■4章/3

 なんとなく思い出す。

 母がいなくなり、幼い弟と共に孤児院で過ごした日々。セルチ氏族の庇護の下で運営されていた孤児院は、皆親切だったし、水も食料も最低限はあった。それでも弟は寂しいと泣いたし、同じように泣く子供たちは多かった。


 私だって寂しかった。

 だから物語を求めた。


 本を読み、妄想を語る。行きたい場所、食べてみたい料理、見てみたい景色。物語の中でなら英雄になれたし、お姫様にもなれた。雨姫がもたらす雨を浴び、盗賊から取り返した宝で宴を開き、ランプの魔人にねだって綺麗な衣装で踊った。


「私が物語を語るようになったのは……」


 私自身を含めて、子供たちのためだった。ここではないどこかが世界にはあるのだと忘れないために。

 自分の『始まり』を考えることなんて滅多にないことだから、我がことながら少し新鮮に思える。市場で子供たちを相手に語り聞かせている頃は、単純に楽しかったから意識していなかった。


 物語を語るのが辛いと感じたのは、雨姫様を泣かせたあの夜が初めてだ。


「…………ごめんなさい」


 なぜあんなにも辛かったのか、今ならわかる。私が物語を語る理由が歪んでいたからだ。最初から金儲けのために、あるいは技量を示すために語っていたなら辛くはなかったのだろう。アヤンさんのように野心と覚悟を持って雨姫様と接していたなら、あの苦しさも飲み込めただろう。

 半端者が自分を曲げて、半端な物語を紡いだ――それを罪と思う程度の矜持は、私にもあった。


「……謝らなきゃ」


 視界をぼやけさせる涙を強く拭う。

 寝台から跳ね起きて、大切に保管してある水を一口含む。現金なもので、渇いた喉が潤うと身体も心も少し軽くなった気がした。ぬるい水は水瓶にあと少し。井戸もいつまで持つか。


 正直に言えば、騙されていたという感情はまだ胸の内に燻っていた。あの隠し部屋で向けられた雨姫様の冷たい笑みを思い出すたび、寝台に転がって身を捩りたくなる。


「でも。……私の嘘に理由があったように。雨姫様の嘘にも、理由がある」


 国を保つためだと彼女は言った。雨姫様がかつて私を評した言葉を思い出す。『嘘と真実を、同じように愛せる人』。

 物語の嘘は、誰かを騙そうとする嘘とは少し違う。でも、雨姫様の嘘に悪意はあっただろうか。私は……雨姫の涙の伝承を信じてきた私は、彼女の嘘を愛せるだろうか。


 歴史の中で作られた嘘の末端に置かれた、今代の雨姫様。あの隠し部屋にあった天気の書物は、少女が数日で集められるような量ではなかった。歴代の雨姫が集めたのではないか、と妄想する。そして今代の雨姫様は、それを受け継いて、嘘を本当にしようとあがいていた。

 その嘘を受け入れられるかどうかは、まだわからないけれど。それは私が謝らなくていい理由にはならない。


 まず謝り、話すところから。許されなかったとしても。

 そして、願うならば、もうひとつの気持ちを。


「……よし」


 神殿に行っても通してもらえないかもしれない。

 雨姫様にもティルダード様にも会わせてはもらえないだろう。知ってはならないことを知っているのだから、捕まってしまってもおかしくない。


 そもそも、雨姫様を引っ叩いてしまった女だ。重罪人である。


 それでも行こう。

 決意して、外に出た。


「シャイラ・アー・セルチ」


 出た瞬間、男の人にぶつかった。


「いだっ。……し、失礼しました。はい、シャイラは私ですが……」


 なんとなく既視感のある状況。

 男性は腰に剣を提げた戦士のようだ。どことなく重苦しい雰囲気を纏ったお顔に見覚えがあった。ティルダード様の背後にいつも控えていた、護衛の方。アヤンさんが唯一勝てないと言っていた人だ。


「神殿まで共に来てもらおう」


 望むところだ、と言えなかったのは……その手が腰の剣にかかっていたからだった。


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