第4章「英雄の試練編」
1 『美味しい』の幸せ
「ジーナ、あんたの菓子……すごいよ! これ、食堂のメニューとして採用してもいいかい!?」
料理長のエマに迫られて、ジーナは戸惑っていた。周りを見渡すが、食堂に残っているのは自分と彼女だけ。味方はいない。
――どうしよう。
自分の料理に「魔力増幅の効果があるかもしれない」ということは、エマに話せない。
しかし、エマはすっかりその気になっている。目をキラキラと輝かせていた。
事の発端は、ジーナが作った焼き菓子だった。
その日、いつものようにジーナは早朝から菓子を焼いていた。カンノーロ――筒状の生地に、チョコレートをコーティングして、たっぷりのクリームを詰める。飾りにはオレンジピールを乗せた。それを袋に詰めて、昼食の場に持って行った。
しかし、その時、袋に入れ忘れたカンノーロが1つ……食堂に残っていたのだ。それに料理長のエマが気付く。
「本当は食べるつもりはなかったんだけどね……あんまりに見た目が綺麗で、おいしそうだったからつい……」
と、後に彼女からは謝罪された。
何はともあれ、エマはジーナの作った菓子を食べてしまったらしい。そして、その後、ジーナは彼女に迫られていた。「あのカンノーロはものすごく美味しかった……! あんな夢のように美味しい菓子……売り出さなきゃもったいないよ!」とのことで。
ジーナは目を伏せて断ろうとする。
「すみません。私には、荷が重いので……」
「何言ってるんだい! あんなに美味しい菓子は、宮廷料理人にだって作り出せないよ!」
「でも……」
「あんたは才能がある! ぜひ、料理人になるべきだ」
エマはよほど興奮しているらしい。何度も熱心に口説かれて、ジーナは「考えさせてください」と言うのでせいいっぱいだった。
+
「ベルヴァ……どうしよう」
寮室に戻って、ジーナはベルヴァの前にしゃがみこんでいた。
エマはすっかりその気になっていた。それも、エマはジーナが毎朝のように昼食や菓子を作っていることを知っている。今さら『できない』なんて言い訳が通るとも思えない。
だからといって、自分の料理を魔法学校の生徒たちに振る舞えば、何が起こるのか――
「無理。絶対に、無理……」
ジーナはふるふると首を振る。
ジーナの料理で魔力が増幅するということは、他言無用ということになっていた。それは父・ジークハルトからの指示でもあった。
ジーナが悩んでいると、ベルヴァがぽんと前足を肩に乗せてくる。まるで慰めてくれているみたいだ。その様子に心が和んで、ジーナはくすりと笑った。
(でも……エマさんに褒めてもらえたことは、嬉しかったな……)
と、ジーナは思い直す。
とりあえず、明日の昼食の時に皆に相談してみよう。ヴィートを通して、父にどうしたらいいのか聞いてみるのもいいかもしれない。
ジーナはベルヴァの頭を撫でる。すると、なぜか嫌そうな顔をされた。ベルヴァは頭をぶんぶんと振って、ジーナの手を払うのだった。
次の日、昼食の場でジーナはその話をしていた。
クレリアは顔を輝かせて、
「すごい! 料理長さんにも認められたんだね。やっぱりジーナの料理は、とっても美味しいもんね」
と、自分のことのように喜んでくれる。
一方で、ヴィートは複雑そうな表情だ。
「ジーナちゃんの料理は確かにすごく美味い。売れると思うし、人気も出るだろう。だけど、だからこそ、その話、俺はあまりお勧めできないけど……」
その反応は当然だと思うので、ジーナはこくりと頷いた。
きっとシストも同意見だろうと彼の顔を見る。すると、シストは考えこむように手を口元に当てていた。
「決めるのはジーナだが。俺はやってみてもいいと思っている」
「え……?」
「誰が作っているのかは伏せてもらって……数も少量だけ、限定販売にするのはどうだ」
「殿下。それでジーナちゃんの能力を実験してみようってことですか?」
ヴィートの言葉に、シストは首を振る。
