その25

 店先で写真撮影が行われていた。西恋寺さんが巨大な看板の下で可愛らしいポーズを決めている。その正面、二メートルくらい離れた場所でごついカメラを持った人が西恋寺さんにレンズの先を向けていた。


「おー、九くん。ちょうど良いところに」


 西恋寺さんが手を振る。


「ナイスタイミング」


 なにが? と返事をしようとしたところで、僕はなにやら白いでっかい板を手渡された。


「これをこっちでこう持って」

「もうちょっと右で行けます?」


 カメラマンから指示を受ける。二十代くらいの年上のお兄さんだ。ちょっとファッションが陽キャっぽくて、僕とは合わなさそうな雰囲気を醸し出している。


 カメラを覗き込みながら、その人が声を張り上げた。


「いいね! はい撮ります」

「はーい」


 二人のやり取りで撮影が進んでいく。


 僕はなぜこの撮影に参加しているのかも、白い板を持たされているのかも、理解できない。


 でも撮影した西恋寺さんの写真は、後から僕も見せて欲しい。そこんとこ、よろしく。

 撮影が一区切りして、僕も店内に入った。


「おお、なんかセットされてる」


 テーブルがいつもと違う配置で中央に寄せられて、その周辺にごつい三脚が二つくらい設置されている。於史さんがテーブルの上に運んできたお皿を乗せた。おかわりキャベツ七〇円。しゃきしゃきのキャベツが盛られた一品メニューだ。


「お腹すかせて来いって、そう言うことか」


 僕は理解した。メニューを片っ端から撮影した後は、みんなで食べるのだ。

 厨房では副店長と於史さんが二人で調理をしていた。もう半分くらい撮影が進んでいるようで、奥のテーブルにロースかつ定食やヒレかつ定食、一品ものメニューが既に並べられていた。杏仁豆腐も透明な小皿に盛られている。


「さっき動画も撮ってもらったの」


 西恋寺さんが教えてくれる。今日の撮影でHPの写真素材とチラシ素材を準備する。それとメニュー表もリニューアルして全部、ビジュアルで見せるようにすると、妙子が話していた。


 現メニュー表は文字だけで作られている。それとは別に、オープン時に撮影したと思われる主力の定食の写真が何枚か店内の壁とかに貼られていた。

 これだけだと注文時に全メニューのイメージが掴めない。

 しかも、定食を盛り付けている食器がどこかのタイミングで変わったらしく、写真通りのものが出てくる訳でもない。

 そういった不親切な問題を抱えていた。



 カメラマンさんが一人で撮影を進めていく。僕が外で持たされた丸い板みたいなものは、大きな三脚で固定されていた。一つの丸テーブルを囲うように、さながら即席のスタジオとなっている。興味深く見ていると、厨房の奥からチーン、という音がした。


「あっ、できた」


 西恋寺さんが店の奥に消えたかと思うと、一分もせずに戻ってくる。


「うわ、出たー」


 僕の口から思わずこぼれる。カレーだ。


「あれ、なんか豪華になってない?」

「でしょー。カツカレーこんな感じで行こうと思って」


 レトルトカレーの上にキャベツが敷かれ、とんかつが乗っていた。さらに半熟卵を真ん中でカットしたものが二切れ、綺麗に添えられている。


「あ、たまごは一品ものオプションだよ。別売りで七〇円」

「これだと美味しそうに見えるね。ルーも色が変わった?」

「気付いた? そうなの。昨日、於史さんと一緒に選んだの。五種類くらい業務用カレーを買って、このJ&Bの特製カレールーがいいねってなったんだよ」

「へぇー。美味しそうじゃん」


 机の上に置かれたカレーを見つめて、カメラマンさんが一人つぶやいている。


「もうちょっと、こう。こういう感じか」


 丸いお皿を回転させてベストポジションを探る。キャベツの納まりが良くなかったのか、さい箸で調整を加える。いくらかのキャベツが別の皿に取り除かれた。不要だったみたいだ。


 細かいなこの人、と僕は思った。それから何枚も撮影をした。


「インスタ用にも撮らせて下さい」


 西恋寺さんがスマホを取り出し、カレー撮影を始める。


 ばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃ。ばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃ。


