その31
「客単価を二〇パーセント上げることに成功したら、お客さんは最大十八パーセント離れちゃったとしても、損益分岐点を上回ることができるんだ。ここでは固定費として考えてるけど、お客さんが減ったら、水道光熱費も若干は下がるだろうし、いいこと尽くしだよ」
「この図で見るとそうだね」
妙子がうなずく。僕がさらに続けた。
「利益率が改善したら広告宣伝費をもっと増やしたりもできるよ。いまは薄利過ぎて、そういったコストもかけられない状態だから。一〇〇円クーポン配ってる場合じゃないんだよ正直。やけくそ経営なんだ。最低賃金じゃ人もろくに雇えないよ」
僕が柄にもなく必至になって訴えたら、妙子が真面目な表情になった。眉間に皺が寄ったままだが、その怖い顔は僕に向けられたものではなく、画面の中の数値に向けられたものだった。ちゃんとCVPの図を見てくれている。
やや沈黙があり、間もなくして妙子が口を開いた。
「言いたいことは分かった。利益率を改善しなきゃ厳しいってことよね」
「そういうこと」
「んだけどなー、これさ、このメニュー表の価格も修正しなきゃ行けないし、印刷からやり直しなんだよ。全部張り替え。面倒なのよねー」
妙子がテーブルの上にあるメニュー表を手に取る。
「シール貼ったらいいんじゃない? 価格の上から。ぺたって」
西恋寺さんがつぶやいた。
「その手があったかー。絢ち。それ採用だ」
「やった」
「上げる方向でいいの?」
僕が尋ねる。妙子がやや不満そうに視線を送ってきた。
「そんなに言うなら上げようよ。真面目に考えてるみたいだし。あたしも意固地になってた」
その言葉を聞いて、僕は胸をなで下ろした。
「でもさ、お客さん離れるのはあたし、やっぱりやだな。これってもし失敗したらどうすんの? お客さんがどーんと離れて、三割くらい減ったら」
「どうするって、その可能性は否定できないけど……」
「九っちが責任取ってよ」
責任と言われると、なんか重い。
「だって言い出しっぺ、あんたでしょ」
「そうだけど」
「とりあえずさ責任者はっきりさせておこ。オーナーがいないんだから、誰が最終的に方針決めるか。それちゃんとしとこ。大事なことだと思うから」
妙子がみなに呼びかけた。
「はい。責任者の人、手挙げて」
するとシーンとなった。五秒くらい間が開く。
「いねーのかよ」
妙子がこちらを見た。
「じゃあ、あんたはなんなの?」
なんなのと言われ、僕はなんなんだろうと考えた。手伝っているメンバーの一員という自覚はある。だが責任者という認識はない。人の上に立ちたいとも思わない。みんなで決めたい。
「あんたが責任者じゃないの」
「私もそう思ってた」
と西恋寺さんが後に続く。
「僕なの?」
「違うの?」
妙子に詰められる。目力がすごい。
「僕は責任者とか気にしてないよ。妙子でもいいと思ってるし」
「やだよ。あたし勉強あるもん」
妙子が拒否した。
「それに、あたしが責任者でいいなら、あんたの値上げする案は却下する。集客を頑張る。於史さんのお持ち帰り始める案を採用する」
「ええー、それはまずいよ。値上げは必要だって」
「じゃあ、あんたが責任とらなきゃ筋が通らないじゃん」
「うーん、確かに」
ぐうの音も出ない正論だ。僕が少し考えてから、尋ねた。
「失敗したらどうなるの? 責任って、何をしたらいいの。バイト首とか?」
「告白するでいいんじゃない?」
「ええっ」
「学内のグループチャットで告白するで。決まり! 流行ってるでしょ」
告白チャンネルというオープンなグループがある。誰がやり始めたのか、みなの前で好きな人のアカウントを@マークでメンションして、気持ちを伝えるという謎慣習が学内で人気だった。卒業式の日に活発になる。一昔前の学校では、校舎の屋上から告白する慣習があったらしい。大声で叫んで。担任の先生が俺もやったぜって、話していたっけ。
「それはやだよ」
ただの罰ゲームじゃないか。しかもかなり重めの。
「九くんて、好きな人いるんだ」
西恋寺さんが曇りのない眼差しでこちらを見てくる。僕は反応に困った。いるよ、とも言いづらいし、いないよ、とも言いづらい。いますぐ走って逃げたい。
「責任取る気もないのに、なに会社の方針決めようとしてるのさ。都合良すぎでしょ。決めたいなら、責任まで取らなきゃ」
「大丈夫。簿記なら何とかなるよ!」
西恋寺さんが気休めにもならない励ましをしてくる。簿記への信頼がカンスト状態だ。
「死ぬ訳じゃないしね」
と妙子が言った。柔らかい口調に戻っている。
僕の学校生活が恥ずかしさで実質、死ぬのだが……。
しかし改めて考えてみても、妙子の言い分はごもっともだ。値上げした方がいいと言い出した僕が責任を取らないと、格好が付かない。
僕は深呼吸をして、うなずいた。
「分かった。じゃあ僕が決める。値上げはしたい。やるからには上手くやる。それでいい?」
「もちろん。異議なし」
妙子があっさり答えた。
「じゃあ一一月から値上げで。二ヶ月後の年明けに答え合わせね」
「わかった。それで」
残された時間は多くない。
僕はとんかつあぁやの責任者として、お店の重要な方針を決めたのだ。
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