■戦士の歌

 神殿の門番は、私を見て明らかに警戒した様子だった。

 にっこりと微笑みかけても警戒を解くことなく、じりじりと距離を寄せてくる。


 そこへ、横からアヤンさんが襲い掛かった。剣を抜くこともなく、腕を引いて相手を浮かせ、地面へと叩きつける。


「がはっ!?」

「職務ご苦労。苦情はそこのシャイラへ頼む」

「うう……ごめんなさい。通してくださいね」


 布で手早く縛り上げ、声を出せないようにして塀の日陰に隠す。

 日が昇る前の、まだ薄暗い神殿を、早足で進む。


「儀式はどこで?」

「神殿奥の広場でしょう。重要な儀式は、精霊に届きやすい場所で行う必要があると聞きます」


 歩幅の広いアヤンさんを追う。気持ちは逸るばかりだが、焦っても転ぶだけだ。頭の片隅で思考を回転させながら、頼もしい背中に甘えて歩く。

 と、アヤンさんが立ち止まった。中庭の植物園が見えている。アヤンさんに手を引かれて、茂みの中に隠れた。


 手振りで、見ろ、と促される。茂る葉を退けてこっそり覗き込むと、神殿には似つかわしくない戦装束の男が二人いる。全体的に黒く染めた装備で、腰に剣を提げ、鋼の胸当てまでしている。胸当てには縦長の菱形の意匠が刻まれているのが見て取れた。


「見覚えは?」

「ありません。ただ……縦の菱形の意匠……神殿に仕える戦士の精鋭、〈水守り〉かもしれません」


 神殿は勢力として戦力を持たない。戦士たちは信仰の下に各氏族から奉公に来ているのであって、あくまで所属は氏族だ。

 その例外が〈水守り〉の戦士たち。精霊と神殿のみに仕える精鋭。戦ができるほどの人数ではないが、神官や聖なる土地の護衛を――荒唐無稽な噂によれば信仰を脅かす敵の排除も――しているという。


「なるほど、精鋭か。……剣の感じがティルダードの護衛と同じだな。やつもその〈水守り〉とやらか」


 息を潜めていると、〈水守り〉の二人は無言で立ち去った。武芸の素養のない私には、静かな身のこなしだ、と思うのが精一杯だ。アヤンさんは彼らの様子からその強さを読み取ったようで、膝をついた姿勢のまま腰の剣に視線を落としている。


「シャイラ」

「はい」

「少し時間をもらう。……あたしの群れには、戦士だけに伝わる歌がある」


 突然語られた言葉に疑問符が浮かぶけれど、飲み込んで頷く。

 今、この場で語られるならば、それは絶対に必要な内容だ。


「戦士が、大切な戦いの前に歌う歌だ。……本来なら戦士ではない者に聞かせてはならないんだが、君も命を賭けているわけだし、特別に聞かせてあげよう」

「戦士だけに伝わる歌……とても興味深いです」

「ちゃんと聞いてもらうが、覚えないように。口外もするな」

「わ、わかりました」


 文字通りの秘伝なのか。私は戦士になる予定もないので、深く頷く。

 アヤンさんは剣から手を離すと、瞼を閉じて、唇を開いた。暗い植物園の中、抑えに抑えた小声が音程を奏でる。


「あ、あ。……嗚呼。故郷よ」


 私は瞼を閉じる代わりに、視線を茂みの外へ向ける。見張りのつもりだけれど、意識は耳に届く歌声に集中していた。


「吹き渡る風よ。風に揺れる草よ。草を食む馬と羊たちよ」


 旋律は穏やかで、暖かい。

 戦士の歌だというから、もっと激しく、勇を鼓すような歌だと思ったのだが。アヤンさんが歌うそれは静かで、穏やかだった。


「注ぐ日差しを、恵みの雨を、激しい風を、相棒の馬を、友よ、覚えているか」


 唐突に理解が訪れる。

 これは勇気の歌だ。守るべき故郷を思い出し、恐るべき敵へ立ち向かうための勇気を奮い立たせる歌なのだ。

 だから戦士ではない者に聞かせてはならないのだろう。戦士が庇護する者たちにとって、常に勇敢な存在であるために。


「……」


 それを今歌った理由も、私に聞かせてくれた理由も、問うまい。

 アヤンさんの美しい歌声を聴きながら、私もまた、胸の奥に勇気をもらう。私が守るべきものは……白く小さな、少女の姿をしていた。


「……ふ、ぅ」


 歌を終えたアヤンさんが、少し恥ずかしげに吐息する。その横顔はうっすら紅い。


「美しい歌でした」

「だろう。……さあ、行こうか。〈水守り〉の戦士、何するものぞ」

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