その24

 新しく入った調理師さんと初対面した。西恋寺さんもその日は厨房にいた。


「こちら於史おかしさん」

「於史っていいます。名前はおかしですけど、食べれません。よろしくお願いします」


 厨房でお互いに挨拶を交わす。珍しい苗字をした女性だった。見た目はちょっとふっくらした顔立ちで温和そうな雰囲気が漂う。僕がお店に来た時には既に白の調理服を着用していた。


「初出勤で緊張しますね。私ここのお店、たまに来てていいなって思ってたんです」


 住まいも近いらしい。


「週二日勤務だし、ちょうど自分のスケジュールとも合ってて」

「他に仕事してるんですか?」と僕。

「料理教室やってるんです」

「料理教室? 料理を教えてるんですか?」

「そうなんです。お菓子も作れます!」

「へー、すごい」


 なんと、即戦力が来てしまったようだ。しかもなんか面白い。


「於史さんはね、以前はお弁当屋と旅館でも働いてたんだよ。ね?」


 西恋寺さんが話しに加わった。


「そうなんです。ちょうど一年前に独立して小さい教室を始めまして。だけど教室は毎日やる訳じゃないから、空いてる時間で働きたいなって」

「新しいメニューとかも一緒に考えてくれるんだよ」

「任せて下さい。決まったものを作ってると飽きてくるじゃないですか。求人に新しいメニューなんかも考案できるって書いてあったのを見て、これだって!」

「一品ものなんかを増やしたいねって、副店長とも話してたんです」


 西恋寺さんが言った。


「いいですね。あとデザートがないのが、私の中で物足りない気がしてて」

「あ、私も食べたい。バニラアイスとか?」

「そうそう。あと、掃除もした方がいいですよ。気になってたんです」

「わー、ごめんなさい。私の手が回ってなくて。先週からちゃんと掃除始めたんですよ」

「私も調理の合間に気付いたところから、やって行きますね。掃除用具なんかも足りないものは相談します。旅館で教え込まれたので」


 二人が楽しそうに会話を続ける。話しやすそうな人で僕は安心した。


「あとは内装ですね」


 と於史さんが言った。


「私レトロな家具とか好きで、このお店の雰囲気も良いんですけど、小物とかちょっとずつ違うんですよね」

「わかるー」


 西恋寺さんが深くうなずく。


「これとか、浮いてません?」

「わかるー」


 カウンター周りに置かれている小さな人形を指さして言った。がちゃがちゃでゲットしたような人形たちが、とりあえず並んでいる。


「それお父さんが寂しいからって並べてたの。要らないよね」

「もっと世界観を統一した方がいいと思うんですよね」

「じゃあ於史さんも一緒に内装とか手伝って欲しいです。私もあの飾ってる写真、どうにかしたいなって思ってたし」


 あの写真とは、幼き日の西恋寺さんのモノクロ写真だ。


「もちろん協力します。そうと決まれば早く仕事を覚えないとですね。頑張ります!」


 於史さんのモチベーションは高かった。


「これでカレーの日はなくなっちゃうのか」


 西恋寺さんが思い出したようにつぶやく。


「ちょっと寂しい気もするね」


 お店の評判を考えると、カレーの日がなくなるのは喜ばしいことだ。なのだけど、西恋寺さんは案外、このカレーの日がお気に入りだったらしい。


「たまにならカレーの日もいいのに。……あ、そうだ。もし副店長と於史さん、二人とも働けない日が出たらカレーの日にしようよ」

「せめてレンチンは辞めない?」


 僕が言った。


「そう? じゃあ音だけ響かないように奥でチンする?」


 いや、そうじゃない。カレーなら煮込め、と僕は言いたい。

 切って炒めて、ぶち込んで、煮込むだけだ。それがカレー。


「西恋寺さんもカレーなら作ったことあるんじゃない?」

「私、料理したこと一度もないの」首を振って答える西恋寺さん。

「そうなの?」

「うん。お父さんが包丁をもったら危ないからって」


 過保護か。西恋寺パパは過保護なのか。おかげでレンチン娘が誕生しちゃったじゃないか。


「レトルトで良いと思いますよ」


 於史さんがそう言った。


「ええ? レンチンですよ?」

「レトルトで提供しているお店って少なくないですよ。カレーをメインにしているお店だと、スパイスからオリジナルで用意してることもありますけど、最近のレトルトは美味しいのでレンチンで十分なもの提供できるんですよ」