 何枚連写で撮る気だ。相手はカレーだぞ。


「レフ版、置いた方がいいよ」


 カメラマンさんのレクチャーが始まる。僕がまた白い板を持った。レフ板と呼ぶらしい。


「料理を取るときは、反逆光がいいんだ」

「反逆光?」

「光がいま料理の向こう側から差し込んできてるでしょ。正面に向き合うと逆光で、四十五度回ると反逆光。右回りでも左回りでも反逆光。九十度回るとサイド光だよ。反逆光の位置から撮影すると陰ができて立体感が出るから、料理が美味しそうに見える」

「へぇ」


 知らない世界が広がる。


「でも逆光だと陰が暗いですよね」西恋寺さんが質問する。

「友達と写真撮るときいつもこう、明かりの方を向いて自分たちの顔を明るくしてます」

「順行ね。その通りで逆光や反逆光だと手前が暗くなるから、レフ板で光を跳ね返すんだ」


 僕が料理の手前に白い板を近づけると、確かに、陰が不思議と薄くなった。


「これ光が跳ね返ってるんだ」

「そう。レフ板じゃなくてA4の白いプリンター用紙とかでも跳ね返るよ」

「こんな感じでいいですか?」


 西恋寺さんが尋ねる。カメラマンさんが西恋寺さんのスマホ画面を覗き込んだ。


「もうちょっと横に寄せよ」


 そう言って西恋寺さんの手首を掴んで、スマホを動かす。


「お皿全体が中央に映ると、ただの記録写真になるから。日の丸構図って言って退屈感出るんだ。SNS用ならこうやってズームしてお皿は欠けた状態で、料理がはっきり見えるように写すといいよ。カツに焦点当てる。スプーンなんかは写さなくていいよ」

「わあすごい。なんか、っぽくなった」


 そのやり取りを眺めて、僕は内心で怒りがめらめら燃え上がっていた。

 なに西恋寺さんに手取り足取り教えてんだこの人。よく見るとイケメンじゃないか。耳にピアスとかしてるし。モテそうな雰囲気漂っているぞ。


 いますぐ出禁にするか。そうしよう。それしかない。


「普段、こういう撮影されてるんですか?」


 西恋寺さんが尋ねる。


「いや普段は料理はそこまで撮る機会ないかな。コスプレの事務所から仕事もらって、レイヤーさん撮影してる事が多いな」

「えー、コスプレ興味あるかも」

「やったことあるの?」

「ないです。え、でも一度はやってみたいかも」

「じゃあ名刺、渡しとこ。君、可愛いから似合うと思うよ」


 そう言って名刺を受け取っていた。


 僕はレフ板に爪を立て、その様子を黙って見ていた。西恋寺さん。その男は、間違いなく狼だ。臭いで分かる。そんな男に騙されちゃダメだ。目を覚ませ。と、心の中で叫んだ。

 会話に入りたくても、カメラの話についていけない。僕はただ見守るしか出来なかった。

 もしこの場に妙子が居たら、間違いなく激怒しているだろう。ハエ叩きを振り回して「この毛虫野郎!」と叫んでいたに違いない。だけど間の悪いことに妙子は本日不在。模試が迫っているようで一週間くらい活動に参加できないと伺っている。


 なにしてんだよ妙子。守護神は、お前だろうが。


 僕はその後も、もやもやを抱えたまま、撮影を手伝わされた。撮影が終わった後、みなで撮影した料理を食べた。嬉しいはずのお食事会が僕の中で、お通夜状態になってしまった。


「あのカメラマンさん色々教えてくれたねー。これでインスタの写真いっぱい撮れるね」

「そうだね。よかったね。ふはは」

「あとコスプレの話、すごい面白かった。いいよねー」

「興味あるのコスプレに?」

「うん。楽しそう。やってみたくない?」


 西恋寺さんが無邪気に僕の心をえぐってくる。年上が好みなのかな? それともカメラマンが好みなのかな? もし僕がカメラを始めても、こんな感じで喜んでくれる気がしない。あれは何というか、イケメンにだけ許された会話だった。僕が三回生まれ変わっても、あの会話は導き出せない。悔しい。悔しいぞ、チックショー。


 西恋寺さんの心が読めなくて、もやもやが募る日となった。


 帰宅して、撮影が無事終了したことを妙子に報告する。

「撮影終わった。データは後日もらえる。早く戻ってきてー。守護神」


 そんなメッセージをチャットアプリで送る。すると数秒でグッドの指スタンプが届き、続けて「?」が送られてきた。それからの返答はなかった。


 模試の勉強が相当、忙しいみたいだ。

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