■魔女の弟子
準備した物語を胸に抱えて、雨姫様の寝台に座る。
いつものように横顔を向ける少女の全身を視界に入れ、その反応を伺うでもなく見ながら、いつものように跳ねる鼓動を抑えようと息を深くする。
「今夜は」
思い出すまでもなく覚えている、初めての夜伽での言葉――『恋の話を聞かせて。とびきりの悲恋がいいわ』。今夜はそう希望されたわけではなく、私が選んだ。
「悲しい恋の物語を、語ろうと思います」
「……聞かせなさい」
頷く。
胸元の本を握り締めていることに気付き、引き剥がすような心地で手を一度離した。本を膝に置き、深呼吸を一度。
さあ、練習してきた通りに語ろう。
「砂漠の砂が一巡り、入れ替わるほど昔のお話――」
▼
あるところに、戦士になったばかりの少年がいました。
勇敢な若き戦士は、ある時、泉のほとりで一人の少女と出会います。
魔女の弟子だという少女と、未熟な戦士の少年は、すぐに仲良くなりました。
二人は氏族と魔女の命により、国中を旅して回ります。
馬車が壊れてしまった人を助け。
盗人から貴重な宝物を取り戻し。
豪雨で溺れた子供たちを救い。
暗い洞窟の奥でお宝を見つけ。
山々を荒らし回った暴れ猿を大人しくさせ。
ヒトと話せず寂しがっていた妖精と語らい。
霊峰の頂きで、荒ぶる精霊を鎮め――
旅の中で二人は惹かれ合っていきました。
少年は少女の優しさと秘された勇気に。
少女は少年の勇気と不器用な優しさに。
守りたいと思う気持ちを、共に育てていきました。
旅を終えた少年は氏族の長に取り立てられ、重要な使命を受けて他国へ赴くことになりました。
少女は砂漠の妖精の血を引くために、砂漠から出ることができません。砂の地を出れば、少女の身体は砂に還ってしまうのです。
必ず帰ってくると誓う少年を、少女は涙をこらえて見送りました。
けれど、少年は使命を果たす途中で大怪我を負ってしまいまいます。
知らせを受けた少女は苦悩しました。
魔女の魔法なら助けられるかもしれない。けれど、砂漠を出ることはできない。
あらゆる手立てを考えて、その全てが潰えたとき――
▼
「――少女は決意しました」
重く感じる唇を一度閉じる。
お話の筋立てが重く悲しいから、という理由がひとつ。ただ、それ以上に、身を捩りたくなるような苦しさがあった。
「少女は絨毯に魔法をかけ、乾いた風に乗って飛び上がりました」
魔女の弟子の少女の焦燥感と、わずかな解放感を語らなければならないのに。私の声は暗く沈んでいる。
これでは伝わるものも伝わらないと思っても、言葉の重さは変わってくれない。
雨姫様の様子を伺う。視線がちらりとこちらを向いた。それだけで、身が熱くなる。
(ああ……。私は、恥ずかしいのか)
唐突に理解が訪れた。この熱さと苦しさは、恥知らず、と自らを罵る感情だ。
以前、舞姫と衣装係のことを語った時を思い出す。あの時感じた恥ずかしさの正体も、これだったのだろう。
(他人の話しか語れない、恥知らず)
作家でもない。
吟手でもない。
そのくせ、他者の話を都合よく妄想する。
あまつさえ――自分の都合で、物語の結末を変えてしまう。
「少女の身体は、砂漠を出た瞬間からぽろぽろと、さらさらと、砂になって散っていきます」
本来の物語では、魔女が絨毯で砂漠を飛び出すが、今まで戦士と魔女が助けた者たちの手助けを得て戦士の下まで辿り着くのだ。そして、妖精としての力の全てと引き換えに少年を救う。
少年と少女は、戦士と魔女ではなくなり、ただ思い合う二人として寄り添って生きることになる――めでたし、めでたし。
だが、私の唇は別の結末を紡ぐ。
「魔女の少女、妖精の末裔たる少女は、自らを守る力も捨てて、全てを魔法の絨毯に注ぎ込みます。風よりも早く、光よりも真っ直ぐに。向かい風は少女の体を砂として散らしていくけれど、少女は怯むことなく、少年の元へ向かいます」
ごめんなさい。
魔女の少女、名も顔も知らぬ、存在しない――古き時代に存在したかもしれない――女の子へと、内心で謝る。
ごめんなさい。私の都合で、あなたたちを悲劇に突き落とします。
「少女は耳を失い、好きだった風鳴りの音も聞こえなくなります。
少女は目を失い、空から見える雄大な山並みも見えなくなります。
少女は体を失い、少年を抱き締めることもできなくなります。
少女は魔法の力を失い……ただひとつ。癒しの魔法を込めた水瓶だけが、空から落ちました」
涙が滲みそうになって、堪える。私に泣く資格はない。少女を悼む気持ちと、自らの行いを後悔する気持ちが、半々。
雨姫様を見る。美しい横顔、その目元が赤い。瞼や頬に力が入っていて、少しだけ普段より顔を上向けている。
「こぼれた水は少年を優しく包み、その傷を癒やしました。目を覚ました少年は、愛する少女の名を呼びました。彼女がそこにいると確信していたから。けれど、少年の声に応える者はいません。ただ一握の砂が、風に吹かれてひらりと散っていくだけでした」
一息。
「……お終い」
彼らの旅は続かない。お話はお終いだ。私が、終わらせた。
雨姫様が瞼をゆっくりと閉じた。その拍子に、瞳に溜まった雫がふたつ、ぽろと頬へこぼれる。
後悔と、達成感、それに……役目を果たした、という安堵。あらゆる感情がないまぜになって、堪えていたはずの涙が私の瞳からも溢れた。
しばしの沈黙。
ひぐ、とはしたない嗚咽が私の喉から漏れた。
「……雨姫様、」
「下がりなさい」
「…………、はい」
深々と頭を下げる。
雨姫様の寝台、白いシーツに涙の跡を残して、寝室を辞した。
▼
翌日。
雨は、降らなかった。
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