その11
「さっきも言ったように、資産から負債を差し引いたら差額が出るでしょ。これが純資産なんだけど、ここがマイナスなら債務超過って言って本格的にまずいんだ。この決算書だと一〇万七千円でぎりぎりプラス。このままだと来期にはマイナスになると思う。ほら全体の数値の割合で見てみてよ。純資産より遙かに負債の割合の方が大きいでしょ。まずいシグナルだよ」
「ええ、じゃあ、やっぱりまずいってこと?」
「直ちに終了という訳じゃないけど、非常に厳しい。そんな評価かな。
僕は続いて、貸借対照表の後ろに隠れている損益計算書を上に持ってきた。それを指さす。
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(損益計算書(略図))
https://kakuyomu.jp/users/mogumogupoipoi/news/16818093089685567227
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第三期の「営業利益」も「当期純利益」もマイナス、つまり赤字だった。損益計算書には企業の一年間の業績を表す「売上高」や「売上原価」「販売管理費」などが記載されている。この決算書では最終的な純損益は二七〇万円程の赤字だ。早く手を打たないとまずい。
簿記の勉強では、この貸借対照表と損益計算書の二つを完成させる事が一つの目的となる。完成させるためには「
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(「仕訳」説明の図)
https://kakuyomu.jp/users/mogumogupoipoi/news/16818093089685646506
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「そういえば西恋寺さん。いまって経理の人がいるんだっけ?」
「一人手伝ってくれてる人がいるの。主婦の人。ですよね、飯田さーん」
西恋寺さんに手招きされ、副店長がこちら側に歩いてくる。手拭いで濡れた手を拭きながら、そのまま話に加わった。
「リモートで経理やってくれてる人がいるんですよ。五十嵐さんって方」
「社員さんですか?」
「いや外注だよ。埼玉に住んでて、毎月一回だけこのお店にやってきて、領収書とかレシートとか全部渡してる。持ち帰って作業してもらってる」
「あとから綺麗にファイリングされた資料が届くの。郵便で」
と西恋寺さんが付け足した。
「この決算書を作ったのも、その人ですか?」
「違うよ。その主婦の人は月次の経理だけ。ええと、ちょっと複雑なんだけど」
と副店長が腕組みをして、説明を加えた。
「税理士に依頼したのは今回のその決算が初めてなんだ。それまではオーナーが自分で申告してたらしくて。でも今年は決算の途中でオーナーが居なくなっちゃったから、その五十嵐さんが慌てて税理士の人を見つけてくれたって感じ。僕も五十嵐さんに任せきりだから、数字はよく分からないんだけどね、正直。食材の発注は僕が五十嵐さんにお願いしたら、支払いまでやってもらえるので助かってるけど」
「それで副店長、慌ててたんだ」
「こっち側で用意する資料は僕も手伝ったから、大変だったよ。税理士の人からも急かされて。決算って二ヶ月以内にやらなきゃ行けないんだってね。八月末が期限で税理士の人に話を持ち込んだのが八月半ば頃だから、二週間しかなくて。でもなんとか申告してもらった」
「ふえー、大変そうだな。会社って」
妙子が二人の話を聞いてそうつぶやく。そして副店長に尋ねた。
「いまお店で困っていること教えて下さい。あたしたちにできることなら、なんでもやります!」
「困っていること、間違いなく人だよ。人が足りていない。もうネコ型ロボットでもいいよ。オーナーの抜けた穴をまずは埋めないと。大変だよ」
