その27
「あたしがいない間になんかあった?」と妙子。
「いや特に。あ、でも、毛虫野郎が西恋寺さんを狙ってたよ」
「毛虫野郎? なにそれ」
「妙子のキメ台詞じゃん。忘れたの?」
「知らないよ。それよりあんたの話してた通りクーポンも入れたから」
「ああ、うん。入ってるね。これ持ってきてもらったら百円引きだよね」
僕がそう答えて、背中のリュックからチラシを一枚、取り出した。チラシは両面デザインだ。表面に赤と黄色で目立つように割引クーポンのデザインが施されている。丁寧にキリトリ線まで入っている。そのチラシを改めて確かめてみたところ、裏面の下半分に西恋寺パパの顔写真が掲載されていた。運転免許証の無愛想な写真だ。見出しの文字が目に飛び込んでくる。
――行方不明の父、探しています。
「ええ……、このチラシ、父親のことも書いてるんだ」
「ストーリー大事だってAIが言ってたから。お店の紹介だけじゃありきたりでしょ」
「西恋寺さんの写真もここで使われてるんだ」
「絢ちの笑顔、満開でいいっしょ」
一度見ただけで覚えてもらえそうなのは確かだ。西恋寺さんが店先でピースしている。その下で行方不明の父、探していますと書かれていて、見方によってはサイコパスな感じが漂う。西恋寺さん、笑顔が満開サイコパス少女みたいになってる。
「これをポストに投函すると?」
「違うよ。ポスティングじゃなくてピンポン」
「ピンポン? まさか、呼び出すの?」
「そうだよ。あんたこのチラシがポストに入ってたら、どうする?」
「捨てるよ。その場で」
即答する。ただしピザだけは取って置いてと姉に頼まれている。稀に宅配を頼むから。
「見てもらえないのが普通でしょ。だから手渡しするんだよ」と妙子。
「うーん、それは嫌がられるよ。人によっては怒ってくるかも」
「大丈夫だって。怒られたら謝ればいいの」
「そんな、僕は無理だよ」
「度胸ないな。やる前から心配して」
「いや、でも……」
「売上伸ばしたいんだろ。やるんだよ四の五の言わず」
妙子の眉間に皺が寄る。議論の余地はないと言いたげに。
決定は覆らない。妙子みたいな女子が将来、バリキャリの道を極めるのだろう。
「この辺のエリアから回るか」
少し歩いて、妙子が言った。スマホのマップを開いて、僕にルート説明をする。
「ひとまずあの一軒家、九っち行ってみて」
「行ってみて? どういう感じで?」
「インターホン鳴らして、あとは好きにして」
「いやいや、そんな迷惑だよ」
「どうして? 訪問販売とかそう言うの来たことない?」
「牛乳が来たことはあるけど」
「一緒だよ。ほら、早く。ちゃっちゃと進めよ」
妙子が離れた所でこちらを監視している。僕は言われるがままに、知らない一軒家のインターホンを押した。ぴんぽーんと音が鳴る。
『はい。どちら様ですか?』
『あのー、いまチラシ配ってまして。とんかつ屋やってるんですけど』
『あーそういうのいいです。全然要らないんで。ポストにも入れないで下さい』
『ああ、はい。わかりま――』
ぶつっと切れた。僕は泣きそうになった。もう少し優しくしてくれてもいいのに。
「言い方、適当すぎ。そりゃ切られるわ」
寄ってきた妙子に肩を叩かれる。
「殺せ」
「なに弱気になってんの。数だよこう言うのは。数打つの」
「無理だよ。なんだよいまの対応は。姉ちゃんと一緒じゃん」
「次行こ、次」
「次あるの? きつ。どうしてそんな前向きなの? 僕の心は繊細なんだ。妙子とは違うよ」
「あたしが雑な女みたいに言うじゃん」
「そういうところはあるよ」
「傷つくなーそういうの」
「悪い意味じゃないよ」
「なんのフォローだよ。やっぱり、あんたのそういう所が嫌だわ」
「ええ……死体蹴り? どう言うとこ?」
「逃げ道、作ってるとこ。消極的なとこ。もっと本気になれよ」
「本気だよ僕」
勉強もお店を救うことも。ただ、こういう配るのが苦手なだけだ。失敗したら誰だって凹むに決まっている。しかも自分でも特に乗り気じゃ無いことを強要されて、結果失敗したらなおさらだ。自分の存在価値を疑う。僕の責任じゃないだろそれ。不可抗力じゃん。
「とにかく僕のライフポイントはもうゼロだよ」
はぁ、と妙子がため息を漏らした。面倒そうな表情をしている。
「どうして、こんなのを絢ち選んだかなー。最大のミステリーだわ」
「ん? どういうこと? 選ばれたの僕?」
「自覚無いのかよ。天然か」
「いや全然そんな気しないし脈なさそうだし。僕はイケメンカメラマンみたいにはなれない」