 僕は驚いた。調理師さんがそんなこと言ってる。


「カレーって保存がネックですよね。全部使い切れるくらい注文が来るならまとめて作っちゃえば良いんですけど、サブメニュー扱いならレトルトの方が提供しやすいかなと思います」

「冷凍保存したらいいかと思ってました。一ヶ月くらい持つし」

「それレンチンと一緒じゃないですか。自分で冷凍すると手間かかりますよ。このお店にある業務用の冷凍庫だと、一度ボールに移して祖熱取らないと菌が繁殖しちゃうので、慎重にならないと行けないですし。あと、カレー用の野菜を買って冷蔵で保存しておくのも、管理の手間が増えますよ」

「そうなんだ。作る手間に見合うほど売れないと意味ないですね」


 そこまで僕は頭が回っていなかった。改めて考えてみると、野菜の管理が増えるのは好ましくない。すぐ賞味期限過ぎるし。使い切るために好きなメニューを作ればいい、という家庭的な判断ではお店は回らないのだ。


「それか、いっそカレーをメニューに加えちゃうのはいいと思います」


 於史さんが提案した。


「いまってメインの定食が三つと、一品ものが五つじゃないですか。あと気まぐれ日替わり定食。これだと常連さんも飽きてくると思うんですよね。メニューが固定になってるので。カレーがあればとんかつカレー出せますし」

「それはカレーはレトルトで行くんですか?」

「です。最初はレトルトから始めて人気メニューになったら野菜買ってもロスが出なくなっていいと思います。やってみないと分からないですが、カツカレーは定番狙えると思います」


 僕は妙子に教わった餅は餅屋、という言葉を思い出した。最近カレー作りに目覚めた僕なんかより、この人にメニューを考えてもらった方が上手く行きそうだ。


「でもレトルトをチンするのは、なんか評判が下がる気がするんですよね。僕もレンチンカレー出てきたとき、テンション下がったので」

「ええー、下がったんだ。美味しいって言ってたのに。なによもう」


 西恋寺さんがふくれっ面になる。


「味は美味しかったよ。カツが乗ってたし」

「ほんと?」

「でもなんか、ごめん。やっぱりレンチンに八八〇円か、とは思った……」


 素直に言っちゃった。於史さんが尋ねてくる。


「レトルトって、いまなに使ってるんですか?」

「平凡カレー。スーパーで買ってきてます」


 西恋寺さんが答えた。


「あー、それは私も萎えますね。業務用のレトルトからカツにあったもの選ぶのがいいです。要は提供の仕方だと思うんです。私が働いてた旅館でもレトルト活躍してましたし。愛絢ちゃんがさっき話したように、レンジの音が聞こえなければ不満を持つお客さんも減ると思いますよ。重要なのはレトルトかどうか、ではなくて提供の仕方とか、作法の方かなと私は思います。味って案外、突き詰めてこだわってもそこまで高く評価されないんですよ。こだわりの食材なんかもグルメな人にしか伝わらないですし。それより雰囲気の方が大切だと思います」

「ほら、じゃあやっぱりレンジを奥でチンだよ」


 西恋寺さんが僕に向かって言った。


「レンジでチンが正しいよ」


 繰り返す。めちゃどや顔で言われた。


「うん。分かったよ。じゃあレンジの音を隠そう。いや、そうじゃなくて、西恋寺さんのワンオペデイが発生しないのが一番だけど」

「そうだね。これからは、毎日がカレーの日だね」


 とんかつ屋であることは忘れないで欲しい。お客さんもたぶん、それを願っているはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る