その41
その日は、お昼の時間をもってCLOSEDの札が店先に掲げられた。
一七時を過ぎる頃にはすっかり日没を迎えている。暗闇の中で、巨大なとんかつ屋の看板が主張激しく目映い灯りを放っていた。
僕は学校から帰宅するといったん家に戻り、制服を着替えてからお店に足を運んだ。
正面入り口の扉を開けると店内の灯りが漏れ出してくる。一八.四坪の店内はすでに関係者で満席状態だった。席の配置がいつもと違う。中央に机が寄せられ、巨大なテーブルの島が二つ作られていた。そこに見知った人たちが着席し、開始の合図を待ちわびている。参加者らの頭上には折り紙で作られた輪っかの鎖みたいな装飾がいくつも垂れ下がり、二つの島の間には、僕の身長よりも高いクリスマスツリーが派手に設置されている。そのツリーに巻き付けられている小型のLEDライトが明滅を繰り返し、まるで生き物みたくツリーの周りを動き回っていた。
BGM代わりに流されているテレビの音をかき消すように、見慣れた声が僕の耳に届いた。
「九ちゃん入ってきたよ。揃ったんじゃない?」
声の主はサンタクロースの格好をしている。髭面で覆われていて顔が分からなかったけど、声を聞いて初めてその人物を特定できた。
「なんで姉ちゃんもいるの」
「なんでって、いちゃダメなの? 一人でクリスマス過ごせって言いたいの?」
「あたしが呼んだの。ホームページ手伝ってくれたじゃん」
妙子がその隣に座っていた。
「九くん、こっちの席空けといたよ」西恋寺さんがその正面で手を挙げる。
僕は西恋寺さんの隣にまで歩いて行き、ダウンジャケットを脱いでから、その残った一席に腰を下ろした。
「こんばんは。直接会うのは初めてですね」
「あれ、もしかして木村さん?」
「そうです」
「お世話になってます」
西恋寺さんとは反対側の隣席に座っている女子に頭を下げる。
WEBデザイン部の副部長の木村さんだった。お団子頭がトレードマークの可愛い先輩だ。
他にもWEBデザインを手伝ってくれた初対面の同級生や、僕が招待した簿記部の爆弾おにぎり先輩なんかも出席していた。招待状を色々な人に送ったので、二十人は集まっている。
於史さんが厨房から姿を見せた。料理皿を運んでくる。テーブルにはチキンやローストビーフ、おしゃれに飾り付けされたサラダなんかが並んでいた。
西恋寺さんが二リットルのペットボトルを手にして、僕のコップにもコーラを注いでくれる。サンタクロースの姉はストロングゼロを握り締めている。厨房内で副店長がとんかつを揚げていた。聞き慣れた油のじゅわーっという音が店内に広がる。
「副店長さん座らないんですか。そろそろ始めますよ」
妙子が振り向いて尋ねた。
「ここでいいよ。後で戻るから」
手元にある缶ビールを掲げ、副店長が返事をする。
奥のテーブルでは小さい子供が二人いて、幼い方の子供は母親らしき人物の膝の上に座っていた。副店長の奥さんと子供たちだ。
「それじゃあ役者も揃ったことだし始めますか」
妙子が起立して、全体に聞こえるように呼びかける。
店内が静かになり、みなの視線がこちらに集まった。
「んじゃあ、今日の主役の九っち、乾杯の挨拶をお願い」
「僕がやるの?」
「そうだよ。主役だよ。ほら立って」
促され、僕が立ち上がる。みなの視線が僕に移った。
「なんの主役なの? 聞いてないけど」
「お店の危機を脱した的な? 良いから挨拶したらいいんだよ」
「あとね、お祝いも兼ねてるんだよ。九くんの」
西恋寺さんが隣で言った。
「簿記二級合格、おめでとう!」
西恋寺さんが手を叩いた。すると途端に拍手が沸き起こり、場が騒がしくなる。
「え! ああ、どうも。ありがとうございます」
僕がしどろもどろになって頭を下げる。
なぜか合格を祝われた。合格発表があってからもう三週間は経っているんだけど。
拍手が静まった後、僕が畏まりながら、ゆっくりと口を開いた。
「今日は、集まって頂いてありがとうございます。こうやって無事に年が越せそうな感じで、良かったなと思います。色々な人に手伝ってもらって、無事にお客さんもぼちぼち戻ってきましたし、経費も削減できて、資金繰りも当面は落ち着いて、なんとかお店の業績が上向いてきたかなと個人的には思っています。最初、僕がこのお店に始めて訪れたとき、西恋寺さんが店番をしてて」