「なんの話? どうでもいいけど、脈とか気にしてたんだ。おかし。はは」
妙子が笑った。なに笑とんと僕は思った。
「どうしたら、もっと距離を詰められると思う?」
「ええー、あたしにそれ聞く? 本人に聞けばいいでしょ」
「いや妙子なら聞ける。話しやすいじゃん」
姉みたいに。すると妙子はちょっと恥ずかしそうに鼻を掻いて、答えた。
「あんたのこと、なんか気にかけてるんだよね。絢ち」
「そうなの? 本当に?」
仲のいい妙子からそんな言葉を聞いて、僕は驚いた。妙子が不満そうな表情で続ける。
「なんかさ、他の男が近づいてきた時と違うんだよね。あんた、なんか絢ちの弱みとか握ってるんじゃない?」
「そんなことないよ。弱みって」
「もしかして絢ちを脅したりしてないだろうな!」
妙子が怒り出した。
「そんなことしないよ」
僕が首を横に振って否定する。でも、よく考えると最近、かなりフレンドリーになってきた気もする。家にも招待してもらったし。知らない間に好感度が上がって来ているのだろうか。
「まあ、いいけど。絢ちを傷つけるようなことしたら、ただじゃおかないから」
どこまでも西恋寺さん至上主義だ。
「妙子はなんでさ、そこまでやれるの?」
僕が疑問を持った。
「西恋寺さんと同じ中学なのは知ってるけど。自分だって勉強忙しいのに」
仲良し以上の特別ななにかがあるのかも、と感じたからだ。すると妙子が考える素振りを見せた。言おうか言うまいか、悩んでいるように映る。しかし、まもなく重い口を開いた。
「あたしってさ、本音でずばずば言っちゃうこと、たまーにあるじゃん?」
「たまーにじゃないね。いつも本音じゃないの」
「あたしだって遠慮くらいあるわ。でも悩むのは時間の無駄じゃん。先にやらないと前に進まないならとりあえずやることにしてるだけ」
「それが関係あるの?」
「あるよ。こんな性格だから、中学の時はちょっと孤立しちゃってたんだよね」
意外だった。友達千人いそうなのに。
「でね、別にそれで良いんだけど、あたしと絡んだらダメみたいな雰囲気になっちゃって。そういうのあるじゃん。学校って」
「分かる。僕の中学でもあったなー。静観してたけど」
「でもね唯一、声をかけてくれたのが絢ちだったの。それからずっと仲良し。この子は裏がないなって」
それは僕も同意だ。西恋寺さんの優しさは人を選ばない。妙子が続ける。
「あたし、本当は普通科の高校に行く予定だったんだ。通信制高校なんてダメって親に反対されたの。あたしの親、教育熱心だから」
「僕も大学を目指すならM高じゃなくていいと思うけどな」
「九っちもそう思うでしょ。けど絢ちと同じ高校に通いたかったの。だから親を説得した」
「説得?」
「うん。絶対に第一志望の国立に受かるから、M高に行かせてって。押し切った」
「へぇ。それで妙子、受験熱心なんだ」
「そうだよ。失敗が許されないんだよ」力強い返答だった。
「そしたら絢ちが突然、学校辞めるって連絡が来たんだよ。ええっ? って思って。それじゃあたし、M高入った意味なくない?」
「めちゃめちゃ梯子、外されたね」
「意味分からないでしょ。だから、こうしてお店手伝ってんだよ。あと絢ちにも説教したったわ。勝手に辞めるなって。あの子、思いつきで変な行動するから」
「分かる。それは非常に分かる」
僕も焦った。勝手に学校辞められると僕も困る。妙子とは理由が異なるけど、西恋寺さんを助けたいという切実な想いだけは、素直に共感できた。
「なんか意外だな、妙子にそんな事情があったなんて」
「意外とか言うなよ。この話、絢ちには絶対、内緒だからね。大学の話は特に」
「言っちゃダメなの? 西恋寺さん喜ぶと思うよ」
「言ったら、あんたが絢ちのこと好きなのも、ばらすぞ」
「誓って言いません」
お互い言われたくないことは黙っておこう。それが礼儀だ。
「はい。無駄話はこれくらいにして、さっさと配るか」
妙子が言った。
「お手本見せる? それとも自分で配る?」
「お手本あるなら見たい。でも、わざわざ会ってくれる人なんていないと思うけど」
みんな忙しいのだ。誰がとんかつ屋のチラシ配りに来たやつなんかの話を聞きたいと思うのだ。僕だって取り合わない。インターホンで断っておしまいだ。
「よーし、じゃあお手本見せてやるよ。ちゃんと見とけ」
妙子が自信たっぷりに答える。そして一番近くにあった一軒家のインターホン前に近づいて行く。子供用の自転車と車が一台、車庫に入っている立派な外観の家だ。
