■断章

 神官長ティルダードの執務室は広くはない。神殿の広さを考えれば、狭い、とすら言えた。窓はなく、扉は重厚な黒檀アブヌス。いかにも秘密を守るための部屋であった。


 市場の喧騒も届かない室内に、今は三人。

 部屋の主人であるティルダード。背後に立つ護衛の戦士。机の前に真っ直ぐ立つ、侍女ナーディヤ。


「雨姫は出かけたか」

「はい」

の体調はどうか」

「お変わりありません」

「夜伽役の様子は」


 ティルダードが問い、ナーディヤが答える。互いの役割を果たすだけのような問答が、一瞬滞った。


「……シャイラ様は信を得ているようです。今回の市場への外出も、彼女が案内すると聞いています。お金のことでお困りのようでしたので、ティルダード様に相談するようご助言さしあげました」


 そのわずかな間に気付かないはずもないティルダードは、しかし指摘せず頷く。


「次からは悩まず報告するよう申し伝えた。馬車を使う発想もなかったようだ」

「あの方らしいかと」


 笑みもないいらえ。


「アヤン様はある程度距離を保っている様子です。雨姫様からは、自然の読み方を聞かれると仰っていました。それと、先日こう尋ねられました。――『ティルダードは何を企んでいる?』」

「……何と答えた?」

「精霊に近しい方のお考えはわかりかねます、と」

「そうか」


 その場にいる者にしか通じない皮肉の刃にも反応せず、ティルダードの表情は変わらない。ナーディヤもまた、その皮肉が届くとは思っていないようだった。


「シャイラ殿の夜伽は、どうか」

「熱心です」


 ナーディヤの答えは端的で、だが今回は続きがあった。


「少々、空回っている部分もあるようですが。雨姫様のことを深く考えているがゆえ、と見受けられます」

「……よろしい」


 ティルダードは再び重々しく頷く。鋭い視線を受けてなお、ナーディヤの立ち姿は揺るがない。


「儀式の時が来るまで、引き続き夜伽を務めさせよ。――今年の乾季は、厳しいものになるだろう」

「かしこまりました」

「……あの二人で、良いと思うか」


 ナーディヤは小さく頭を下げた。表情、口元を隠すためだとわかりやすい仕草。


「お言葉ですが。――それを判断できるのは、雨姫様と、先代雨姫様の夜伽役であった貴方だけかと」

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