6 お喋り聖女の爆誕
シストがこちらを睨み付けている。そのあまりに冷たい視線に、カーラは震え上がった。
「し……シスト様……」
「気安く呼ぶなと言っている。何度目だ? お前の頭は、本当に記憶が定着しないな」
声まで氷点下の響きだ。
「それに、お前の振る舞いは伯爵令嬢として相応しくない。……ジーナを見習え」
そこでカーラは我に返った。クレリアに対抗するために、カーラは両手を机について、身を乗り出していた。背中を猫背にして、喚き散らしていたのだ。
ハッとして対面を見る。ジーナが澄ました顔で座っていた。背はぴんと伸びて、見惚れるほどに姿勢がいい。
「なっ……なっっ……!?」
カーラは屈辱に顔を赤く染める。
――伯爵令嬢の私が、よりによって平民の雑用人を見習えですってぇ……!?
ジーナは不思議そうに首を傾げて、シストに話しかけている。
「シスト様、どうしてここに……?」
ともすれば不敬ともとれるほど親しげな態度だが、シストはこちらは当然のように受け入れている。
「そこの女に呼ばれた」
と、嫌そうにカーラの方を見る。
――そう。この場にシストを呼んだのは、他でもないカーラ自身なのだ。もちろん、自分とジーナの差を見せつけることで、彼の目を覚ましてあげようとしたのだが……。
目論見は完全に外れ、面目が丸つぶれになったのは自分の方である。
(な……何で、私が名前で呼ぶことは許されなくて、この女は許されるの!? それも、あっちは『ジーナ』で、私は『そこの女』……!!?)
あまりの事態にカーラの脳内は混乱を極めた。その両サイドの令嬢がさりげなく自分から距離をとったことにも気付かない。
カーラが呆然自失としていると、シストが「おい」と刺々しく告げた。
「今後、ジーナと聖女に嫌がらせなんてしてみろ。俺が許さない」
「ひっ……!!?」
その眼光の激しさに、カーラは縮み上がる。声を出すこともできずに、はしたなく何度も首を振るのだった。
令嬢たちが去った後で、ジーナはシストに頭を下げる。
「シスト様。ありがとうございます」
「いや。お前も今後は、言いがかりをつけてくる奴がいれば、俺に言え。……って、ん……?」
そこでシストは目を丸くする。ジーナのことをじっと見つめた。ジーナも彼を見つめ返して、首を傾げる。
次の瞬間、シストは顔を真っ赤に染めて、口元を押さえた。
「か……かわいい」
思わず、といった様子で声が漏れる。
ジーナは目を瞬く。
それから、「ああ……」と納得した。
――今日のクレリアは、確かにとてもかわいい、と。
+
「ジーナー! おっはよー!!」
今日も元気に、その声は響く。ジーナが顔を上げると、視線の先でクレリアが両手をぶんぶんと振っていた。その姿に通りがかった生徒たちが愕然として、二度見……三度見をしている。
可憐な声を張り上げているのは、聖女クレリア。
つい先日まで彼女の『ダミ声』は有名だった。それが今やどうだろう。口を開けば、小鳥のさえずりのような愛らしい声がつむがれる。
それも、
「わ、今日もお肉だ。嬉しい! 私、ジーナの料理大好き!!」
彼女はとてもよく口が回る。先日までの無口で神秘的な聖女のイメージはどこへ消えたのか。と、学校中の生徒が驚くのも無理はない。
「クレリア。この骨付きリブは1人、1つまでよ?」
「えー、それじゃあ足りないよー」
「だめ。お肉ばっかり食べてないで、野菜も食べなさい」
ジーナはそれほど口数が多い方ではない。しかし、なぜかクレリアとの会話は波長がぴたりと合って、楽しかった。というわけで、以前よりも2人は仲良くなっていた。
昼食では、クレリアはジーナのすぐ隣の席を必ず確保する。そして、にこにこと楽しそうに話をする。
「……なぜ、そんなに喋る? というか、どうして声が治ったんだ?」
と、シストは苦い表情を浮かべている。クレリアはきょとんとした顔をして、
「それが私にもよくわかりません!」
堂々と言い切った。
「あ、でも、ジーナと会ってから毎日が楽しくて、前向きになれたから……そのおかげかも?」
「そういえば、俺の魔力が増えたのもジーナと会ってからだな」
2人はジーナを見る。
ジーナは表情を変えずに、わずかに頬を染めた。
「……やめてください。さすがに買いかぶりすぎです」
「え、うそ、ジーナ、照れてる? かわいい! とってもかわいい! ですよね、殿下!?」
「ああ。……あ、いや。その……まあ……うん……」
と、そんな感じで。
