閑話 くっ、右手が疼く…(本当なんです!)
フェリンガ王国で騎士となれる者は、魔法適性を持つ者だけと定められている。
その点、ヴィート・ランディは運がよかったのだろう。彼の生まれは平民だ。だが、母の祖先に魔道士がいたとのことで……ヴィートはその特性を隔世的に引き継いだ。
魔力を持った平民が目指すものといえば『騎士』が一般的だ。騎士になれば、『騎士伯』という身分を賜ることができるからだ。
例にもれずにヴィートも騎士を目指した。そのためにひたすら努力を重ねた。自分の見た目はどうやら女性受けがいいらしく、学校では多くの女性から言い寄られていた。しかし、ヴィートはそれに構っている余裕がなかった。
体の弱い母や、兄弟たちのために――早く騎士となって、安定した稼ぎが欲しかったのだ。
こうして、ヴィートは16歳という若さで、騎士団の入団試験に合格した。これで母たちに楽をさせてあげることができる……と、彼は安心した。
その直後のことだった。
彼の身に、災難がふりかかったのは。
その日、ヴィートは遺跡探索の護衛についていた。
神殿跡の地下遺跡。それは辺境の地で最近になって発見された遺跡だった。今は朽ち果てた古代神殿。その内部で地下に続く通路が発見されたのだ。そこには多くの魔物が住み着いていた。
王宮魔道士と騎士で調査隊が編成され、そこに向かうことになった。
そして――
「いやー参ったね」
ヴィートは1人の男と一緒に、遺跡の通路を進んでいた。
彼の名は、ルカ・レンダーノ。
その容姿は浮世離れしているほどの美貌だった。淡い色合いの水色髪、白銀色の瞳。全体的に色素が薄く、儚げな印象である。
王宮魔道士にして、この国でもっとも優れた魔道士として名を馳せている男だった。侯爵家の当主。27歳、独身。その上、これだけの美しい容姿に、魔導士としても有能とくれば――女性が放っておくはずもない。
有力貴族の令嬢たちはこぞって、彼の正妻の座を狙っているという。
彼とヴィートは2人で遺跡を探索していた。魔物との戦闘で、隊からはぐれてしまったのである。
「んー、困ったな。迷っちゃった」
非常時にも関わらず、ルカはへらへらと緊張感のない態度だ。口ぶりも薄っぺらく、つかみどころのない男であった。
一方でヴィートは警戒を怠らなかった。鋭い視線で辺りに気を配りながら歩いている。
「レンダーノ様。あなた様のことは私が必ず、この命に代えてもお守りいたします」
「えー。そういうのとか、いいからさ。というか、可愛い騎士の女の子に忠誠を誓われるのなら僕も大歓迎だけどね?」
「は……はあ……。申し訳ありません」
と、ヴィートは生真面目に謝りながらも、内心では戸惑っていた。
――この人、扱いに困るな……。
という気持ちが1つ。もう1つは、不安に思えてきたからである。未知の遺跡、ここに潜む魔物がどれほど凶悪なのかもわからない。隊からはぐれてしまい、自分とルカだけという状況。
その片割れがこの態度では、不安にもなる。
(何か微妙に頼りにならなさそうな……)
と、ヴィートは考えていた。いざとなったら彼に頼るのはやめておこう、と思う。
その時だった。
ルカがふと足を止める。
「……いる」
「はい……?」
何気ない様子で、彼は奥の通路を窺っている。
「この気配、魔族だ」
「なっ……!」
「一本道か。引き返すのは面倒くさいね……。ってわけで、このまま進もうか」
「レンダーノ様!? 魔族って……あ、お待ちください!!」
魔族とは、魔物の上位種族だ。
知能があり、言葉を話し、強大な身体能力と魔力を持つ。もし遺跡で遭遇することがあったら、すぐに逃げろ――それが騎士団での教えだった。
しかし、ルカは気負った様子もなく奥へと進んでしまう。ヴィートは面食らってから、慌てて彼の後を追いかけた。
通路の先は大部屋となっていた。その中に足を踏み入れて、ヴィートは硬直した。心臓が早鐘を打ち、全身から冷や汗が流れ出す。
今すぐに引き返した方がいいと本能が叫んでいる。そこにいるのは自分ではとうてい敵うはずもない、化け物だ。
その姿を視界に入れるのも、そうとうな胆力を要した。
奥に佇んでいるのは、1人の男だった。赤い瞳が怪しく光っている。「悪魔族」とルカが小さく呟く声が耳に入った。
悪魔族の男は傲慢そうに目を細める。
「ふん……人族か。それも男が2人とは……。まったく、これが美女であれば、我の心も多少は潤ったものを」
「僕も同じこと思っていたよ。気が合うね。ついでに、このまま黙って見逃がしたりしてくれないかな?」
「我の住処を荒らして、このままで済むとでも思うたか? 舐められたものだな」
悪魔族が床から浮かび上がって、空中に浮遊する。その瞬間、流れこんできた殺気に、ヴィートは動けなくなった。死ぬ、と本気で思った。
そんな緊迫感のある空気をものともせずに、ルカは平然と悪魔族に歩み寄っていく。
(レンダーノ様……す、すご……)
次の瞬間、両者は互いに魔法を放った。魔法が衝突し合い、閃光が弾け、轟音が響く。
――何だ、これ。現実だろうか。
そのあまりに苛烈な戦闘模様に、ヴィートはむしろ呆気にとられていた。ルカに加勢することもできない。むしろ、自分がこの中に入っていたら、邪魔にしかならないと彼は痛感していた。
