その42

 翌朝、電話が鳴った。西恋寺さんからの、早朝コールだった。


「はい、もしもし。こちら困ったときの、安心安全、九っちコールです」

「あ、九くん。おはよう。どうしよー」

「また問題? かかって来いよ」


 もうなにがきても驚かない。僕の心臓には毛が生えている。


「お父さんがね、発見されたの」

「発見された?」


 言い回しが不穏だったので、さすがに心配になる。


「動画送るね」

「動画?」


 西恋寺さんから、すぐにLINEチャットでリンクが送られてきた。YouTube動画だった。再生してみると画面の向こうで白い調理帽を被り、巨大マグロを捌いている男がいた。


 紛れもなく、西恋寺パパだった。


「僕はいったい、なにを見せられているんだ……」


 意味が分からないが、西恋寺パパがマグロを捌いている。見知らぬお店の厨房で。

 とにかく僕は急いで着替えて、お店へと向かった。



 お店の裏口から入ると、妙子がいた。


「よ。おはよ」

「妙子いたんだ。おはよー」


 妙子の挨拶に返事をしてから、僕が尋ねた。


「西恋寺さんのお父さん、見つかったんだってね」

「らしいね」

「でもなんで調理してるの? このお店って長崎にあるらしいけど」

「九っちも見て、このチャンネル。絢ちのお父さん、人気YouTuberだよ」


 妙子がパソコンの画面を指さす。僕も妙子の隣で、画面を一緒にのぞき込んだ。

 先ほど西恋寺さんから送られてきた動画のチャンネルだった。チャンネル名は、壱岐島海鮮パラダイス~夢の島~。海鮮屋の公式チャンネルらしかった。登録者は一二万人で、店内の壁に銀盾が飾られている。


 ますます謎が深まる。とんかつ屋をほったらかして、なぜ長崎の海鮮屋で働いているのだろう。不思議で仕方がない。


「インスタ経由で連絡あったの」


 西恋寺さんがフロアから厨房に入ってくるなり、教えてくれた。


「連絡?」

「そう、チラシを見た人がお父さんこの人じゃない?って。似てたから教えてくれたの。私も動画見てびっくり」


 僕たちは過去の動画を遡り、西恋寺パパがどうしてこのお店で働いているのかを確かめた。


 経緯はこうだ。八月頭、船が係留している港近くで一人の男が半裸状態で行き倒れていた。浜辺に打ち上げられるようにして。なぜか一匹のマグロを抱きかかえていたらしい。男は記憶を失っていたため保護された。身元が不明で名前も分からない。とりあえず地元の漁師たちからはマグロマンと呼ばれた。なにも覚えていない男だったがマグロを捌きたい意欲だけは旺盛だったので、拾ってくれた海鮮丼屋で働くことになる。人探しを目的にYouTubeで呼びかけてみたら、料理が上手くて登録者が伸びた。いまでは海鮮丼屋の副店主を任されている。


 だいたいそんな経緯だ。


「意味が分からーん」

「分からないね」


 僕と妙子が顔を見合わせた。


「見て、このお父さんの顔。生き生きしてるでしょ」


 と西恋寺さん。


 コメント欄を見ると、包丁捌きが職人のそれ、とかマグロの生まれ変わり説まである、とか本当は記憶あるんじゃね? といった意見がたくさん寄せられていた。


「お父さん無事見つかったけど、どうする? 西恋寺さん良ければ今日シフト変わろうか?」


 僕が西恋寺さんを気遣って申し出た。


「悪いよ。私は普通に今日も働くよ。お父さん元気そうだし」

「元気なのかな……」


 思い切り記憶なくしているみたいだけど。


「それにもう迎えに行ったの。お母さんが」

「そうなんだ」

「うん。動画見せたら仕事休んですぐ行っちゃった。しばらく家に戻ってこないかも」

「へぇ、なら安心だね」

「うん。だから心配してないよ」


 西恋寺さんがうなずいて答えた。僕は西恋寺ママの行動をちょっと意外に思った。

 あのバリキャリなママでも、仕事を休んで旦那を迎えに行く程度には関心を持っていたらしい。それともいち早くぶん殴りたかっただけかも知れないけど。


 ともあれ、西恋寺パパが見つかって良かったと僕は思った。


「ねえ絢ち、それじゃ一人で留守番だよね」

「そうなのよ、妙ちゃん。晩ご飯どうしよ」

「あたし、泊まりに行くよ」

「ほんとに?」

「うん。最近、泊まりに行ってないし。二泊でも三泊でも」

「わーい。妙ちゃんとお泊まり。やったー」


 二人が僕の前でいちゃいちゃを始める。楽しそうで何よりだ。


「じゃあ戻ってきたら、お店の経営はいったん落ち着きそうだね」


 僕の言葉を受けて、西恋寺さんが首を捻った。


「どうなるんだろ」

「お父さん働かせたらいいっしょ」と妙子が言った。

「絢ちはまた学校に戻ってこれるでしょ」

「そうなるといいけど」


 素直に戻ってきてまたお店で働いてくれるのかは、まだ分からない。


 待つほかないね、という話をして僕たちは解散した。


 西恋寺さんはお店の準備を始める。妙子は塾があるからと先にお店を出て行った。僕も少しだけお店で残務をこなし、遅れて一人で帰路についた。


 道の途中でぼんやりと今後のことに思考を巡らせる。父親が戻ってくるなら僕の役割も近いうちに無くなるのかなと思った。そのうち何とかしようと考えていた融資の借換えだって父親が戻ってくるなら解決する。簿記受験も終わり、お店の手伝いもやらなくて済むようになる。


 あっけなくやってきた幕引きに、安堵した自分を感じながらも、どこか寂しさを覚えた。

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