昼食の時間は、以前よりも更に賑やかになったのだった。
+
『お父様。居場所については申し訳ありません。どうしてもお教えすることはできません。ですが、私は元気でやっておりますので、心配なさらないでください。追伸――最近、友達が増えました。
ジーナ・エメリア』
公爵家の執務室にて。
男は重いため息をついた。手元の紙に何度も目を通す。そして彼は、元から厳めしい顔付きを更に険しく変化させる。
公爵家の当主ジークハルト・エメリア。彼はここ最近、ずっと晴れない顔をしている。それは1か月前に、娘のジーナ・エメリアが失踪してからだった。
ジーナからはたまに手紙が届く。筆跡は間違いなく娘のものだった。しかし、彼女は頑なに居場所を教えてくれないのだ。
『しばらく家を出ます。必ず帰るので安心してください』
と、1通目の手紙には記されていた。ジーナから手紙が来ていることを、ジークハルトは他言していなかった。
婚約者のフィンセントがジーナの行方を必死で探しているようだが、彼にも伝えていない。ジークハルトは前々から娘の婚約は失敗だったと思っていた。フィンセントがジーナの料理をけなしていることは知っていた。
その度に落ちこむジーナの様子といったら――。
傍から見ていて、胸が絞られるほどだった。我が娘ながらジーナはよく耐えたと思う。
今回の失踪の原因は、フィンセントにあるのだろう。と、ジークハルトは踏んでいた。
そのため、王家とは別に彼は独自にジーナの行方を追っていた。彼女からの手紙を辿り、それがルリジオンの街から送られていることは突き止めていた。
ジークハルトは徹底的に街を調べ上げた。しかし、ジーナは見つからない。あと、調査が必要なのは、フィオリトゥラ魔法学校だけだった。
だが、そこが難問なのだ。フィオリトゥラは王侯貴族が通う学校だ。警備も厳重で、部外者が簡単に立ち入ることはできないのである。
学校に入るには、生徒となるか、職員となるかしかないのだが……。
ジークハルトは重いため息を吐く。
その時、扉が叩かれた。ジークハルトが答えると、1人の青年が入ってくる。
凛々しい男だった。いかにも女性受けしそうな甘い顔立ちをしているが、動作や表情は武人めいている。長い銀髪を1つに結び、颯爽と歩く度に背中で揺れる。その碧眼は戦場に立つ時のように油断なく、鋭い。
彼はジークハルトの前まで来ると、流麗な動作で膝をつく。
「エメリア公。出立の準備が整いましたので、ご挨拶に参りました」
「此度の件、引き受けてくれたことを感謝する」
ジークハルトは頷いて、彼に声をかける。
「ヴィートよ。お前はこれより魔法学校2年生の生徒として、フィオリトゥラに編入する。……必ず、ジーナの行方を見つけ出してくれ」
「もちろんです。ジーナ様を見つけるため、尽力することをここに誓います」
男――ヴィートは恭しく告げる。
そして、毅然とした動作で立ち上がった。その様になる立ち振る舞いに、執務室にいたメイドが頬を染める。彼の一挙手一投足に見入っている。
――と。
ヴィートの視線がジークハルトから逸れる。メイドの1人と目を合わせた。
「……見ない顔ですね」
「新入りだ」
答えるジークハルトの声は、何とも言えない苦さが含まれている。
「なるほど」
直後、ヴィートは彼女へと歩み寄って、その手を握った。メイドは「え!?」と困惑しながら、赤くなっている。
「ああ……何と可憐で美しいのか。そして、何と口惜しい。あなたという奇跡に出会えた運命の日であるのに、私はこの屋敷を去らなければならないとは。ところで、この任務が終わったらお茶でも一緒にいかがです?」
「――ヴィート」
ジークハルトが厳格な声で名を呼ぶ。
ヴィートは「わかってます」と言わんばかりに肩をすくめる。先ほどまでの騎士のような気高さや、凛々しさは見る影もない。軟派な男そのものだった。
「では、エメリア公! 行ってきます! ところで、もしジーナ様を無事に見つけ出したらその時は、彼女と婚約してもいいですか?」
「ダメに決まっているだろう!!」
ジークハルトの怒声が室内に響き渡る。
それも気にせず何のその、ヴィートは軽薄な仕草で片手を掲げると、部屋を後にした。
静寂が室内に戻る。
同時にジークハルトは頭を抱えて、項垂れた。彼は今、死ぬほど後悔していた。
――人選、間違えたかもしれん。
と。
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