■星の舞姫

 舞姫は、青年が繕った装束を纏って踊りました。


 白の衣は風のように軽やかに。


 青の飾り布は水のようにしなやかに。


 木の靴は高鳴る鼓動のように楽しげに。


 女の技を衣装が引き立てて、舞踏はますます美しく。


 楽器も太鼓も高らかに、観客たちは大歓声。


 けれど、舞姫の最高の笑顔はただ一人――


 観客たちの後ろから、遠く舞台を見つめる青年へと、向けられていたのでした。



 それから、週に一度ほどの夜伽を二回終えた。

 雨姫様の前で語る緊張には全く慣れないけれど、素人なりに、語りは少しずつ様にはなってきたように思う。


 語ることで少し熱を持った喉を冷ますように、息を吸う。

 発する言葉は全て重要だ。それでも、語る者と聞く者の意識に区切りをつける意味で、この一文は特別な意味を持つ。


「……彼らの旅は続くけど、今宵の話はこれでお終い」


 思考が物語の世界から、現実へと戻ってくる感覚。

 それこそ物語の住人だと思えるほど美しい少女へと、改めて焦点を合わせる。ずっと見てはいたものの、語っている最中はどうしても意識が思考の内側に向いてしまう。

 雨姫様は、今日もクッションに寄りかかった姿勢だ。横を向いた瞳の周囲、目じりに少し赤みが差しているように見えた。だが、泣いてはいない。


「……」


 ふ、という吐息の音は気のせいだったか。色の薄い、形の良い唇が少しだけ開いて、吐息した。顔がこちらを向き、小さく頷く。


「素敵だったわ」

「……ありがとうございます」

「このお話は……貴女が作ったの?」

「半分は」


 何度か夜伽をするうちに、こうして、語り終えた後に少し話をするようになっていた。その日に語った物語について、感想を聞いたり、質問を受けたり。楽しくも緊張する時間である。

 今夜語ったのは、踊りや演技を生業とする舞姫と、彼女を支える衣装係の青年のお話だ。


「半分?」

「はい。元々は、舞姫の伝記なのです。三十年前、実際に活躍した『セティラ』と呼ばれた女性の。実際は踊りだけでなく劇団の役者でもあったようですが」


 劇団にもいくつか流儀がある。純然たる演技と物語を売りにする劇団もあれば、楽しい歌と踊りで盛り上げる劇団もあるのだ。


「その伝記に衣装係のことが書いてあった?」

「一部は」


 焦らすような物言いになってしまったが、わざとではない。複雑で説明が難しいのだ。必死に説明を考えている私の表情がよほど顰めっ面だったのか、雨姫様は小さく笑って脚を組み替えた。


「伝記に、こんな一節があったのです。『私には、よく尽くしてくれた衣装係がいた。多くの嘘を纏ったが、衣装と宝飾がその嘘を本当にしてくれた』と」

「嘘を……纏う」

「見事な比喩だと感心していたのですけれど。伝記を読んだ数年後に、お店で舞台用の装束を買い取ったことがありまして」

「古道具屋というのは、そんなものまで買い取るの?」

「普段は扱いません。華やかな生地というのは貴重ですし、仕事道具の類は大抵同じ業界の中で巡るものですから」


 金のない劇団の舞台では、時代も国も異なるお話なのに、お姫様が同じドレスを着ている……なんてことは良くある。


「ただ、持ち込んできたのが男性だったのです。初老の、体格の良い男性でした」

「へえ……。古道具屋に行ったことはないのだけれど。貴女はどうやって金額を決めるの?」

「わ、私が決めるわけではないですよ。店主のガーニムさんが決めて、私は帳簿を書いたり保管したり……というお仕事ですから。ガーニムさんは『売れるか売れないか』で決めるとは言っていました。衣装の値付けなんて初めてだったみたいで、悩んでいましたが」

「見識が広くないとできない仕事ね」

「そうなんです。……それで、ええと」


 勢いで話し始めてしまったが、これは若干恥ずかしいのでは? 口籠もってみるけれど、雨姫様の続きを促すような視線に逆らえるはずもない。

 頬が少し熱いのを自覚しつつ続ける。


「布を繕うのは女の仕事ですから、おそらく彼はただ売りに来ただけ、だったのでしょう。でも、もしその華やかな衣装を繕ったのが彼自身だったら? 衣装を後輩や同業に譲らず、大切に仕舞っていた理由は? ……そう考えたら、ええ、妄想が止まらなくなってしまって」

「妄想が」

「はい、妄想が」

「……怒られなかったの?」

「衣装に見惚れてぼーっとしてたら思い切り怒られました」

「でしょうね……」

「こほん。……それで、気付いたら今のお話の骨子ができていました。華やかで自信に満ちた、嘘を纏う舞姫と……彼女を支える、決して名前の出ない衣装役の青年の話が」


 なぜこんなにも恥ずかしく感じるのかわからないまま答える。もちろん、妄想に耽ってばかりいる女だ、と思われるのは恥ずかしいが……。それはバレているので今更である。

 伏せがちになる顔を何とか雨姫様に向けておく。雨姫様は視線を私から外して、何か考えている様子だった。

 水が流れる音だけが僅かに響く、沈黙の時間。


「……貴女は」

「は、はい」

「嘘と真実を、同じように愛せる人なのね」

「真実……を?」


 言葉の意味がわからずに、失礼な聞き返し方をしてしまった。雨姫様の言葉には非難の色はない。だが、称賛するという感じでもない。いつものように静かだが、確かにこもった感情は……羨望、のような。

 雨姫様は口をつぐみ、説明してくれるつもりはないらしい。少なくとも悪い意味ではなさそうだ、という直感を信じて、頭を下げる。


「……ありがとうございます」

「ええ。……それにしても。貴女が語る舞台は、私が見たことがあるものと少し違うみたい」

「そうなんですか? 雨姫様が見た舞台というと……」

「神殿にもたまに劇団が来ることはあるの。乾季明けのお祭りシャディンムとか。その時は、静かでお祈りみたいな雰囲気だったけれど」

「ああ……まあ、それは。神官の方々や雨姫様に、あまり騒がしい演目を見せるわけにもいかないのでは」


 演劇や踊りによっては非常に騒がしかったり、淫猥だったりすることもある。市井の娯楽とはそういうものだが、清らかな少女に見せるわけにはいかないだろう。

 当然だとばかりに答えたが、何故か雨姫様は考え込む。


「…………」

「……あ、あのう?」


 理由がお気に召さなかったのだろうか。それとも言葉を選びすぎたか。表情を伺うが、少女の整った顔立ちから読み取れる情報は少ない。視線はいつものように横を向き、珍しく口元に指を添えている。


「惜しい」

「え?」

「貴女が語る踊りの魅力を、私は余すところなく想像できていない、ということでしょう? それは少し惜しい」

「な……なるほど。それは……ええと。実力不足で申し訳なく……」


 もっと上手く、魅力を伝えられるように語れれば良いのだが。そう思う反面、雨姫様が私の語りをより深く楽しみたいと思ってくれているのは、何とも嬉しいことだ。

 緩みそうになる表情を隠して少し俯く。しどけなく伸ばされた雨姫様の細く白い脚が目に入った。しばし見惚れていると、とんでもない言葉が降ってきた。


「見に行きましょうか」

「見に……、え?」

「見に行きましょうか。踊りの舞台。華やかな衣装、軽やかな踊り……見てみたいわ。私はいつもこれだし。ついでに市場も」

「はぇい?」

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