■3章/3

(ううん。話せるわけ、ない。雨姫様と、私の……二人きりの時間のことを)


 人生で初めて感じるこの感情は……世に言う、独占欲、なのだろうか。

 私の秘めた心の動きを見て取ったのか。アヤンさんも水を一口飲んでから小さく苦笑して、私の隣に座った。

 寝台が少し軋む。


「何やら悩んでいるようだね。我らが雨姫様のことだろう?」

「なっ……なんで……そんな……違います」

「強情な羊だ。では私の悩みを聞いてくれ」

「……アヤンさんの?」

「ああ。――彼女は、涙を堪えている」


 びくりと身がすくんだ。

 アヤンさんは視線を私から外し、窓の外を見ながら続ける。


「雨を降らせることを拒んでいるわけではない……はずだ。そうでなければ夜伽役など作らないだろうからね」

「……はい」

「にもかかわらず、彼女は涙を流さぬように堪えている。少なくともそう見える時がたびたびあった。君はどうだ」


 戦士と魔女のお話を語った時の雨姫様の様子を思い出す。目元を赤くして、瞼を開き気味に、頬に少し力が入った表情。


「……堪えているように見える時は……ありました」

「君もそう見るなら、間違いはないか」


 話の流れが怖い。このままだと誰にも話せない懸念に繋がってしまうだろうか。私の葛藤に気付かぬ様子で、アヤンさんは窓の外からこちらへと視線を戻す。いつもと変わらぬ黒瞳。彼女が悩んでいるというのも、私に対する気遣いの表現だったのかもしれない。


「もしかしたら」

「は、はい」

「彼女自身の意思で堪えているわけではないのかもしれない」

「……どういう、ことです?」

「あたしの群れには、『大きな馬は大きく動かせ』という諺がある。重く、力強いものほど、外から自由にするのは難しいという意味だ」

「なるほど。雨姫様を馬で喩える是非はさておき……雨姫様の涙は……大きな力を秘めていますね」

「何しろ、精霊ジンの力だ。涙だけとはいえ、雨姫自身ではどうにもならない制約があるのかもしれない。無意識に堪えてしまうとか……逆に、力を込めないと涙を流せない、とか」

「……涙を堪えていたのではなく、流そうとしていた?」


 あえて涙を流そうと努力したことはないが、そうすれば堪えているのと同じような様子になるかもしれない。

 その推察が正しいなら、私が悩んでいる内容の説明にもなる。つまり……自然に傍点流れた涙ではないから、雨が降らなかった可能性だ。無理やりなこじつけだとはわかってはいるが、『精霊が関わることであり、人間の理では計り知れない』という結論は、今の私には魅力的だった。


「可能性はありそうです。問題は……私たち夜伽役には解決できない理由だということですね」

「そうだね。例えばだけれど、くすぐって泣かせても雨は降らないかもしれない」

「くすぐっ……」


 雨姫様の小柄だが整った肢体と、清らかさを引き立てる白い衣。薄手の生地の上を指先が滑り、少女の敏感な肌を撫ぜる。くすぐったさに身をよじり、雨姫様が小さく声を上げ――る寸前まで妄想したところで、頭を布団へ叩き付けて不埒な想像をかき消す。


 顔を上げるとアヤンさんが『何やってるんだこいつは』という顔をしていた。働き始めた頃にガーニムさんもよくしていた表情だ。


「駄目です」

「う、うん?」

「そんな不埒……じゃなくて不敬なことは精霊が許しても私が許しません」

「例えば、なんだが……いや、失言だった。あたしが悪かった。だからそう睨まないでくれ」


 何故か若干身を引いてさえいるアヤンさん。睨んではいないが。


「ともあれ。私たちが雨姫様のためにできることは、やはり」

「ああ。これまで以上に、彼女の感情を震わせるしかない。精霊に届くほど、ね」

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