その20

 お店には仕事用のパソコンが一台、置いてある。そこから会計ソフトへのログインもできた。


 僕はバイトが始まる二時間くらい前にはお店に足を運び、仕訳帳を見ることにした。たくさんの仕訳を眺めていると、様々な情報が得られる。まず、オーナーが居なくなってから旅費交通費が減っていた。これは仕入先開拓をするため地方へ出向いていたオーナーが居なくなったからだ。具体的には新幹線代やレンタカー代、ガソリン代が発生しなくなっている。


 とんかつあぁやの仕入れは多くが卸売業者への発注で行われている。ただ品切れ時に地元の業務用スーパーに買い出しに行くこともある。スーパーの領収書もファイリングして整理されていた。パン粉や調味料を買っている。会計ソフトの仕訳上にも摘要欄に業務用スーパーと書いてある。経理の五十嵐さんがとても豆に仕事をしてくれている事が分かった。他にも、生産者と直接やり取りが可能なマッチングプラットフォームも活用していたみたいだ。新商品開発に熱心だったオーナーがそのプラットフォームで生産者と直接コンタクトを取り、話が固まってきたら必ず産地まで出向いて生産現場を見学させてもらっていたようだ。


「オーナーは変なところ熱心なんだよ。落ち着きがないというか」


 厨房で下ごしらえをしている副店長が教えてくれた。


「あと突拍子もない行動するから、今回の家出もそのうちひょっこり戻ってくるんじゃないかって正直、そう思ってる。心配してない訳じゃないんだけどね」


 赤い肉を丸い棒でどんどん叩きながら、複雑な心境を語る。


「だといいんだけどねー」


 西恋寺さんが話しに加わる。パソコンを触っている僕の後ろで、食器棚を整理していた。


「お父さん、好きなこと見つけると一直線な人だから周りが見えなくなっちゃうの。それでお母さんにもよく怒られてた」

「へぇ。この仕訳帳見てても、色々と取り組みをしてた形跡があるね」

「でしょ。とんかつ屋なのに関係ないものいっぱい仕入れてたよ。それでお試しメニューを出そうってなって、日替わり定食が生まれたの」

「日替わり定食って売れ残り出してるって、YouTubeの動画で見たことあるけど」

「そうそう。でもうちの日替わり定食はお父さんの試験的に出してみるメニューが多かった」

「なるほどね」


 西恋寺さんの話を聞いて、僕はうなずいた。メニュー表に書かれている日替わり定食は八五〇円。ロースかつ定食より三〇円安い、最安値メニューだ。ヒレかつ定食とミックスかつ定食は値段がちょっと上がる。おかわりキャベツやたまごは七〇円、から揚げは一二〇円でオプション追加が可能だ。アルコール類はビールグラスと中ジョッキが用意されている。


 仕入先に関する情報も会計ソフトに入っている。定期的に発注をする業者は仕入先リストとして登録済みで、後から買掛金の総額を表示できるようになっている。一方で単発仕入れの場合はリスト登録はされておらず、摘要欄に業者名が書かれていた。


「マグロも買ったんだ。お刺身出したの?」

「マグロのカツ出してたよー」


 西恋寺さんがゴミ箱に要らない物を放り込みながら、返事をくれる。


 これらの食材は商品開発費という科目で別立て管理されている。勘定科目は自由に設定ができて極端な話、見て分かれば名称はなんでもいい。一発逆転費でもいい。ただ誰が見ても分かり易いように共通化は図られている。それが売掛金や借入金、資本金といった簿記の教科書に登場する勘定科目だ。オーナーが居なくなってからは、やはり商品開発費は生じていなかった。


 そして爆弾おにぎり先輩が話していた通信費に毎月二万五千円の固定支出が生じていた。備考欄を見ると、どうやらホームページ利用料のようだ。僕はメールアプリを起動して、西恋寺パパと業者との過去のやり取りを漁った。検索機能を使いサービス提供業者名を調べる。


 すると、ログイン画面のご案内、という表題のメールが出てきた。


「お、なんか見つかったかも」


 メールで案内されているリンクを踏むと、ブラウザが起動する。キャッシュが残っていたため、IDとパスワードも自動で入力されている状態だった。


「ログインまでできた」

「なになに?」


 西恋寺さんが近寄ってくる。


「ほら、ホームページの管理画面」

「わ、これ話してたやつだよね。じゃあこれで表示崩れも直せるってこと?」

「直せる、はず」

かずくんすごい」


 西恋寺さんが嬉しそうに手を叩いた。僕は思わずどきりとした。西恋寺さんに誉められた。しかも、聞き間違いじゃなければ、下の名前で呼ばれた気がする。突然の距離詰めに、驚きを禁じ得ない。僕の心拍数が急に上がった。


 冷静になれ九一。ひとまず僕は鼻から息を吸い込み、口から吐いた。吸って吐いて吸って吐いて、心を落ち着ける。いまなら僕も下の名前で、愛絢さんと呼べそうな気がする。


「おおお、おち、おちおち落ち着いて西恋寺さん」

「え、なにを? 大丈夫?」


 落ち着くべきは僕の方だった。呂律が回らない。しくじった辛い。


「まだ、このホームページ、修正するかどうかは分からないよ。いや、修正できるかも、いったん見てみるけど、ひとまず明日、WEBデザイン部と話し合う事になったから。もっと良くなると思う。……たぶん」

「WEBデザイン部?」

「そう。妙子の友達の橘さんが紹介してくれたんだ」

「へー、そうなんだ。分かった。うまく話が進むといいね」

「うん。うんうん」


 僕が三回くらいうなずいた。なんてヘタレなんだろう自分は。肝心なところで。

西恋寺さんがまた仕事に戻っていく。その背中を黙って見送ることしかできなかった。

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