「その話、長くなる?」
妙子から不満が漏れる。
「もうみんな待てないんだけど」
「こんな弟でごめんね。早く乾杯しよー」
姉がストロングゼロの蓋をぷしゅっと開封して、高らかに腕を掲げた。
みなもジュースの入ったコップを、いまにもくっつけて飲んでしまいそうだった。
僕の真面目な話はニーズがないらしい。
「じゃあ、色々とありましたが、来年もまた頑張って行けたらなと思っています。乾杯!」
「かんぱーい!」
雑に締めて乾杯した。緊張から解放された僕は、疲れた、と一言ぼやき着席する。コーラで喉を潤した後、自分の取り皿にローストビーフやサラダを取り分けた。ぐつぐつ煮え立ったビーフシチューも運ばれてくる。
「腕によりをかけて作ったの。ぜひ食べて。感想も聞かせて」
於史さんが料理をテーブルに乗せてそう言った。
お店にきて三ヶ月。すっかり場に打ち解けている。於史さんが来なかったら、お店が回らなかったなと考えると、改めて於史さんに感謝だ。救世主だ。
「ドリンクさ、温かいのもあるよ。ね、絢ち」
「うん。そこのポッドで沸かしてるよ」
カウンターの正面にお湯を入れるポッドが二台並ぶ。お茶とコーラと張り紙がしてある。
「コーラ? 温めてるの?」
「そう。九っちも飲んで見てよ。美味しいから」
と妙子が言って、紙コップに温かいコーラを注ぎ、僕の正面にそれを差し出してくる。
湯気が立っている。熱そうなので慎重に持ち上げて、ちょろっとすすってみた。
「お、なかなかイケるかも」
「でしょ。ホットコーラはもっと流行るべきだよ」
鼻の奥で香る生姜風味。炭酸は弱くなっているが、冬場に飲むと沁みる。これはアリだ。
「子供の熱燗みたいなもんかね」
姉が言った。
「アツカンってなに?」
「熱いお酒のことだよ。妙ちゃん」
妙子が首を傾げて、西恋寺さんが答えた。
「お客さんがたまにないか聞いてくるから覚えちゃった」
「ほー、まさか飲んだことあるの絢ち?」
「ないよ。飲めないよ」
二人のそんなやり取り。僕がピンときて発言した。
「熱燗か。ドリンク類は利益率が高いから扱うのいいんじゃない? 単価伸ばせそうだし」
「下らない冗談言うなよ!」
妙子がなぜかツッコんできた。
「なんで?」
僕が驚く。
「アツカンあつかったらいいって、いまダジャレ言っただろ」
「言ってないよ。真面目な話だよ。無理矢理だなおい」
「なら良いよ。許す」
妙子のダジャレセンサーは、今日も良好だ。
「あたしさ、思ったんだけど貸し切りはもっと宣伝しても良いと思うんだよね」
妙子が集客の話を始めた。
「会社のイベントとかで使ってもらうの」
「良いですね、ホームページに案内を乗せましょうか」
木村さんが言った。
「じゃあ、写真必要だよね。後で集合写真撮ろうよ。インスタにもクリスマスパーティーやったってお知らせするし」
西恋寺さんも話に加わる。
そこからサンタ姿の姉や於史さんも加わって、みなで来年の取り組みについて話し合った。お店のことになると話題が尽きない。後から後から、言いたいことが沸いてくるし、いろんなアイディアも生まれる。誰かと考えを共有して、問題に気付いて、一緒に頭を悩ませる。みなお店のことを考えるのが好きらしい。
それからも、たくさん飲み食いをして、あっという間に時間が過ぎていった。
途中、於史さんがケーキを運んで来てくれた。また盛り上がる。クリスマスと言ったら、イチゴのショートケーキだ。僕たちはデザートを食べながら、たわいもない話を続けた。
デザートも食べ終え、みなのトーンが徐々に下がってきた頃合いだ。天井近くに設置されているテレビから、聞き覚えのある声が流れてくる。
「ねぇ絢ち。あそこ近所の公園じゃない?」
妙子がまず気付いた。僕もテレビに視線を送る。
ニュース番組が放送されていた。
「ほんとだ。あれって学校でも話題になってた人だよね」
西恋寺さんもその人物を知っていたらしい。
ネットで話題の例の動画が、全国地上波で流れた。
『待てよ! 俺と一緒にぼっきしようよ! ボッキがしたいんだ!』
