■2章/5


 髪布を整えて市場の通りに入る。街の正門から神殿まで続く大通りを中心に、東西よこに二本、南北たてに三本の通りをまとめて『市場』と呼ぶ、その端だ。

 通りは大勢の人でごった返していた。


「わぁ、あ……」

「はぐれないでくださいね、雨……お嬢様」


 小さな少女を守るようにして軽く腕を広げ、人波を掻き分けるようにして歩く。とりあえずの目的地は、布や衣服を扱っている商人が多い一角だ。

 アヤンさんは流石に戦士を名乗るだけあって、流されることもなくついてきていた。雨姫様の方は……楽しそうに、興味深そうに、視線を巡らせている。


「さあさ、カービオ鉱山の黄玉だ! 傷も少ない最上級品だよ!」

「鉄~。鉄はいらんか~」

「お嬢さん、そこの美人のお嬢さん、翠玉と珊瑚の髪飾りが似合いそうなお嬢さん、見ていきなさいな」

「なんだァこの値は? 高すぎだろうよオヤジ!」

「文句があるなら他所に行きな。うちより研ぎの上手い工房がありゃあな」


 この辺りは石や金属を扱う店が多い。立派な店構えに煌びやかな宝石を並べた大店おおだな、鉱石を入れた箱を積み上げた店、古びた絨毯に刃物を無造作に置いただけの露店。呼び込みや商談の声に、とんてんかんとどこからか響く鉄を叩く音。職人たちの昼食だろうか、何かが香ばしく焼けた匂いもする。


 混沌とした、市場の気配。

 雨姫様は宝石も鉱石も気になるようで、丸く見開いた瞳がきらきらと輝いて見えた。


「見て。大きな夜星石」

「寝所の明かりか。夜になると冷たく輝くとは不思議な……」

「お嬢様……お嬢様。アヤンさんも! 軒先以外で立ち止まると……流されちゃいます……!」


 時々立ち止まろうとする雨姫様と、ふらっとどこかに行こうとするアヤンさんとを何とか連れて、人込みを泳いでいく。

 ややあって目的地の辺りに辿り着いた頃には、少し人波が落ち着いてきていた。


「わ……。布はこんな風に売っているのね」


 雨姫様の視線が向かう先には、色とりどりの布が並んでいた。高い位置に縄を張り、細長い布を何枚も掛ける飾り方は、市場の中でも華やかで目を引く。

 店主の男性の目が、きらりと光ったように見えた。


「お嬢さん、如何です。気になった生地があれば是非触ってみてください。うちの布はどれも一級品ですからね」

「ありがとう。どの布も綺麗。この白い布は……」

「お目が高い! そいつは遥か東から来たケンヌって生地で――」

「ああああめひお嬢様! そろそろお時間ですので!」


 美しい光沢を持つ白い布地……雨姫様が普段身に着けているような……に触れようとした指先を慌てて止め、強引に抱き寄せるようにして人込みに紛れる。

 雨姫様はひとまず大人しくついてきてくれて、少し歩いたところでぽんぽんと腕を叩いた。無我夢中だった私はぱっと手を解いて離れる。手と腕の内側に、雨姫様の体温がわずかに残った気がした。


「も、申し訳ありません、失礼を」

「構わない。……布に触れるのはダメだった?」

「いえ、ダメというわけではないのですが……」


 指先をさすりつつ言葉を探していると、アヤンさんと目が合った。何とも楽しそうに口元を笑みにゆがめている。わかっているなら代わりに説明してほしい。


「お得意様でもないのに、雨姫様くらいの若い人に丁寧に接する商人は珍しいんです。おそらく、ですが……雨姫様のお召し物を見て、布を売れると思ったのでしょう」

「つまり、良いカモだと思われたのさ」


 雨姫様の恰好は町娘風と言っても、生地も仕立ても良いものだ。普段の白の装束ほどの神秘感、清らかさはなくとも、見る者が見れば価値はわかる。美しい少女は立っているだけで目を引くものだし。

 雨姫様は、なるほど、と頷く。


「布はモノによっては非常にお高いので……絹ともなれば、銀や黄金と換えるような品物です。……本物なら、ですが」

「偽物もあるの?」

「ええ、布の目利きは難しいんです。糸の種類をごまかしたり……ともあれ、露店は眺めるだけにしましょう、ね?」

「わかった。ありがとう」


 素直な雨姫様に感謝の祈りを捧げたくなったが、外なので我慢する。

 衣服を扱う、露店ではなく店舗を構えたお店へ向かう。舞姫と衣装係の話を聞いた時に、雨姫様が衣装について気になっている様子だったからだ。


 庶民向けの少し高級な品揃え、と言ったところか。氏族の有力者の払い下げとか、ちょっとした宴席のための華やかな服、砂漠を渡るための丈夫な外套……家庭で繕うには少し難しい類の品を取り扱うお店だ。

 砂払いして入り口をくぐる。布や糸の匂いと、明るいおばさんの声が出迎えてくれた。


「ようこそ、……おやシャイラちゃん。服をお探し?」

「はい、ええと、こちらのお嬢様に良い服があればと。少し見て回ってもいいですか?」

「あらまあ、可愛らしい。どうぞどうぞ」


 馴染みのおばさんに、諸々ぼかして『お嬢様』を紹介する。アヤンさんの存在もあいまって、羽振りのいい氏族のおませな娘、くらいには思ってもらえただろうか。

 三人でゆっくりと店内を見て回る。


「この服、かわいい」

「広がるスカートはネスイ氏族風の晴れ着ですね。……とっても似合いそうです」

「シャイラもここで服を買ったの?」

「自分の服はもう少し安い古着屋で買って、調整しました。こちらのお店には、乾季明けのお祭りシャディンムで着る服を買ってからのご縁で」


 『ガーニムさんのトコ、儲けてるんでしょう? シャイラちゃんももっとウチで買いなさいよ』……などという声が店の奥から聞こえてきたが、聞こえなかった振りをする。服は基本的にお下がりを調整して使うものであって、買うのは特別な品物だけ、が庶民の常識である。


「ティルダード様からお金は預かっていますので、欲しい服があれば仰ってくださいね」


 身をかがめて、小声で耳打ちする。くすぐったげに小さく笑った雨姫様の横顔は、少しだけ普段より幼く……年齢相応に見えた。

 広くはない店内を一周して、二周して、賑々しくおしゃべりしながら飾り布や帯、髪布なんかも見て。雨姫様が選んだのは――


「本当にそれで良かったんですか?」

「ええ。綺麗だもの」


 白と青の布で織られた、花を模した飾りだった。精霊華ハヤーナと呼ばれる架空の花の飾りだ。白い布だけで作るのが一般的だが、青や赤を入れると華やかさと価格が上がる。と言っても、服と比べれば安いものだ。

 根本の紐で、雨姫様の胸元に軽く括りつけてあげる。町娘風の服装によく似合っている。


「かわいい……です」

「ありがとう。シャイラ、アヤンも、何か買いなさい」

「いえ、私は」

「ありがとうございます、お嬢様。……シャイラ? こういう時は好意に甘えておくのが礼儀というものだよ」

「は……はい。あの、では、……ありがとうございます」


 三人でさらにもう一周。

 私は書き物に使えるような薄い布の手袋を、アヤンさんは髪色に似た翠の髪布を買った。

 雨姫様からの、贈り物。

 上質ではあるけれど何の変哲もない白布の手袋は、私にはどこか輝いて見えた。

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