話を聞いて情報を整理する。西恋寺さんが厨房から小さめのホワイトボードを持ってきて、そこに『とんかつあぁや』の基本情報を書き並べた。
▽営業日:火曜〜日曜日
▽休業日:月曜・祝日
▽営業時間:一二~一四時、一五時~二〇時半(ラストオーダー二〇時)
▽従前のシフト
(厨房調理) 【火・木】パパ 【水・金・土・日】副店長
(フ ロ ア)【火・木】愛絢 【金】パパ 【水・土・日】小久保さん※退職済
▽パパ失踪後のシフト
(厨房調理) 【火・水・木・土・日】副店長 【金】愛絢 ※ワンオペ、カレーの日
(フ ロ ア)【火・水・木・金・土・日】愛絢(死にそう)
フロアは西恋寺さんが全日こなしている状況だった。厨房調理はオーナーの抜けた二日のうち副店長が一日多めに出勤して穴埋めしている。それでも金曜日だけは厨房担当が不在という状況になっていて、その日が例のカレーしか出せない西恋寺さんワンオペデイ、通称カレーの日の正体だった。調理担当がいない日が一日あるのは、もはや致命的と言える。
「娘が六歳で息子がまだ二歳なんだ。だから週四勤務に戻したいのが本音だよね」
副店長が家庭事情を話す。
「それで調理師募集してたんだ」
妙子が納得したように言った。店先で求人募集の張り紙をしている。
僕も入店時にそれを見ていたことを思い出した。
「先週に張り出したの」
西恋寺さんが答える。
「あとね、フロア担当のアルバイトの人も一人欲しい。先週に水土日の三日働いてくれていた小久保さんが退職しちゃって。いま私が週六で働いてるんだけど」
「これって丸一日、働いてるの?」と僕。
「お昼と夕方以降で一日だいたい八時間半くらいかな。たまに帰り遅くなる」
「やばいよ、絢ち働きすぎ。死ぬよそれ」
僕も驚いた。学校辞めると言い出す訳だ。
「せめて週二日でもいいから、働いてくれる人見つけたいなって」
「あれ、そう言えば九っち。バイト探してなかったっけ?」
妙子が思い出したように言った。
「探してたと言うより、姉ちゃんに働けって言われてるね」
「じゃあ決まり!」
「決まり? なにが?」
「いいの鳥羽くん?」
「いやいや、だって接客でしょ?」
「食器洗いと掃除と、食材数えたり、あと書類の整理とかもあるよ」
「全部じゃん。接客はなー、僕接客だけはなぁ」
裏方の仕事ならやっても良いけど、接客ときたもんだ。僕が一番やりたくないバイトランキングで堂々の第一位が接客だ。人と話すとかやだ怖い。
「接客楽しいよ」
西恋寺さんが言った。
「そうよ、なに引きこもりみたいなこと言ってんだよ」
「私がちゃんと教えるから」
おや、と僕は思った。西恋寺さんから教えてもらえる。冷静になって考えてみたら、これって役得かも知れない。春の訪れだろうか。そう思い直したら、僕の中のネガティブな気持ちがゼロコンマ二秒で吹っ飛んだ。僕は接客ができる男だ。間違いない。
「分かったよ。頑張ってみるよ。週二日でいいの?」
「二日でいい。すっごく助かる。あ、お客さん来たから離れるね。また細かい話はあとで」
「絢ち、ガンバ」
手を振りながら、西恋寺さんがまた仕事に戻ってゆく。
僕と妙子はそれからもあれやこれや作戦を立てた。
気が付くとお昼時になり、客入りが激しくなっていた。それでも満席とまでは行かない。
「いらっしゃいませー。二名様ですか? こちらへどうぞー」
西恋寺さんの接客の声が店内に響く。常連っぽい人もいて、西恋寺さんと見知った関係らしかった。なんというか、雰囲気全体が緩いのがこの店の特徴だ。「お父さん見つかった?」と一人のお客さんが心配そうに尋ねる。「まだ、手がかりもなくて」と西恋寺さんが答えると、「早く見つかるといいね」と言って、ビールをもう一杯、頼んでくれる常連客もいる。地元ではこのお店は知る人ぞ知る感じのお店だったようだ。
