その15

 M高校にはMTGミーティング専用ルームがある。半個室になっていてヘッドフォンの貸出しサービスもある。マンガ喫茶みたいな場所と言ったらだいたいの人が理解してくれる。


 僕もその日はMTG専用ルームでパソコンを開いていた。


 十四時ちょうどになったため、MTG用のリンクを踏んだ。オンラインビデオチャット画面が表示される。画面の向こうでは、すでに六人ぐらいが顔を並べて待っていた。


 それから数分のうちに他の簿記部のメンバーがどんどん入室してくる。


 MTGには毎回二十人くらいが集まる。簿記部の部員数は全国各地で五〇〇人を越えているけど、全員参加の集まりは年に一回で、普段のオンライン活動を行う際は、もっと小さな単位で集まる。今回のこの集まりは、二週間に一回ある東京西地区集会だ。


「じゃ、いったん始めますか。よろしくお願いします」


 進行を務めるのは、この地域のメンターだ。各部活にはメンターと呼ばれる人がいる。顧問のような存在で、社会人として働いている人が多い。簿記部にも全部で一〇人くらいメンターがいて、この地区集会のメンターのお兄さんは普段、一般企業に勤めるアラサー会計士だった。


 MTGでは話したい人から挙手して話をしていく。話題の中心にはメンターがいて、簿記の勉強方法を教えてくれたり、実務の話を聞かせてくれたり、三年生は就職相談なんかもしている。議題は何でもよい。


 僕はその集まりで、とんかつあぁやの経営を立て直したいという相談をした。


「面白そうだね。ぜひ協力するよ」


 メンターのお兄さんが、乗り気になって続ける。


「お店の情報教えて。ググるから」

「とんかつあぁやっていうお店です。社名は違ってて、ここに申告書のPDFもあります」

「準備いいね。もちろん見るよ」


 僕はPDFデータを格納したGドライブのリンクを、チャットのメッセージ欄に送った。


「他の資料もあるの?」


 とメンターのお兄さんが尋ねてくる。


「PDFをみた感じ、第三期の法人税申告書しか見当たらないけど」

「一期と二期の分はいま捜索中です。西恋寺さんの父親の部屋に提出した書類の控えが保管されているらしくて」

「たぶん一期二期はとんとんか黒字の年もあったんじゃない。三期急速に悪化している感じがあるね。この原因を把握しないと」

「他の資料って、例えばどんな情報があればいいですか?」

「月次で締めてるなら月次試算表、そこに仕訳帳があればもう少し詳細に見れるかな」

「じゃあ見つかったら共有シェアします」


 僕が答えた。するとメンターのお兄さんが別の質問をした。


「税理士に申告してもらってるね。決算だけ依頼してる感じ?」

「いえ、税理士は三期目の決算が初めてのようです。二期目まではオーナー自らが申告書を作成していたらしくて。他に外部の人ですが経理の人がいます。その人が会計ソフトに日々の仕訳を入力してくれているようです。僕はまだ話したことがないんですけど」

「なるほど。それだと社内事情に詳しい人、いないかもね」

「かも知れません」


 僕がうなずき答えた。


「ひとまず、数値に関する情報は会計ソフトに入ってそうだから、そのログイン情報を経理の人に教えてもらおう。ほらこの資料にも書いてるけど、会計ソフトはMFクラウド会計使ってる。確か、月次の推移表と仕訳帳はPDFでも出力できたはずだよ」


 申告書類に含まれている法人事業概況説明書に利用している会計ソフト名やデータの保存先などがちゃんと記載されていた。僕がうなずいて答えた。


「分かりました。申告書ってよく見たら、色々書いてるんですね」

「この申告書類は税務署が会社の状況を把握するために作成してるんだ。P/LやB/Sの情報だけじゃなくて、例えば株主の氏名や住所、家賃を支払っている先の業者名まで書かれてる。貸付金二八〇万があるけど、これオーナーに貸してるよね。そう言うことまで分かる。ただ税金をちゃんと払ってるかを調べるのが本来の目的だから、業績を改善するための資料としては不足だね。さっき話した月次試算表と仕訳帳をまず共有してもらった方が助かるよ。この三期目の申告書は紙で届いたんだよね?」

「そうです。紙で郵送されてきたって聞きました。僕が学校のコピー機でスキャンして」

「税務署にも紙で持ち込んで、そこで判子押してもらってるね。法人の電子申告の普及率は九割超えたらしいから、珍しいなと思って。前期までの申告もオーナーが紙でやってたのかな」

「電子で申告した方が楽ですよね?」

「もちろん。ただ慣れるまではストレス溜まるんだよ。初回で利用するなら証明書の取得でまずイライラさせられるし、UIユーザーインタフェースもお世辞にもイケてない。お役所が作るシステムって、そんなの多いよ。下請けに丸投げしてるのが良くないね」


 メンターの人が不満を漏らす。僕がまた尋ねた。


「とりあえず、まずは会計ソフトのログイン情報を教えてもらいます。で、申告書データがもしあれば、それも共有すると」

「うん。そだね。まずはそこから」


 簿記は紙のテキストベースで勉強しているけど、会計ソフトは一度も利用したことがない。

 僕の中で、会計ソフトをちょっと触ってみたいなという好奇心も沸いた。


「あと、資金繰り表とか客単価を管理している情報も追加で必要だね。この辺りは会計ソフトに入っていない事が多くて、エクセルとかで管理してるかも」

「そうなんですね。お店に仕事用のパソコンが一台あるので、そこのデータを見せてもらうのが良いかも。西恋寺さんに聞いてみます」

「でも、恐らく数値管理はあまりちゃんとやってない気がするなぁ」

「他の会社は、もっとちゃんとしてますか?」

「ちゃんとしてる中小企業なんて少数派だよ。多くの会社が決算だけ税理士に丸投げしておしまいみたいな感じか、オーナーが管理会計用の数値も把握せずに感覚に頼って経営してるか、そんなもんだよ。その雑なやり方でなんとかなっている会社だけが生き伸びてる。運だね」


 なんとかならなかった会社は潰れて消える、という訳か。恐ろしい世界だ。


「管理会計用の数値って言うのは、つまり工業簿記のことですよね?」


 僕が工業簿記のテキストを頭に思い浮かべて質問した。


「違うよ。工業簿記は原価をどう製品に割り当てるかとか計算するでしょ」

「します。勉強がつまらないですよね」


 簿記二級では商業簿記と工業簿記を学ぶ。商業簿記は決算書を作るときに役に立つからまだ頑張れるけど、工業簿記というのは飲食店の決算書にも出てこないし、そもそもがつまらない勉強をさせられる。標準原価とか直接原価とか仕損費とか計算する。この計算問題がややこしくて嫌になる。工業簿記が嫌いな受験生は多い。


「なぜ原価を計算するか知ってる?」


 メンターのお兄さんにそう問われた。僕は回答にちょっと困った。


「原価を割り当てて、管理に活かすためとかじゃないですかね」

「半分正解だけど、足りてないかな」


 そう言ってメンターのお兄さんが画面共有でスライドを映した。



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(財務会計と管理会計違い)

https://kakuyomu.jp/users/mogumogupoipoi/news/16818093089685929762

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