■断章


 アヤンが雨姫の寝所を訪れると、扉の前にはいつものようにナーディヤが立っていた。


「雨姫はいるかな」

「アヤン様。……夜伽の予定は伺っていませんが」

「たまには予定外というのも悪くないと思ってね」

「……伺って参ります」


 不審や不満を露わにしないナーディヤの態度は大したものだと、アヤンは苦笑する。

 ただ許可を得るだけにしては長い時間の後、寝所へと招き入れられた。

 アヤンはいつも通り白い空間に目を細める。ナーディヤとすれ違うようにして、雨姫の寝台へと近付いた。


「何の用かしら」

「もちろん、夜伽に」

「要らない。下がりなさい」

「おや、つれない。ではひとつ」


 常よりも冷たく突き放す態度に、しかしアヤンは愉快げに笑う。許可も得ずに寝台に腰を下ろす仕草は、シャイラやナーディヤが見れば窘めただろう気安さだ。普段の夜伽から、この距離感ではあった。


「シャイラはどこに?」

「知らないわ」

「数日前から神殿にはいないようでね。私室にも帰っていない。荷物は置きっぱなしと来た。まるで青白い馬コカドゥに連れ去られたようだ。狼珂国ロウカの伝承で、気付かぬうちに人を連れ去ってしまう怪異なんだが」


 流れるように語られる言葉に、しかし雨姫は反応しない。いつもの夜伽のように壁の方へ視線を向けて、クッションに寄りかかっている。

 なるほど、とアヤンは苦笑した。


「知っているが言えない、か。シャイラに泣かされたわけではなさそうで安心したよ」

「……何の、話かしら」

「さて、ね。正解か、なんて尋ねないから安心してくれ……あたしの見立てが間違っているはずがないからね」


 強気に笑うアヤンは、あくまでいつも通りの様子だった。雨姫は頷くことなく、頑なに反応を抑える。その頑なさを見抜かれているとしても。

 しばしの沈黙が下り、部屋の壁沿いを流れる清水の音を聞いた後、アヤンは立ち上がる。


「雨姫」

「……」

「あたしは味方だ」


 びくりと、小さな少女の身体が震えた。

 アヤンはそれを見ぬふりで、扉の前まで移動する。背中を向けたまま、髪を飾る茶毛の飾りを撫でて告げた。


「夜伽役の座を狙っているのでね。あたしは常に貴女の味方でいると、我が愛馬、ショールガの鬣に誓おう。それに、まあ……」


 声に笑みが混じる。


「シャイラもそうだろう。彼女の気持ちは……と、これ以上は野暮かな?」

「……知らないわ。……夜伽、ご苦労。出ていきなさい」

「仰せのままに」


 寝所を出て、アヤンは神殿の中庭から月を見上げる。

 草原と違い、砂漠の空には晴れていても砂を感じる。だが、夜空は同じ――美しい月が柔らかく照らしていた。


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