■雨姫

「砂漠の砂が一巡り、入れ替わるほどの昔から――今この時まで続く、雨姫様の物語!」


 落ち始めた雨の音と、剣戟の音にも負けぬよう、声を張る。

 ルフ様が私の腕をそっと払い、儀式場の中央へと歩み出た。彼女を形容する言葉は、つい先ほど決まっていた。


「この砂漠で、最も慈悲深く、悲しみ深く、怒り深く――精霊をも震わせるほど、感情の強い少女」


 水瓶をひっくり返したような雨が、ざあ、と降った。

 広場に焚かれた何十本ものかがり火が全て消え、黒雲の下は暗闇となる。

 その暗闇を裂いて雷が落ちた。祭壇の中央に落ちた稲光に、戦士たちが数歩引く。

 黒雲に蠢く雷光に照らされて、ルフ様が周囲を睥睨した。


「姉さまは、弱かった」

「その涙は雨を呼ぶ」


 ルフ様が一歩踏み出す。その頬には雫が連なり筋となった涙が溢れていた。

 寝所で涙を堪えていた横顔を思い出す。雨姫という立場になければ、悲しみに耐える必要はなく、先に物語を覚えることで感情を抑える必要もなかったはずだ。


「姉さまを止められなかったティルダ―ドも。雨姫に縋る民も。――皆を騙している私も。皆、弱かった」

「……その慟哭は雷鳴となる」


 ルフ様の喉からは、小さな嗚咽が漏れていた。

 常に冷静な表情と、冷たく聞こえる声を思い出す。雨姫の立場でなければ、人を遠ざけるために距離を取る必要もなかったはずだ。


「だけど……もう、これ以上。大切な人を奪われるのは、許さないッ!」

「その怒りは嵐と渦巻く」


 否、違う。

 雨姫という立場であっても、ルフ様がそんな風に我慢する必要なんてない。そういう物語を、語るのだ。

 黒雲には幾筋もの雷光が走り、祭壇を白く照らしている。その中央に立ち、雷の色の装束を纏ったルフ様は、まさしく雨を従えた精霊の姫のようだった。


 強い風が吹き荒れ、雨粒は矢となって肌を打つ。

 一条の雷がティルダード様のそばに落ちた。


「くっ」

「ティルダード様!」


 嵐の中でアヤンさんを追い詰めていたエーミールさんが声を上げる。駆け寄ろうとした彼の足首を、深く沈み込むような鋭い踏み込みで、アヤンさんの刃が切り裂いた。


「っぐぁ……!」

「は。忠義が仇だ、エーミール。主人の風格の差、だな……」


 アヤンさんもそれが最後の力だったのか、がくりと脱力しそうになる。辛うじて踏みとどまって数歩、剣を手にルフ様を守るように立った。満身創痍であっても、その姿はこの場で最強の戦士の姿だった。


「……認めぬ」


 ティルダード様は戦士たちの決着を見届けて意を決したか、懐から短剣を取り出した。豪華な硝子細工が施された鞘を払うと、鈍く輝く刃を自らの喉元へと向ける。〈水守り〉の戦士たちがざわめく。


「雨に、死が要らぬというのなら! 我が子は、妻は、なぜ死ななければならなかったのだ!」


 ルフ様は取り乱さない。取り乱す必要がない。ただ……ティルダード様の悲痛な慟哭に、一度だけ目を伏せた。

 雨姫であるルフ様の感情を代弁することは、栄誉で、喜びで、そして重かった。喉を震わせ、告げる。


「……その悲しみは、残された者に寄り添う」


 バヂン!

 空気が引き裂かれるような激しい音がして、細い雷がティルダード様の短剣に落ちた。火花が散り、短剣が弾き飛ばされる。身体を痙攣させ、片手を抑えてうずくまるが、生命に別状はないはずだった。

 雨姫がもたらす雨は、雷嵐は、人々を癒すためにあるのだから。


「死は避け得ぬとても。奪われた怒りが、失った悲しみへと変わるまでの時間を。悲しみを受け入れ、癒えるまでの時間を。喜びと楽しみを、再び味わえるようになる、恵みを……」


 十年経っても胸に残っていた怒りが、いつか悲しみへと変わり、そして癒される日が来るだろうか。

 わからないけれど、信じる。少なくとも初代の雨姫は、そう信じたはずだから。

 私の無言と嗚咽を引き取って、ルフ様が唇を開く。

 掠れかけた涙声が、私たちに優しく降った。


「雨姫、ルフの名において……感情を以て、あなたたちの怒りと悲しみに寄り添うと誓おう」


 雨はいつの間にか弱まり、その場にいる者たちを優しく包む。雨雲がわずかに晴れ、いつの間にか上っていた朝日が祭壇を照らした。

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