■西の姫と東の勇士
「恋の話を聞かせて。とびきりの悲恋がいいわ。私には決してできないことだから」
夜伽を命じられてから、一週間後。
ついに雨姫様と会う夜を迎えた私は、こうして同じ寝台に座っている。
清らかな湧き水のような印象の少女――雨姫様。
雷雲のような黒灰色の瞳が私を見つめる。捕らえる。目元は笑っていないが、口元にはうっすらと冷たい笑み。
「悲恋を。……できない、とは?」
胸元に手を当てる。
一週間、神官の方々に礼儀作法と祈りの言葉を叩き込まれながら、語り手としての練習もしてきた。だが、……雨姫様と話す練習などしていない。緊張で胸は痛いほどに打ち、込み上げてくる感情で吐きそうだ。
せめて声を震わせないように気を付けて問いを返す。
「雨姫に恋はできないの。だから、恋の話を聞かせて」
「そう、なのですか」
信仰の関係、なのだろうか。だが、歴代の雨姫の中には子を成した方もいたはずだった。無知を恥じながらも問いを重ねてしまった私に、雨姫様は冷たく微笑んだ。
少女の瞳が、私を射貫く。背筋が震える。
ああ。
(今、私は……言ってはならないことを言った)
何故かそう確信した。雨姫様の黒灰色の瞳、口元に微笑みを浮かべながらも笑っていない視線がそう感じさせたのだ。
混乱する思考のまま、顔を伏せる。座った姿勢のまま寝台に額が触れるほど頭を下げた。
「申し訳ありません。出過ぎたことを口にしました」
「謝る必要はないわ。でも、説明するつもりもない。貴女は夜伽なのだから、役目を果たしなさい」
「…………はい」
詫びの言葉が宙に浮いて、消える。
雨姫様が不要というのならば、これ以上謝るのもむしろ不敬だろう。仰る通り、私は私の役目を果たすことが償いになってくれることを祈るしかない。
「では。……悲しい恋の物語を、語らせていただきます」
顔を上げて、楽な姿勢に座り直す。視線は真っ直ぐ雨姫様へ。腹に手を置き、声の出し方を意識する。
雨姫様は寝台に座りなおし、大きなクッションに背中を委ねて、部屋の中央の方を見ている。私からは横顔が見える状態で、視線は合わない。興味がないようにも見える。
夜伽の役目を果たす。
そのために邪魔な緊張や遠慮は、今は投げ捨てて集中しよう。そうは思っても早く打つ鼓動をなだめながら、必死に思考を巡らせる。
「砂漠の砂が一巡り、入れ替わるほど昔のお話」
子供たちを相手に何度も語った最初の文句は、石造りの壁と天井に僅かに反響して消える。
たった一人の観客のために語る。かつて弟を寝かしつけていた時のことを、ふと思い出した。
「広い砂漠の西の果てに、美しい姫がありました――」
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砂漠の東西を一年ごとに旅して相手に会いに行く、恋人たちの物語。
二人は対立する氏族のしがらみと砂漠の厳しさに阻まれながらも、手紙と、年にひとたびの逢瀬で想いを確かめ合う。
二人の想いは本物でも、運命は二人が結ばれるのを許さなかった。
女は別の男へと嫁ぐよう氏族の長に命じられ、最期の手紙を男へ宛てると、自ら命を絶った。
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