第33話 無邪気さを失わないという強さ
大人になると、「無邪気」という言葉はどこか子供っぽいものとされがちだ。「大人らしく振る舞いなさい」「現実を見なさい」という声が聞こえる中で、無邪気さは徐々に影を潜めていく。けれど、私はその無邪気さこそが、人生を生き抜くための強さだと思うようになった。
無邪気とは、純粋に物事を楽しむ心だ。人の目を気にせず、「面白そう」「やってみたい」と思ったことに飛び込む力。子供の頃、それは自然にできていた。でも、大人になるにつれ、「無駄じゃないか」「そんなことをして何になるのか」と考えるようになり、心にブレーキがかかることが増えた。
そんな私が、無邪気さの大切さを再認識したのは、ある日友人と公園を散歩していたときのことだった。友人は大人になっても無邪気さを失わない人で、落ち葉の積もった道を歩きながら「これ、ふわふわで気持ちいい!」と笑顔で話していた。その姿を見たとき、「大人なのにそんなこと?」と思う自分がいた一方で、心のどこかで羨ましいと感じている自分にも気づいた。
その後、自分でも試しに足元の落ち葉を踏んでみた。確かに「ふわふわで気持ちいい」。その瞬間、なんとも言えない喜びが心に広がったのを覚えている。ほんの些細なことでも、無邪気に楽しむことで心が軽くなるのだと実感した。
無邪気さを失わないことは、決して幼稚であることではない。それは、自分の心に正直でいること。そして、人生の中で小さな喜びを見つける力だと思う。どんなに現実が厳しくても、その中で楽しみを見つける無邪気さがあれば、心は折れずにいられる。
もちろん、大人には大人の責任があるし、常に無邪気でいられるわけではない。でも、時々その責任を脇に置き、純粋に自分が楽しいと思うことに没頭する時間を持つ。それが、人生を豊かにしてくれるのだと思う。
無邪気さを失わないというのは、一種の「強さ」だ。周りの目を気にしすぎず、心の声に従う勇気。何かに夢中になることを恥じない姿勢。それは、現実を生き抜くための大切なスキルでもある。
これからも、私は無邪気さを大切にしていきたい。そして、その無邪気さがもたらす小さな喜びを集めながら、自分らしい人生を歩んでいきたいと思う。
無邪気さは、子供だけの特権ではない。それは、大人の私たちにも与えられた素晴らしいギフトなのだ。
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