5 もしかして…、ランチボックス、入れ替わってるー!?

 

 ジーナ・エメリアは、可愛げのない女だった。

 少なくともフィンセントはそう思っていた。

 銀髪碧眼。浮世離れしているほどに美しい容姿。少し背の高い体。凛とした眼差し。背筋はいつもピンと伸び、隙がない。性格もクールで、人を頼らず自分で何でもしてしまう。

 

 ……フィンセントはそれが面白くなかった。

 

 彼女のクールな仮面を剥がしてみたかった。

 自分だけの前で見せる表情があってほしかった。

 自分だけが知る、彼女の弱味がほしかったのだ。

 

 ジーナは隙のない女らしく、料理が上手だった。初めて彼女の菓子を口にした時、フィンセントは感動した。

 彼女が作ったのは、フェリンガ王国の伝統菓子である「クロスタータ」だった。生地にジャムとフルーツで作ったフィリングを入れて焼いたものだ。生地はしっとりとして、口の中でほろほろと崩れる。とろけるジャムの甘さとフルーツの酸味。


 ――今まで食べたどんな菓子よりも、それは美味しかった。


 しかし、同時に少しだけ惜しいとフィンセントは思った。甘いものがあまり得意でない彼にとって、それは甘すぎたのだ。もちろん、それは好みの問題だった。


『少し甘すぎるね』


 フィンセントはそう言った。

 その時、彼は見た。

 クールなジーナの仮面が剥がれる瞬間を。悲しそうに眉を垂らす、その表情を。


『申し訳ありません。次は気を付けます』


 その表情は一瞬だけで、彼女はすぐにいつも通りの淡々とした様に戻った。

 フィンセントはドキドキと胸を鳴らしていた。

 その夜――彼はジーナが一瞬だけ見せた、悲しそうな顔が忘れられなかった。




 次にジーナの菓子を食べた時。

 フィンセントは感動した。

 自分の舌に合わせた、絶妙な甘味加減。完璧だ……美味しい。ものすごく、美味しい。


 フィンセントは彼女の顔をちらりと見る。

 ジーナはこちらをじっと見ている。まるで何かを期待するように。


『前の時より、いまいちだね』


 気が付けば、フィンセントはそう口にしていた。

 ジーナが目を見開く。ショックを受けた表情で硬直している。その時間は前回より長いものだった。


『……申し訳ありません……』


 彼女は悲しそうに目を伏せた。

 だから、ジーナは気が付かなかっただろう。フィンセントが興奮して、頬を紅潮させていたことには。




 +


(ああ、ジーナ……君は何もわかっていない)


 フィンセントはその時のことを思い出しながら、考えていた。


(私は君のことを愛しく思うからこそ……ああいうことをしていたのだ)


 ジーナの行方は未だに見つからない。

 早くあの美味しい菓子をまた味わいたい……とフィンセントは思っていた。

 彼女はきっと、少しすねてしまったのだろう。だから、今は行方をくらましている。

 だけど、フィンセントの気持ちを話せば、彼女もわかってくれるはずだ。

 自分がジーナの菓子をけなしていたのは、『愛情表現』であったということを。

 それを知れば、彼女は感動するにちがいない。

 そして、また自分に菓子を作ってくれるようになる。その菓子を口にしたら、「ひどい味だね」と言って、フィンセントは彼女に愛を囁くのだ。


(ジーナ……君の行方は必ず、私が見つけ出す)


 決意を胸に、フィンセントが中庭を歩いていた時だった。

 彼は怪訝に思った。曲がり角に一瞬、誰かが立っていた。その女性はフィンセントの姿を見ると、慌てて踵を返していった。

 お下げ髪の、地味な女だった。


(……雑用人か)


 フィンセントはそのことを深くは考えなかった。その場を去る頃には、彼女の顔も忘れていた。



 +


(危なかった……)


 ジーナは小走りで道を駆けていた。

 まさか、フィンセントと遭遇してしまうとは。容姿がまったく異なっているので、気付かれることはないだろうけど……。

 ジーナの胸はずきずきと痛んでいた。まだフィンセントの言葉の棘が、心臓から抜けないのだ。


 そのことに気をとられて走っていたので、ジーナは前を見ていなかった。


「……あっ」


 曲がり角で誰かと衝突する。ジーナはしりもちをついた。その拍子に持っていたランチボックスが落下する。


「は?」


 不機嫌そうな声が降ってくる。

 相手の顔を見上げて、ジーナは目を見開いた。


(し……シスト殿下……!?)


