王に売ろう、みたいな」


 決算書の王、がサービス名らしい。海に繰り出しそうな名前だ。


「考えといて。許可もらえるまでは、個人的に部屋に飾っとくから」

「先輩は起業がしたいんですか?」


 僕が素朴な疑問をぶつける。すると先輩が首を横に振って、答えた。


「いやいやいや。起業とか興味ないから。俺は世界中の決算書をかき集めてコレクションしたいの。コレクションするために、ビジネスにしたら効率的じゃんと思っただけ」


 と答えながら、アイスの箱の中を舌でべろべろ舐めている。


 きもっ。この先輩、やっぱり変わり者だ。


 そんな話をして、食事を終えたのは十時過ぎだった。

 僕はチャットを終えたあと、お風呂に浸かった。慣れないバイト疲れもあって、眠気にも襲われる。自分の部屋で寝間着に着替えて、敷布団を畳の上に広げた。


「あ、そうだ。プリン買ってないや」


 姉のプリンを買ってくるタイミングを逃した。


「明日でいいや」


 疲労がヤバいので今日は寝ることにする。僕は部屋の灯りを消した。

 その後、深夜に帰宅した姉のるんるん気分の歌声が、悲鳴に変わった。


「名前書いてただろ! ぼけぇっ!」


 布団から身を起こすと、部屋のふすまが半分にへし折れて、僕の元に飛んできた。


 姉のドロップキックが見事に決まっていた。

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