■1章/1

 その日、最後に受け取った品物は美しい硝子細工のランプだった。


 持ち込んだ客の名、品物の詳細と、店主がつけた金額を帳簿に記す。年代物と見える木製の台座は古びて燃料の香りが染みついていたが、硝子の火屋ほやは透明で、丁寧な手入れを伺わせた。

 持ち込んだのは壮年の男で、腰に剣を提げていたから戦士だろう。繊細な硝子細工のランプは、大柄な体躯の戦士には似つかわしくない。


 私は思わず夢想に耽る。

 真夜中、男は戦場から自宅へと帰りつく。待っているのは彼の伴侶と娘だ。やわらかいランプの灯の下でうとうととしながらも帰りを待っていた娘が、扉が開く音ではっと目を覚ます。娘は父へと駆け寄り、ランプを手に取って伴侶が微笑む。


「……ャ……ラ」


 やがて時が経ち、娘が結婚して家を出ることになる。両親は娘を少しでも華やかに送り出すため、大切にしてきたランプを質に入れることに――


「シャイラ!」

「は、はいっ」


 びくりと身をすくませて、ランプに見惚れていた視線を上げる。視線の先にはこの商店の主人、私の雇い主である古道具商人のガーニムさん。立派な黒いひげを弄りながら、何故か私を睨みつけている。


「何度呼んだら気付くんだ。またぼうっとしおって」

「申し訳ありません……」


 空想に夢中になって、呼ぶ声を聞き逃していたらしい。ランプの金額を記した帳簿に間違いがないことを確かめてから、ペンを置いて立ち上がる。

 ガーニムさんは店の入り口に下がった幕を指さし、溜息交じりに告げた。


「もうガキどもが待ってるぞ。全く、カネにならんことを……」

「あっ、そんな時間でしたか……では、少し休憩を頂きますね」


 ガーニムさんの小言から逃げるように扉代わりの幕をくぐり、店の外に出る。路面の砂を踏んだ瞬間、夕暮れの陽射しが目を刺した。思わず目を細め、手をかざす。


 乾いた風に舞い上がる砂。市場バザールの店々が飾る色とりどりの布が、夕日に照らされてなお鮮やかに揺れる。

 ガーニムさんの店のすぐ横にはちょっとした空き地があり、そこには八人の子供たちが集まっていた。


「お待たせ、皆」

「おそーい!」

「シャイラさんやっと来たぁ」

「もう夕刻のヒュール、鳴ったよ!」


 朗らかに挨拶してみたが、思ったよりも強くお叱りを受けてしまった。ごめんなさい、と頭を下げてから、空地の真ん中へ進み出る。

 織物職人の息子であるクレーくんが、いつものように石畳に敷物を敷いてくれていた。膝をついて座り、子供たちを見回す。


「さあ、今日は何のお話をしましょうか」

「雨姫様のお話!」

「戦のお話がいい!」

「北の国のお姫様……」

「狐の泥棒の続きが聞きたいです」


 私の問いかけに、子供たちが勢いよく答えてくれる。

 夕刻、近所の子供たちに物語を語って聞かせる――それが私の日課だ。最初は空き地で遊ぶ子供を相手に休憩時間に話す程度だったのだが、噂を聞きつけて、いつの間にか十人ほど集まるようになってしまった。

 市場で働く親たちは忙しいから、子供たちがひとところに集まるのはむしろ歓迎らしい。


「そうね……お祭りも近いし、雨姫様のお話にしましょう」


 空き地の前を通りかかった商人が硝子細工をつけた紐飾りを抱えているのを見て決める。わぁい、という声と、ええー、という声。子供たちの意見が揃うことはないから、こればかりは仕方ない。


 雨姫様のお話は子供たちも大好きだから、不満の声は聞き飽きたという理由からかもしれない。雨姫様の伝承はお祭りのたびに劇になったり歌になったりするから無理もない。そのくらい、この漣沙国レンシャにとって雨姫様は身近で偉大な存在だった。

 そういう定番のお話を『聞かせる』のも語り手の技量のうち。水袋から一口だけぬるい水を飲み、口を開く。


「砂漠の砂が一巡り、入れ替わるほど昔のお話」


 騒いでいた子供たちの声が静まる。一人、まだ不満げに声を上げていた陶器商の息子のファルザムくんが、戦士の娘フーリさんに肩をつつかれて口をつぐむ。

 私はこの始まりの文句が好きだ。巡って流れる時間が、私たちの現在に繋がっているような気がする。毎回この言い回しから話し始めていたから、子供たちも聞く態勢を取ってくれるようになった。


「砂漠を旅する幼い兄妹、水場リュサラを求めて幾日か」


 劇団の吟手うたいてほどではないけれど、夕刻の少し冷たい風には負けない声で、語り始める。


 父母を亡くした兄妹はその日の水糧を求めて旅しながら、いつか安住の地に辿り着くことを夢見る。互いに助け合って旅する中で、限られた水を奪われまいとする者たちに疎まれながらも、ある時は困っている者を助け、ある時は邪悪な誘惑を振り払い、砂漠を歩き続ける。


 その足跡を追うのが、雨姫様の物語だ。多くの出来事があり、多くの苦難と歓びがあった。語り切るのに一週間はかかるという長い旅路は、一説によれば、各氏族が伝えていた伝承を雨姫様に捧げた故だという。


「広い砂漠に水はなく、乾いた空に雲はなく、水場は遥か、砂丘の向こう……」


 子供たちの幾人かが喉を鳴らす。砂漠に住む者ならば誰もが持つ、渇きへの恐怖。あまり怖がらせてもいけない。必要以上に暗くはせず、乾いた風が吹き抜けるのをイメージして続ける。


 今日語るのは伝承の中心の部分。

 雨姫という存在の、始まりだ。

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