■3章/1

 店を出て、神殿へと向かう前に寄り道をする。市場から少し離れたところに建てられた小さな店。看板にはペンと紙の意匠。重い木の扉を肩で押し開けて中へ。


「いらっしゃい……シャイラか」


 気だるげな女性の声と、むせかえるような紙とインクの匂いが出迎えてくれた。部屋の中には本やさまざまな種類の紙が所狭しと積み上げられ、棚に仕舞われ、紐で吊るされている。


 部屋の奥には長椅子があって、しどけなく寝転んだ女性が店主のドゥリヤさん。濃い赤色のローブをまとった妙齢の女性だ。左目に片眼鏡。褪せた金髪が長く伸び、長椅子のシーツに広がっている。周囲には文字を書きつけた紙が散乱しているのもいつも通りだ。


「ん……しょ」


 読んでいたらしい紙を放り、声と同じように大義そうな仕草で身を起こす。ローブから覗く太ももの下で羊皮紙が潰れていた。紙は安いものではないから、そのように粗雑に扱っている様子を見せられると、なんとも背徳的な気分になってしまう。

 ドゥリヤさんが身を起こすのを待つ間に、担いでいた袋から紙束を取り出す。羊皮紙の束はそれなりに重い。どす、と近くの卓に置いた。


「買取かな?」

「お願いします。それで、新しい紙を頂いていきます。インクもふた壺ほど」

「おや……自分で削らないのか」


 羊皮紙は表面を薄く削ることで文字を消し、また書けるようになる。削った部分は毛羽立って書きにくくなるし、厚さは削れていくから二度か三度が限界だが、それでも新たに買うよりは安い。

 普段は不器用ながら削っているのだが、今日は時間が足りない。


「はい、今回は。できるだけ安い紙をお願いします」

「ならその棚のを一束。インクはそっちの卓の上。ついでにそこに並んでる羽根ペンも一本、持って行きたまえ」


 なんとも適当なやり取りだが、ドゥリヤさんはいつもこうだ。こと筆記について、彼女よりも詳しい者はこの街にはいない。

 その視線は私ではなく、先に渡した紙束を……私が書き込んだ文字を見つめている。


「あの、まじまじと読まれると恥ずかしいのですが……」

「シャイラの文字は相変わらず丁寧だ。でも随分小さい。何を焦っているのかな」

「……わかるんですか?」

「わかるとも。話し声で感情がわかるのと同じように、文字も色々なことを教えてくれる」


 ドゥリヤさんはこともなく言い、羊皮紙に染みたインクを指先でなぞる。まるで、指先の感触で読み取れることがあるかのように、丁寧に。実際に撫でられているわけでもないのに、少しだけ体がぞくりとした。


「……実は」

「うん」

「ある人を、……泣かせたい、と思いまして」

「おや、艶のある話だね」

「ち、違います! そう言う意味ではなくて!」

「感動させたい、と?」

「そうです。……わかってるなら茶化さないでください」

「ふふ。それで、物語について色々考えているわけだね」


 羊皮紙には思考を整理するための走り書きが無秩序に並んでいる。登場人物、舞台背景、出来事、関係性。私が知っている物語と、自分で妄想した物語について。

 雨姫様のことは一切記していないと確認はしたものの、やはり緊張するし、普通に恥ずかしい。とはいえ、ドゥリヤさんに削っていない紙を売るのは読まれることも込みであった。削っていても文字を読み取れるという噂もあるほど、彼女は文字を愛しているのだ。


「悩みがあっても丁寧に文字を書くのは、君の美徳だ」

「あ、ありがとうございます」

「君の得手は語りだったね」

「得意というほどでは……それしかできないというだけで」

「ふふ」


 何故か、愉快げに笑われた。

 売った紙を指差し、その指が買った紙を示す。


「これだけの文字を書き、決意みなぎる顔で紙を買っていく。それだけの覚悟があって、『しかできない』というのは、中々傲慢だね」

「ご……、ごめんなさい?」

「褒め言葉として受け取っておいてくれたまえ」

「ありがとうございます……」


 決意……覚悟。

 そんなに良い感情ではないようにも思うけれど。今感じている重圧の別の名前を教えてもらったようで、少し呼吸が楽になる。


「常連さんに余計なお世話をひとつ送ろうか。丁寧さは美徳だが、時に思い切りが必要になることもある」

「思い切りが……」

「文頭の文字を大きく飾り立てるように。自信があろうとなかろうと、物事の最初は大きく行くべきだ。特に……人の感情を動かそうとする時は」


 ドゥリヤさんの言葉はいつも通りの低く穏やかな声で、耳に心地よく響く。内容を実行できるかはわからないけれど、私は深く頷いた。


「……心に留めます」

「求められてもいない助言など、邪魔でしかない。さっさと忘れてしまいなさい。忘れてもなお残るものがあるなら、それは私の助言ではなく君の本心だよ」


 言うだけ言って満足したのか、あるいは気恥ずかしくなったのか。ドゥリヤさんはまた長椅子に寝そべると、追い払うように手を振った。私は紙束とインク壺、おまけでもらったペンを握り締めて店を出る。

 夕暮れの、最後の一瞬。燃えるように赤い残照が視界を埋めた。


「……雨」


 雨は必要だ。子供たちにも、ガーニムさんやドゥリヤさんたち市場の人にも……もちろん、私も含めて、この国の全ての人にとって必要な恵みだ。

 その手伝いができる立場にいて、わがままを言うだけで良いのだろうか?


「…………雨姫様のためにも、私は……」


 紙を抱きしめるように持ち、その重みを頼もしく感じながら神殿へと帰る。足取りは、少しだけ早くなった。

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