画面下部には「迷惑系YouTuber逮捕!」と太めのゴシック文字が挿入されている。
「あいつYouTuberだったんだ。どうでもいいけど」
妙子が関心低めに感想を述べる。
「チャンネルはBANされてもう見れないっぽいよ」
隣の木村さんが言った。
「じゃあYouTuberですらないのか。ただの犯罪者やん」
「確かに」
西恋寺さんが納得したようにうなずく。男は四十代の自称株式トレーダーだった。株式トレードの情報を発信していたが、人気が出ないことから過激なパフォーマンスに走るようになってしまったらしい。株式指南マニュアルも販売していた。二千円で。
「おや、なんか見たことあるぞ」
と僕が言った。
画面に映し出された株式指南マニュアルの表紙が、どこか見覚えのあるタイトルだった。
―― 二ヶ月で六千万稼ごう。アイたんの頂き投資マニュアル ――
「私が買っちゃったやつだ」
西恋寺さんが両手を口元に当てて、言葉を失う。
その後、みんなで爆笑した。なぜか厨房の奥に例のマニュアルがまだ保管されていて、みんなで中身を見て、また笑った。
爆弾おにぎり先輩が奥の席から移動してきて、マニュアルに目を通しながら、
「やばいよ。この著者は簿記を理解していない。投資やっていいレベルじゃないよ」
と真面目に評価を下していた。
「株価がなぜ上がるか分かってないんだ。チャート分析なんてしたところで、予測できる訳ないだろ。ヘンなシグナル主張してる暇があったら簿記学ぼうよ。やばいよ」
すると髭面の姉も酔っぱらいながら話しを被せる。
「分かる。ダメよこのマニュアル。何事も安易な方法でお金が増えるなんて美味しい話が、ある訳ないじゃない。そりゃ運が良けりゃ億り人になったりできるかも知れないけど、再現性がなきゃビジネスじゃないのよ。九ちゃん分かる?」
「姉ちゃん酔いすぎだって」
「酔ってないのよ。私は。まだ五杯目だから。ね。それで、ビジネスって言うのは何事も地道にこつこつ、従業員の魂すり減らして大きくしていくものなの」
「ブラック理論辞めてよ。うわっ、酒くさっ」
「聞きなさいよ。ちょっと。ちゃんと評価されてるビジネスってのは、時間かけて生まれてるの。簡単にお金が増える道は、誰もやらないような犯罪みたいなことばかり。楽する連中が、ああいう迷惑な活動始めるのよ。だから九ちゃんは全うに仕事をしてね」
「いや待って下さい。お姉さん。やばいよ。そこは俺にも言い分があるんですよ」
爆弾おにぎり先輩がなぜか姉に絡み出した。いつから仲良くなったんだ、君たち。
「犯罪みたいなことやる連中が、楽してるとおっしゃいましたね」
「そうでしょ。違うの?」
「時に犯罪みたいな、でもぎりグレーな事も起業家はやらなきゃ行けない時があるんです」
「起業家の話してないのよ。でも分かる」
「分かってもらえますか? やばいっすよ」
「私の会社も労働基準法を時に破らなきゃ行けない時があるんだって、社長が話してるもん」
「やばいよ。それは単純に、やばいよ。引くよー」
二人で終わらない会話を巡らせていた。
僕はその場から離れて、厨房で一人、水を飲んだ。少しだけ冷静になる。
奥の席ではなぜかハッピーバースデーを歌っている。誰の誕生日か知らないけど。
こうやってクリスマスパーティーを楽しく祝えるなんて、二学期が始まった時には夢にも思わなかった。友達が三人連続でいなくなり、西恋寺さんまで辞めると聞いたときは、絶望の淵に立たされていたのに。それが嘘のように二学期が充実してしまった。
思い返すと、あの日、このお店にたどり着いたことが全ての始まりだった。もしもあの恐ろしい変態に追いかけ回されていなければ、僕の未来は、また違ったものになっていたのかも知れない。そんなことを思い返してみると、形はどうあれ、僕はあの逮捕されてしまった変態に、少しは感謝すべきなのかも知れない。
ありがとう、全身タイツ男。娑婆に戻ってきたら、今度はまっとうに生きてくれ。
あと、もう二度と夢には出てこないでね。
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