2人の姿を目で追うことができない。目まぐるしく展開される光と音と熱波に、ヴィートは放心するしかないのだった。
事態に変化が起こったのは、2人の魔法が衝突し合ってから少し経ってからのことだった。
ヴィートの目でも、彼らの戦況がようやく追えるようになっていた。どうやらルカの方が押しているらしい。ルカは険しい表情で、吐き捨てる。
「さすがに悪魔族ともなれば、手ごわいな……! 消滅ではなく、封印させてもらおう」
ルカが筆頭魔道士として、名を馳せるようになった理由の1つ。
それは彼の使用する『封印魔法』だった。四属性のどれにも属さない『聖』魔法。聖属性の魔法を使いこなせる者は、極めて稀な存在である。
ルカが印を切りながら、呪文を唱え始める。光が収束し、悪魔族の周囲を囲った。
「…………っ!」
それまで冷静であった悪魔族が、初めて焦った様子で顔を歪める。その姿が突然、かき消えた。転移魔法だ。
「…………え?」
ヴィートは愕然として、その光景を見上げる。悪魔族が目の前にいる。
そして、自分の腕をつかんでいた。
その瞬間。
封印魔法は発動した。悪魔族が消滅する。
ヴィートは何が起こったのかわからない。呆然と自分の腕を見やる。一瞬だけ、カッと熱くなる感覚が宿ったが、今は何も感じない。肌には見覚えのない紋様が刻まれていた。
「…………あ」
ものすごく間の抜けた声が上がった。
ルカが目を見張って、ヴィートのことを見ている。
「ごめん。何か……ごめん」
「え……?」
「さっきの悪魔、君の腕に封印されちゃったみたい」
「ええ……!?」
ヴィートは焦って、右腕を振り回す。体には何も変化はない。それだけに肌に浮かび上がった謎の紋様が不気味だった。
というか、自分の体に魔族が封印されているなんて、嫌すぎる。ヴィートはすがるようにルカを見る。
「いや、何でそうなるんですか!? すぐに追い出してくださいよ!」
「うーん……」
ルカは困り切った様子で頬をかいている。
「体に何か変化は?」
「今は特に何も……」
「それじゃ、大丈夫じゃない? …………たぶん」
「たぶんって!!」
――完全にとばっちりだった。
それからというもの、ヴィートの体に不思議なことが起こるようになった。
例えば、街中を歩いている時――
(え……? うわ……っ)
突然、右腕が勝手に動き出す。そして、そばを通りかかった婦人の手をひしと握りしめていた。
彼女が不快そうな顔でヴィートを見る。慌てて弁解した。
「いや、これはその! ちがうんです! 俺じゃないです!」
「は……?」
「そんなつもりはなくて! 体が勝手に!」
「……何それ」
しかし、弁解すればするほど、女性は憤怒を露わにしていく。
最終的には顔を真っ赤に染めて、頬を引っぱたいて来た。
「ふざけんじゃないわよ、この変態!!」
腕が動くのは1日のうち数秒ほど。勝手に女性に触りに行こうとする。
ルカに相談に行けば、「魔力を上げれば、体を支配されることはなくなる」と言われた。そういうことではなく、「悪魔族を追い出してください」とお願いしてみれば、
「えー……でもなあ。封印を解いたら、悪魔族、復活しちゃうし」
「そんな……!?」
その後、ルカが長期任務で王宮を外すことになり、相談にも乗ってもらえなくなった。
これがもっと深刻な災いをもたらす存在ならば、ルカもどうにかしてくれたかもしれない。しかし、ヴィートの右腕は別に誰かを傷付けることはしない。胸や尻など、際どい箇所を触ることもしない。
女性の手を握るだけなのである。頻度は1日のうち1回あるかないかという程度。
だが、いきなり男に手を握られて、その男が「俺のせいじゃない! 右手が勝手に!」などと弁解を始めれば、女性が不快に思うのも当然であった。
ヴィートは悩んだ。
当人にとってみれば、深刻な悩みだった。女性の不評を買い、頬を叩かれたり、「変態」「気持ち悪い」「死ね!」と暴言を吐かれるのは、さすがにきつかった。
悩み抜いた結果――彼は1つの対策をとることにした。
その日もヴィートの腕は勝手に動き出す。
王宮仕えのメイドの手を、はしっと握りしめていた。メイドは目を丸くして、ヴィートの顔を見ている。
(ああ、ごめんなさい、すみません……!)
内心では必死に謝罪しながら、ヴィートは腹をくくっていた。彼女の顔を見返して、ほほ笑んでみる。
「と……とっても綺麗な方だなと、思わず、手を握ってしまいました。ああ、見れば見るほど何と美しい方だ……」
自分で言っておいて、鳥肌が立ちそうになった。
メイドが呆然とした顔をしている。じっと見つめられて、ヴィートは冷や汗をかく。
――失敗したか? 今のはさすがに軽薄すぎただろうか?
と、焦る心とは裏腹に。
メイドは、ぽっと嬉しそうに頬を染める。
「…………まあ」
満更でもない反応だった。
ヴィートは愕然としていた。
(これでいいのか!? ……いいのか!?)
その後、彼は常に疑問符を携えながらも、必死で女性を口説くようになったのだった。
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