■4章/8

 植物園を出て、神殿のさらに奥へと向かう。

 神殿の建物の裏手には広い舞台のようになっている祭壇がある。精霊の気が強い場所というのがあって、重要な祈祷や儀式はその祭壇で行われるらしい。夜伽役になり、神殿の伝承を神官の方から教えてもらった時に知ったのだった。


 果たして、祭壇の広場には人が集っていた。かがり火が昼のように明るく広場を照らしている。

 白い装束を着た神官たち。その筆頭、ティルダード様。

 黒い装備を身につけた戦士たち。ティルダード様の護衛の戦士。


「……雨姫様!」


 祭壇の中央で跪く、白い装束の少女。

 目にした瞬間に叫んでいた。アヤンさんが、あちゃあ、というような表情をするのが目に入った。私も叫んでから後悔したが、祭壇の広場には隠れる場所もないのだし結果は変わらなかっただろう。


「なぜ……なぜ来たの……」

「捕らえろ」


 愕然とする雨姫様と、驚きもしていないように見えるティルダード様。距離は遠いが、二人の声ははっきり聞こえた気がした。


 アヤンさんが剣を抜く。鈍色の刃がかがり火を照り返し、ぎらりと輝いた。恐ろしい刃の煌めきが、今は頼もしい。

 〈水守り〉の戦士たちも応じて剣を抜き、あるいは弓を構えて、襲いかかってくる。私はせめて邪魔にならぬよう一歩下がった。


「狼珂国の戦士、アヤン! 草原随一の我が刃、恐れぬ者からかかってこい!」


 アヤンさんが叫ぶ。射掛けられた矢を弾き返し、突き出された剣を躱す。筋力では大柄な男の戦士には敵わないはずだが、華麗に舞うように斬撃をいなしたと思えば、次の瞬間には鋭い雷となって敵を切り裂く。


「すごい……」


 躱しきれずに翠色の髪が数房、宙に舞う。矢尻が服を裂き、肌に傷跡を残して、しかし突き刺さりはしない。

 追い詰められてなお、アヤンさんは強気に笑う。


(ああ……彼女は物語を纏っている)


 勇敢な戦士の物語だ。それは虚構かもしれないが、決して偽物ではない。彼女のうちに確かに備わった勇気と強さを奮い立たせるために、戦士の物語が鍵として必要だったのだ。

 浮かびかけた涙を拭う。彼女の戦いに、私ができることはただ一つ。信頼することだ。私の目の前にいるのは狼珂国随一の剣士なのだから。


 だから私は、彼女ではなく、その先を見る。祭壇に座っている雨姫様を。


「アヤンさん! 私を雨姫様の元まで!」

「任された」


 守っていたアヤンさんが、一歩踏み出す。二歩、三歩と重ねながら、〈水守り〉の戦士たちを打ち倒していく。その気迫に押されたか。わずかに包囲網が広がる。そしてまた一歩踏み出す。戦いの趨勢がアヤンさんに傾きかけた時だった。

 ティルダード様の護衛の戦士が、踏み出してきた。


「下がれ」

「ほう。ようやくお出ましか。名を聞かせろ」

「〈水守り〉の長、エーミール」


 〈水守り〉の戦士たちが退き、アヤンさんと護衛の戦士エーミールさんが向かい合う。アヤンさんが勝てないだろうと言っていた相手。


「行け、シャイラ」

「……はい!」


 剣を構えあう二人の横を抜け、祭壇へと駆け寄る。胸ほどの高さがある祭壇に勢いでよじのぼり、雨姫様の元へと転ぶようにたどり着いた。


 雨姫様は、少し痩せた印象だった。儀式のためか、普段より大人らしい印象の化粧をしている。会っていなかったのはたった数日のはずなのに、数年越しの再会のように、涙が溢れそうになった。

 だが喜ぶのは後だ。


「雨姫様」

「シャイ、ラ」

「申し訳ありませんでした」


 拝跪し、頭を祭壇の床へ擦り付けて、謝った。


「秘密を知り、疑ったこと。手を上げたこと。――夜伽役として、物語に全力を尽くさなかったこと。申し訳ありませんでした」


 言い訳はすまい。許してほしいとも言わない。ただ謝り、そして伝えたかった。


「貴女は、確かに民を想っていた」


 わずかな沈黙。雨姫様も、周囲の誰も言葉を発しない。ただアヤンさんとエーミールさんが剣を撃ち合う鋼の音が響くのみ。


「……顔を上げて、シャイラ」

「……はい」


 ゆっくりと身を起こすと、座ったままの雨姫様と視線が合う。雨姫様は常の冷静な表情で、ただ、目尻を少し赤くしていた。化粧の具合か、炎の色か、あるいは。


「貴女の謝罪を容れましょう」


 少女らしい甘い高さと、重圧を背負う人の冷厳さが同居した、雨姫様の声。私は言葉に詰まり、ただ首を垂れる。

 ほんの少し震える声が続いた。


「……それを言うために、ここへ?」

「半分は」

「……相変わらず焦らすのね」


 くす、と場違いな笑みと共に、雨姫様の頬に涙がこぼれた。


「もう半分は、貴女に想いを告げにきました」


 胸が高鳴る。息が上がる。空気が足りない。夜明け前の冷たい空気を肺一杯に吸い込んで、叫ぶ心地で囁いた。


「ルフ様。貴女を愛しています」


 ……今度は、剣の音すら止まった。

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