第3話 怒りの果てにあるもの
怒りは私にとって、とても厄介な感情だ。抑え込むと胸の奥が熱くなり、放っておくと涙となってあふれ出す。けれど、表に出すとたいてい後悔する。だから私は、怒りをどこに向けたらいいのか、いつも迷ってしまう。
たとえば、ある日、友人と話しているときのこと。その友人は、何気ない言葉で私を軽く笑いものにした。それが冗談だとわかっていても、心の中に怒りの火種が生まれたのを感じた。でも、その場で怒ることはできなかった。
「それぐらいで怒るなんて大人気ない」
そんなふうに思われるのが怖かったからだ。
だから私は、その怒りを飲み込んだ。その代わり、心の中で何度もその場面を反芻して、勝手に怒りを大きくしてしまう。気づけば、その友人に対する不満が膨れ上がり、ただの冗談だったはずの言葉が、私の中では「許せない一言」になってしまうのだ。
怒りは、不思議な感情だと思う。小さな火種が大きな炎になることもあれば、あっという間に消えてしまうこともある。そして、その燃え方や消え方は、私自身でもコントロールが難しい。
私はよく、怒りが心の中にたまっていく感覚を「溶岩」に例える。普段は見えないけれど、胸の奥深くでドロドロと煮えたぎっていて、何かの拍子に吹き出してしまう。だけど、それが爆発したとき、私の中に残るのは後悔だけだ。
怒りをため込むことも、爆発させることも、どちらも苦しい。では、どうすればこの感情と向き合えるのだろうか?
最近、私は試しに、自分の怒りを「観察」することを始めた。怒りを感じたとき、その感情を否定せずに、「ああ、今私は怒っているんだな」と受け止める。そして、その怒りがどこから来たのかを探ってみる。
「相手の言葉が私の何に触れたのか」
「なぜこの状況が私を不快にさせるのか」
そんなふうに問いかけてみると、怒りの正体が少しずつ見えてくることがある。そして不思議なことに、怒りの源を知ると、その感情が少し軽くなるのだ。
怒りは、私たちに何かを伝えようとしているサインかもしれない。だから、その声を無視せずに耳を傾けることが大切なのだと思う。
怒りの果てにあるもの――それは、私自身の本当の気持ち。私はそれを見つけるために、この厄介な感情と向き合い続けていきたいと思う。
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