■4章/10

「真の悲しみが雨を呼ぶなどというのは、間違いです」


 断言する。

 端的に言えば、私の言葉は嘘だ。初代の雨姫の気持ちなど、本人にしかわからない。けれど断言しなければならなかった。


 意味のある嘘を、物語という。物語うそを信じぬ語り手に存在意義はない。ルフ様が言ってくれたように……私は『嘘と真実を、同じように愛せる』のだから。

 ルフ様の瞳を見つめる。戦士たちが迫ってきていることも、アヤンさんが追い詰められているらしい剣戟の音も、今は遠い。


 美しく濡れた黒い瞳を見つめ、睦言を囁くように告げる。


「怒ってください」

「……おこ、って?」


 ルフ様が呆気にとられたような表情をする。こくと頷いて見せる。


「大切なものを奪われて、と怒ってください。守りたい人のことを慈しんでください。悔しがって、楽しんで、惜しんで、喜んで、悲しんで――恋を、してください」


 雨姫の伝承が、兄の死からではなく、兄と共に旅をするところから始まっているのはそのためだ。兄を亡くしたから雨姫になったのではない。


「大切な人を亡くしてなお、妹には……その次に大切なものがたくさんあったから。雨姫と、なったのです」

「次に、大切な、もの」


 頷く。抱く腕に力を籠める。清らかな衣装に包まれた、細く折れてしまいそうな少女の感触。華奢な少女を雨姫という立場に押し込めて、『恋はできない』と言わせていた鎖を、何とか解きたいと願う。

 それは、もしかしたら残酷な行いかもしれないけれど。


「シャイラ」

「はい」

「わたしは、おこっても、いいのかな」

「……はい!」


 怒りと悲しみは、薄い麻紙を挟んだだけの裏表。けれど、怒りは時に衝動となって人を動かす。

 母を失い、弟まで失いたくないと這いずった十年前のように。

 ルフ様を泣かせたくないと決意した、つい先ほどのように。


 ぽろりと、ルフ様の瞳から涙が溢れた。真珠のように煌めき、水晶のように透明な雫は、どこまでも美しかった。

 ぽつりと、晴れていたはずの空から雨が落ちた。先ほどまで影もなかった黒雲が空を覆い、大粒の雨粒がひとつふたつ頬を濡らす。


「……わたしは、悲しかった。でも、……怒りたかった、よ。お姉ちゃんに生きてて欲しかった。姪が生まれた時は嬉しかった。義兄さんにもらったお菓子が美味しかった。誰にも死んでほしくなんかない。――シャイラと、アヤンと、離れたく、ない!」

「……はい。感情のままに……ルフ様」


 ルフ様の声は、少しずつ大きくなる。白い寝室の中では常に冷たく落ち着いていた声が、今は震えていた。


「待て」


 ティルダード様の硬い声。そちらに視線を向ける必要はない。私は今、ルフ様に語っているのだから。


「お前たちが雨姫を解釈するなど――不敬だ。止めろ。黙れ!」

「シャイラ、聞かせなさい。語りなさい。貴女が思う、雨姫を」


 どちらの命令に従うかなんて、決まっていた。私は雨姫様の夜伽役だ。

 ルフ様を支え、ゆっくりと立ち上がる。視線を巡らせれば、アヤンさんは傷だらけだ。エーミールさんに追い詰められつつも、祭壇の周りを駆け巡って〈水守り〉の戦士を牽制してくれている。


 回し続けた思考が焼け付いたようで、頭は熱に浮かされていた。ふとその思考に、紙屋のドゥリヤさんの声が蘇った。『人の感情を動かそうとする時は、文頭の文字を大きく飾り立てるように』。何とも的確な助言。


 息を大きく吸った。

 さあ、語れ。


 決して口を噤むな。思考が働いていないことなんて構うな。私の想いは、誰よりも何よりも、ここまで積み上げてきた物語が知っている。

 物語のままに、語れ。


「砂漠の砂が一巡り、入れ替わるほどの昔から――今この時まで続く、雨姫様の物語!」

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