2 公爵令嬢は家出をする
ジーナは原っぱに腰かけていて、ぼんやりと空を見ていた。
学校からの帰り道。使用人に無理を言って、馬車を止めてもらったのだ。彼女の膝には、フィンセントに渡した菓子と同じ物がある。アマレッティ――アーモンドを混ぜて作る焼き菓子だ。
ラッピングも自分でやった。包装をいかに美しくできるかということは、貴族令嬢の嗜みとされている。リボンは婚約者の髪の色に揃えるのが慣例だ。何百もある金のリボンの中から、フィンセントにもっとも合うだろうと思うものを時間をかけて選んだ。
ジーナは綺麗に包まれた菓子を手にとる。それを思い切り投げ捨てようとして――できなかった。指先がぷるぷると震えている。ジーナは静かにその手を下げた。
悲しいはずなのに、心がマヒをして何も感じない。涙の1つも流れなかった。ジーナは表情を変えないまま、その菓子を膝の上に戻した。
今までたくさんの菓子をフィンセントに貢いできた。だが、そのどれもがフィンセントの舌には合わなかった。フィンセントはいつも眉をひそめて、時にえずいたり、むせたりしつつも、ジーナの菓子を食べていた。
『美味しくないのでしたら、残してください』
ジーナは何度も告げた。しかし、フィンセントは口では「まずい」と言いつつも、いつもジーナの菓子を残すことはなかった。
ものすごくまずそうにしながらも、完食するのだ。そして、『次の菓子には期待しているよ』と言い添える。ジーナが菓子を持って行かないと、『今日はないのかな?』と催促してくるのだった。
彼と会う日、ジーナはいつも手作り菓子を持参した。それをフィンセントはことごとくけなした。
その様を見る度に、ジーナの心は蝕まれていった。
――フィンセント様は口に合わない菓子を最後まで食べてくださる。私が悪いんだ。私が彼に美味しいと言ってもらえるだけの物を作れないから……。
寝る間を惜しんでジーナは菓子作りの勉強をした。
ここ、フェリンガ王国は美食の国と呼ばれているほど、食文化を大事にする国家だ。そのため、「菓子作り」は貴族令嬢の嗜みとされている。ジーナも幼い頃より菓子作りを学んできた。
令嬢が婚約者に手作り菓子を渡すのは、フェリンガ王国では当たり前の光景だった。公爵家のジーナと、第一王子フィンセントの間でも、それはしかりだ。
フィンセントは甘いものが苦手なようだった。だから、甘さを控えた菓子作りの研究をした。
試作品を何日も何日も焼き続けたこともある。
『次こそはフィンセント様に美味しいと言ってもらいたい……』と、ジーナはその一心で頑張った。彼に渡す菓子は必ず味見をした。使用人や父にも「美味しい!」と、太鼓判を押してもらっていた。
でも、ダメだった。
フィンセントの反応はいつも変わらない。
――ああ、これはひどい。ひどい味だ。
その言葉がジーナの心を深く突きさした。
フィンセントが散々、社交の場でジーナの菓子をけなしていたから、自分の名前は悪い方に広まっている。
――エメリア家の娘は、料理が下手だ。
――フィンセント殿下も大変だろうに。そして、何てお優しい方なのだ。婚約者のまずい料理を、健気に完食なされるなんて。
そして、男爵家のエリデが、自分を陰でこう呼んでいることも知っていた。
――『ゲテモノ作りの』ジーナ・エメリア。
ジーナ・エメリアといえば、料理が下手で、それにも関わらず、まずい料理を作ってはフィンセント王子に無理やり食べさせる、傲慢な女。
そんな噂が広まっていた。
そのことを思い出しながら、ジーナは原っぱでぼんやりとしていた。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
ジーナは菓子を手にとる。そして、咄嗟に走り出した。
「お嬢様……!?」
使用人たちが焦った声を上げる。
それを振り切って、ジーナは森の中へと駆けていく。
特に宛てがあるわけではない。
しかし、もう「ジーナ・エメリア」としてここにはいたくない。誰も自分のことを知らない場所に行きたい。
ジーナはそれだけを願った。
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