妙子がインターホンを人差し指で押した。その様子を見て、僕の家に突撃してきた時のことを思い出した。なんの躊躇もなく人の家のインターホンを押せるそのメンタルが羨ましい。
『はい、もしもし』
インターホンから母親らしき人の声が届いた。
「初めましてー。あたし、M高校一年の真壁妙子って言います。あの、いま行方不明になった人を探していまして、ご協力頂けると有り難いんですけどー」
おいおいおい、話が全然違う。なに言ってんだこの女子。
『行方不明、ですか?』
「そうなんですー。ここからすぐ近くにあるトンカツ屋のオーナーが、八月頃からいなくなったんです。ここに写真もあります」
『ちょっと出るので、待って下さい』
そうしてインターホンがぷつりと切れた。
「ほら、成功したよ」
「ずるいよ妙子。それは、ずるだよ」
僕が妙子のやり口を非難する。
「なにが? 嘘ついてないじゃん」
「とんかつ屋の宣伝が目的だよね」
「絢ちのパパ捜すのも目的だよ。だからチラシにこの写真入れてんじゃん」
言ったもん勝ちみたいになってる。
そう言えば、僕の家にやってきた時も、お届け物でーす、とか言って解錠させられたっけ。結局、僕の家になにを届けてくれたんだ。ハエ叩き置いて行ったけど。届け物、あれ?
階段を下りてくる足音が聞こえてきて、玄関がゆっくりと開いた。女性が姿を見せる。
それから妙子とチラシを見ながら会話を交わし、最後にチラシを受け取っていた。
「よければお知り合いの人にもお願いします。チラシ何枚か渡しておきますね」
抜け目なく宣伝する。扉が閉まったあとに、妙子がこちらに向き直った。
「ほら、こんな感じ。話聞いてくれるっしょ」
「だいたいは理解したよ。でも妙子みたいに上手くやれる自信はないけど」
「世間話したくらいでしょ。あとは定型だよ。チラシに書いてあること説明したらいいの」
「まさかだけど、これ全部やるの?」
「リュックに入ってるのがノルマ。夕方までに終わらせよ」
「うそー、やれるのかこれ」
「やれるかじゃない。やるんだ。ほら九っち、これ何か言ってみ」
次の一軒家の呼び鈴を指さし、妙子が尋ねてくる。
「なにって呼び鈴だよ」
「呼び鈴は押すためにあるの。押さなきゃ呼び鈴じゃないの。迷惑とか考えなくていいから。押すためにあるの」
どういうメンタルしてるんだろう。サイコパスなのかな。
「もちろん全員がお店に興味持つとは限らないけど、そんなの当たり前じゃん。でも自分の住む町に、こーんな素敵なお店があるんだってこと、まだ知らないだけの人もいるはずでしょ。その人をあたしらは救うの。そう、これは救済。待ってるの世界が。とんかつあぁやを!」
一寸の曇りもない
「ほら、背筋伸ばして。笑顔でやれば成功率も上がる」
僕の猫背を押してくる。
「笑え。九っち」
妙子がスマイルの手本を見せてくれる。笑えば結構、可愛いのに。
「分かったよ。全部配れるかは分からないけど、一応やってみるよ。僕、今日は簿記の過去問を買って解こうと思ってたのに。全部できないじゃん」
「出たー簿記。絢ちも最近、ずっとそれだよ。役に立ってんの簿記?」
妙子が怪訝そうに尋ねてくる。僕が語調を強めて反論した。
「役に立ってるよ。数値で経営を管理しなきゃ」
「集客のが大切だと思うけどな。お客さん呼んでなんぼでしょ」
「それも大切だけど。妙子は簿記知らないからそんなこと言うんだよ。侮るなよ簿記」
「簿記簿記ボキボキ、めっちゃ簿記推すじゃん。下ネタかよ!」
「下ネタじゃないよ簿記は」
妙子が自分で言って、自分で笑っている。お前のダジャレの方こそ面白くないぞ。気付け。
でも機嫌が良さそうなので別にいいや、と僕は思った。勝気なところがあるから誤解されるのもうなずける。そんな妙子のことを今日は少しだけ多く知れたような気がした。
「じゃ頑張って。あたし向こうの通りから回っていくから。あんた西側ね」
妙子とはその場で分かれた。
一人になった僕は、一軒一軒、ピンポンを押してチラシ配りを始めた。最初の何軒かは緊張が勝っていたけど、二十軒目を迎える頃には、もう引け目は感じなくなっていた。慣れとは偉大だ。やる前の億劫な気持ちなんてすぐ消える。
人の家のピンポンを無許可に押しまくる。これは快感かも知れない。
僕もサイコパスの仲間入りだ。
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