■手紙/1


『 親愛なる弟へ


 黄玉の月が近くなり、日に日に砂が乾くのを感じますが、ご健勝でしょうか。

 セルチ氏族の皆様、お世話になっているグラーダ家の皆様もお変わりありませんか。


 戦士としての訓練にも励んでいることと思いますが、どうか無理はなさらずに。あなたと、あなたと屋根を共にする方々を守れるよう、頑張ってくださいね。

 こちらでは先日、ちょっとした大事件がありました。諸事情あって手紙には書けませんが、今度会った時にはお話させてください。


 昔、あなたが眠れるまでおとぎ話を語り聞かせたことを覚えていますか?

 もしひとつでも覚えている物語があれば教えてほしいと思います。

 あなたに精霊の導きがあらんことを。


 シャイラ 』


 『大事件』――雨姫様への夜伽を終えて、一週間。


 手紙に署名を終えて、ペンを置く。自然とため息がこぼれた。

 手紙を書くというのは、どうにも緊張するものだ。弟への手紙くらいは気負いなく書けば良いとは思うが、座を正して丁寧に言葉を記す行為は嫌いではなかった。


 弟は孤児院を出た後、セルチ氏族の領地に残って戦士を目指している。戦士になるには氏族の後見が必要だから、孤児院の伝手を頼ってグラーダ家に養子に入っていた。色々苦労はあるだろうが、弟からの手紙はいつもそっけなく大丈夫と告げるのみ。


「……意地を張りたい年頃でしょうか」


 いつか頼られた時には助けてあげたいから、そのためにもこちらはこちらで頑張らないと。

 羊皮紙を机の片隅に軽く張って、インクを乾かす。ガーニムさんの古道具屋は持ち込みと隊商からの仕入れが半々で、常に客がいる雰囲気のお店ではないので、こうして手紙を書くくらいの余裕はあった。


 弟のことを考えたからだろうか。ふと、雨姫様に語った物語を思い出す。砂漠を越えてでも会いたいという想いを込めて、あの恋人たちはどのような手紙を交わしたのだろうか。

 連想が更に跳ねる。手紙は誰かによって運ばれる。恋人たちは、自分たちの密かな想いを誰に託したのだろう? 託された者は、手紙の内容を知っていたのだろうか? 


「……イラ」


 想像する。伝承にはない独自の妄想だ。砂漠の両端、砂と氏族のしがらみによって隔たれた恋人たちをつなぐ者。女に仕える青年は、男の十年来の友人でもあった。青年は二人の想いを叶えるため、懐に手紙を守り、熱砂を踏んで――


「シャイラ!」

「ひゃい!」


 いつの間にか入口の幕が上がり、商談に出ていたガーニムさんが戻ってきていた。呆れた顔で私を見ている。

 私はいつの間にか虚空で握り締めていた筆をそっと置き、居住まいを正して微笑んだ。


「お帰りなさい、ガーニムさん」

「全く、また妙な妄想をしていたな?」


 呆れ果てたと言わんばかりの声だが、機嫌は悪くなさそうだ。商談は上手くいったらしい。

 茶炉サマヴァールで温めていたお湯をティーポットへ移し、香草をよく乾燥させた茶葉を入れる。ふわりと爽やかな香りが店内に漂い始めたところで、小さな金属製のティーカップへ。


 金属製で背の高い香炉に似た茶炉は、中に火草や炭を入れることで湯を沸かしたり保温したりできる、便利な道具だ。私が初めての稼ぎでガーニムさんから購入した品物でもある。

 お茶を手渡して、二人で味わう。喉に良いという香草は、味も香りも中々だ。


「お茶をどうぞ」

「ありがとう」

「商談はいかがでした?」

「まあまあだな。今年は雨が少なかったとかで、小麦の商いが渋かった分、鋼やらに手を出したそうだ。コエニのやつめ、馬車が足りないと笑っていたよ」


 コエニさんは漣沙国の南部と北部を行き来する行商人だ。北部に行く時はセルチ氏族の領地も通るから、弟への手紙を何度も運んでもらっている、信頼できる商人だった。

 先ほどの妄想を思い出して、少し頬が熱くなる。なお、コエニさんは青年ではなく、少しやせた精悍なおじさまである。


「では、手紙を運ぶお願いをしても大丈夫そうですね」

「急がないと、今回は早めに発つと言っていたぞ。どうも、乾季が厳しくなると占い師どもが話しているらしい」

「そうなんですか?」

「星見も、砂占いも、卜骨ぼっこつもそう言っているそうだ」

「確かに、今年はこちらでも雨が少なかったですしね」

「ふん。俺は精霊と雨姫を信じるがな」


 黄水晶の月から黄玉の月に移り変わる頃、砂漠は乾季を迎える。雨は降らず、風は鋭く、日差しは強い。昼は燃えるほど熱く、夜は凍えるほど寒い季節が、瑠璃の月の頃まで半年以上続くことになる。

 それでも漣沙国にはまだ雨が降る。精霊の祝福と雨姫様の奇跡により、漣沙国は周辺の他国と比べると乾季でも雨が多い。十分とは呼べないが、水場リュサラも多く、備蓄があれば困らぬ程度には暮らしていける。


「雨姫様を……」


 喉が一気に渇いた気がして、お茶を含みじっくりと飲み込む。

 思い出すのは、十年前。

 数か月にわたり一滴の雨も降らない干ばつに襲われた故郷と、ひとつの水袋を遺して逝った母の姿――。


「……そう、ですね。漣沙国には雨姫様がいますから」

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