 フィンセントの腹違いの弟。

 第二王子、シスト・フェリンガ。フィオリトゥラ学校に通う1年生だ。

 ジーナは王立学校に通っていた時は2年生だったので、1つ年下の少年である。

 整った顔立ちはフィンセントに少し似ている。だが、金髪碧眼のフィンセントとは異なり、シストの髪は紺色だ。彼は苛立った様子で目を細めている。威圧的な碧眼は、フィンセントとは雰囲気が正反対だった。

 シスト・フェリンガに関わる噂は、よくないものばかりだ。目付きも口調も荒々しく、人を近付けない。影では『不良王子』と呼ばれているという。


『王家の中でも手余し者でね。我が弟ながら恥ずかしいよ』


 と、フィンセントも口にしていた。

 公爵家としてのジーナは、彼と会ったことがある。しかし、ジーナはシストの険のある雰囲気が苦手だった。悪い噂ばかり耳にしていたこともあり、あまり話をしたことがない。


「どこ見て歩いてんだよ」


 ぎろり、と睨まれて、ジーナは硬直した。

 彼もランチボックスを落としていた。それを乱暴に拾い上げると、去っていく。

 ジーナは、ふー……と、胸を押さえていた。ランチボックスを手に、立ち上がるのだった。



 +


 その日、シストは苛立っていた。


 兄――フィンセント・フェリンガを絶賛する声を耳にしたからだ。

 フィンセントの魔法の才覚は、この学校内でも抜きん出ている。『100年に一度の大天才』と呼ばれていた。――自分とちがって。

 彼を賞賛する声を耳にする度に、シストは嫌な気持ちになる。


(はあ……とはいえ、さっきのは八つ当たりだな……)


 内心で深いため息を吐いた。少女とぶつかって、嫌な言い方をしてしまった。彼女が怪我をしていないかは、ざっと見て確認したが……。

 どうしていつもこうなのだろう。うまくいかない現実に苛立って、周りにイライラを振りまいて。

 自分が影で何て呼ばれているのかも知っている。

 シストはやりきれない思いで、ランチボックスを開く。


「ん……?」


 中身を見て、気付いた。

 ランチボックスは学校の食堂で販売している物だ。そのため、見た目がどれも一緒である。

 自分が購入したのはパニーニ。中に入っているのもパニーニだ。しかし、形状がちがう。シストが買ったパニーニは、パンが細長かった。これは丸いソフトバケット。


(あ……)


 シストは思い出して、苦い顔をする。

 さっきの少女とぶつかった時に、入れ替わったのだ。

 彼女を探しに行こうか、と考えてから、思い直した。今から探しに行っても見つけられないだろう。それに形状がちがうとはいえ、どちらも同じメニューだ。


 内心で彼女に謝ってから、シストはそれを口にした。

 ――瞬間。


「……ん!?」


 彼は目を見開く。

 何だこれは!? と、感動に包まれていた。


 パンに挟んであるのは、ツナ、トマト、オリーブ、ルッコラ。食堂でよく見かけるパニーニとそんなに差はないはずなのに。

 ソフトバケットのふわふわ食感。オイルに浸けたツナは脂っこくなりすぎず、口の中に旨味が広がる。そこにトマトの酸味、オリーブの香りが混ざって――。


 美味い……美味すぎる……!


 いつも食べている物とは、何もかもちがう。彼は夢中になってそれを完食した。

 ……物足りない。もっと食べたい。


(知らなかった……食堂でこんなに美味い物が売られていたとは。明日はこっちを買おう)


 と、シストは思うのだった。

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