■4章/5
夜になった、と思う。
部屋には窓がないので、空気の冷え方での感覚だ。この部屋から出さないというのは本気のようで、ティルダード様が出て行ってしばらくしてから厚手の毛布と軽い食事が運び込まれてきた。
運んでくれた侍女に声をかけてみたが、話すなと厳命されているのだろう、一言も口を利いてはくれなかった。怜悧だが冷たくはなかったナーディヤさんとのやり取りを思い出して胸が疼く。雨姫様は、どうしているだろうか。
小さなパンとぬるい豆の煮込みを食べ、毛布にくるまる。
ふと、扉の向こうから音が聞こえた。こちらへ近づく足音と、話し声。
扉が開いて部屋へと押し込まれてきたのは、見覚えのある翠髪の女性だった。
「押さずとも歩ける。君、ショールガ……あたしの馬は大切に世話しておくように頼むよ」
「あ、アヤンさん!?」
後ろ手に縛られてなお強気な声を放つアヤンさん。連れて来たのは、ティルダード様の護衛をしている戦士の男性だ。その後ろから、ティルダード様も入ってきた。
慌ててアヤンさんに駆け寄り、手を縛る縄を解こうと触れる。
「大丈夫ですか? 今解きますから……」
「頼む」
ティルダード様と戦士の方を睨むアヤンさんの横顔には、赤く腫れた痛々しい痕があった。殴られた……のだろうか。できるだけ見ないように視線を手元へ落とし、固く縛られた縄を解こうと悪戦苦闘する。
「アヤン殿も、しばしここに滞在を」
ティルダード様はそういって背を向けてしまう。出ていこうとする背中へ向けて……ようやく解けた縄を握り締めて……叫んだ。
「待ってください!」
「待て!」
私とアヤンさん、彼を引き留めたのはどちらの声だったか。
護衛の戦士が身構えたのは、アヤンさんが腰に手をやった仕草に対してだろう。いつも提げていた細身の剣は奪われてしまったのか、今のアヤンさんは丸腰で、それでも恐ろしいほどのぴりぴりした空気を放っている。これが殺気というものだろうか。
「ティルダード様。どうかお答えください」
止まった背中に問いを投げる。私の考えが的外れなら、彼はそのまま行ってしまうだろう。
「私たちは、雨姫様の生贄ですか」
だから、ティルダード様がこちらに振り向いた時点で、きっと正しい問いだった。
「……それは、君の妄想か?」
「はい。雨姫様は好き好んで人を騙したりしない、という確信から生まれた妄想です」
いつも通りの冷徹な表情で私を見つめる彼を、腹に力を込めて睨み返した。
「根拠はあるか」
「根拠はありませんが、私とアヤンさんがこうして囚われていることが傍証です」
「いつ気付いた?」
「つい先ほどです。ですが、思い返せば手がかりはありました」
「そうか」
ティルダード様が瞑目する。思考の時間は一瞬。開いた瞳には、諦めが滲んでいるように私には思えた。
「その通りだ」
肯定する声に脅しのような響きはない。普段通り淡々と、彼は事実を告げてくる。
「貴女の推察の通り。今代の雨姫に雨を降らせる力はない、というのは、事実だが正確ではない」
視線は私から外れない。冷たく揺らがない視線から目を逸らさず、見つめ返す。
涙が浮かびかけているのを自覚する。
「雨姫が真に悲しみ、嘆き、絶望して流した涙は、雨を呼ぶ」
それは……薄々予測していても胸が苦しくなるほど、あまりにも残酷な真実だった。
雨姫の涙は雨を呼ぶ。一周回って、それは真実だったのだ。
伝承に曰く――初代の雨姫は、兄を亡くしてのち、精霊の力を授かった。つまり。
「誰かを亡くさないと……雨は降らない……?」
「親しい誰か、だ」
「雨姫様が私たちと遠ざけようとしていたのは」
「誰かと親しくなれば、生贄にされるからだろう」
「……私を今、捕らえたのは、名を知っていたからですか」
「そうだ。あれが人に名を教えるのは、珍しい」
その言葉が、あまりにも他人事に聞こえて。私はティルダード様に掴みかかっていた。護衛の戦士が動こうとするが、ティルダード様が身振りで止める。その胸元を掴んで、叫んだ。
夜の街外れで、彼女が迷いながらも教えてくれた名を、この男に評されたくなかった。
「雨姫様が、どんな気持ちで!」
「わかるものか」
私の声と同じくらいの怒りを静かに秘めて、ティルダード様が答える。
怒りに任せた全力でも、彼の表情は冷ややかなまま動かない。
「雨姫の気持ちなど、わかるものか。だが、彼女らが泣けば雨が降ることは揺るぎない事実だ。シャイラ殿、アヤン殿。
声に篭る怒りの強さに、掴んだ手から力が抜ける。緩んだ私の手を払い、ティルダード様は背を向けた。
扉が無慈悲に閉じて、外から鍵がかかる音がする。拒絶の音に聞こえた。
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