セルフでお水を汲んできた妙子が席に戻ってくるなり、口を開いた。
「いま一三時回ってるけどさ、この時間はもっとお客さん入って欲しいよね」
席数は三十二で、半分くらい埋まっている。
「ピーク時はせめて満席にできたらいいね」
「やっぱりさ。経費を削減するのも悪くないけど一番は集客だよ。あたしはそう思う」
スマホを触って、妙子がその画面をこちらに向けてくる。
「なにこれ?」
「AIチャットボットに聞いてみたの。ここに書いてある集客の方法を参考にしようよ」
箇条書きで集客方法が書かれている。まずホームページについて。
「このお店のホームページあるんだ」
「あるんだけどさぁ」
妙子が難しい顔つきになる。僕もスマホでとんかつあぁやのホームページを調べてみると、とても見にくい画面がブラウザ上にぱっと表示された。
「なるほど」
レイアウトなどが崩れている。なにより、とんかつ屋の雰囲気が全く感じ取れない。TOP画像に表示されたのは、お店の外観でもなければ、メニューのとんかつでもない。西恋寺さんの幼少時のモノクロ写真だ。三歳、五歳、七歳と三枚も使われている。愛が深すぎて怖い。
「絶対ダメだよね、これ。普通にやった方がいいよ。謎の記号とかもあるし」
妙子が酷評する。謎の記号というのは<div classや<img src=‟https://aaya-tonton……とかだ。
「これHTMLだよ。課題でちょっとやった。WEBページ作るためのマークアップ言語」
「あたしプログラミング受けてないんだよね。大学受験組だから。なら九っちこれ直してよ」
「ええ……僕も初心者だし。でも姉ちゃん詳しいから聞いてみるよ」
姉の和子はWEB系会社で働いている。下請けの下請けの下請けって言ってたけど。
「じゃ決まりね。君、これ直す。あとSNSはさ、仲のいい友達いるからお願いしてみる」
「分かった」と僕。
「次は、レビューとか増やしましょうって書いてる」
妙子が机に置いたスマホで大手の口コミサイトを表示した。とんかつあぁやの評価は3.32。口コミの数は41。ここ最近のレビューがいずれも低評価だった。
☆☆★★★(星二) とんかつ屋にきたと思ったらカレーしかなかった。WHY?
☆★★★★(星一) 床、べったべたやん。ゴキブリほいほいか!
早くなんとかせねば……。僕と妙子は目線だけを合わせて、同じ気持ちを恐らく共有した。
「そうなのレビューが下がってきてるの。どうしよ」
西恋寺さんが
「これさ、みんなで星五入れるのダメかな。クラスの友達にもお願いして」
「ダメでしょ。絢ちなに言ってん? それサクラって言うんだぞ」
妙子が西恋寺さんの太股をぺちぺち叩きながらツッコミを入れた。
「やっぱりダメなんだ。だよねー」
西恋寺さんのこと、ちょっと分かってきた。たまに突拍子もない発言をする。適当なのか真面目なのかよく分からない。妙子がスマホ画面を見ながら言った。
「でも評価を呼びかけるのはありっぽいよ。お会計の際にお願いするとかどう?」
「それならできる。それやろう!」
「ねえ、絢ち。十四時にいったん休憩でしょ? 競合調査行こうよ」
「競合調査? なにそのカッコいい四字熟語」
「近くのライバル店を参考に見に行くの」
「いいよ。一時間休憩あるから。ちょっと待って」
西恋寺さんがすぐ戻ってくる。
「副店長に聞いたら、二時間空けても良いって。十六時まで」
「よし、そうと決まれば二店舗回ろう!」
僕たちは西恋寺さんを待った。そのあと一四時過ぎになって、三人揃ってお店を出た。
目指すは最寄り駅にある、ライバル店だ。
「今日はとんかつパーティー、食うぞー」
妙子が上機嫌で前を歩く。ウキウキしているときの雰囲気も姉に似ているな、と僕は思った。
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