「ジーナの料理が認めてもらえたんだ。……自信になるだろう」
ジーナは目を見開いた。胸がドキリと跳ねる。
「お前は料理を褒められると、戸惑った顔をすることがある。お前の料理は本当に美味いんだ。もっと自信を持っていい」
ジーナは戸惑って、目を伏せた。
図星だった。「まずい」「ひどい味だ」――フィンセントの言葉はジーナの中で薄れかけている。
でも、未だに皆に料理を褒められると、「過大評価ではないか……」と委縮してしまうことがある。
(シスト様……私が料理に自信をなくしていること、気付いていたんだ……)
だから、エマに認めてもらえたこと、食堂で売り出そうと言ってもらえたことは嬉しかった。
ジーナは頬を染めて、きゅっと手を握りしめる。
「…………私、やってみたいです」
決意をこめて、口を開く。
ヴィートはほほ笑んで肩をすくめるが、何も言わなかった。クレリアは笑顔で「応援するね!」と告げる。
ジークハルトからも許可をもらえたので、条件を付けて菓子を販売することにした。
ジーナのカンノーロは、1日5個限定で売り出された。あくまで食堂のメニューの1つとして、誰が作っているのかについては伏せられていた。
「ものすごく美味しい焼き菓子が売り出された!」
カンノーロは、その日から生徒たちの間で評判になっていた。
「ねえ、食堂のカンノーロ! もう食べた?」
「あの幻の!? なかなか手に入らないって噂だけど……!」
「どうして5こしか売ってくれないんだろう! あんなに美味しいんだから、もっと増やしてくれればいいのに」
学校のいたるところで、その噂がささやかれる。
それはジーナの耳にも届いていた。校内を歩いている時に、その話が聞こえてくると、胸がじんわりと温かくなる。
(……『美味しい』って、本当に素敵な言葉)
認めてもらえる。自分の料理を食べて、笑顔で「美味しいね」と言ってくれる人がいる。
それだけでこんなに胸が満たされていく。
もっと料理をしたいと、作ってみたいと思える。
この学校に来たばかりの頃、ジーナは自信がなかった。自分の料理が嫌いになりそうだった。料理のことを考えると顔が強張って、上手く笑うこともできなくなっていた。
それが今は、昼食の場でシストたちと過ごす時も、学校で自分の料理が噂になっているのを耳にする時も。
自然と頬が緩んで、ほほ笑んでしまう。
――お料理が好きで……お料理の勉強をずっとしてきて、よかったな。
ジーナは心からそう思うことができた。
+
「あの、エリデ様! これ……よかったらどうぞ」
「まあ……これが噂のカンノーロ?」
男爵令嬢のエリデは、一部の男子生徒に熱狂的なファンを抱えていた。保護欲をそそる、幼めの見目、甘え上手な性格。その上、エリデは自分が気に入った男子生徒の前では、恐ろしく愛想がいいのだ。その愛らしい笑顔に、一部の男子は骨抜きにされているのだった。
そして、その日も――エリデのために、貢物をする男子がいた。彼は学校で話題になっているカンノーロを運良く入手することができた。それを迷わず、エリデに捧げていたのだ。
「ありがとう。あ、でも、これ、1つしかないのね……残念だわ」
エリデはキラキラと目を輝かせた後で、切なそうな面持ちをする。そして、目を潤ませて、男子を見つめた。彼は興奮して、頬を紅潮させる。
「エリデ様のためなら……! もっと買ってきます!!」
「まあ……嬉しい! ありがとう」
エリデはにっこりとほほ笑んで、彼の手を握る。男子はすっかり鼻の下を伸ばし、やに下がった笑みを浮かべているのだった。
(ああ、いやだわ……さっきの男の手汗が……。汚らわしい)
エリデは内心で忌々しく思いながら、ハンカチで手を拭っていた。あの男のことは思い出すだけで気分が悪くなる。しかし、我慢して手を握ってやった甲斐があって、収穫があった。
エリデの手には、男子から貢がれた焼き菓子がある。それも計3つ……すべて別の男子から献上された代物だった。
それに視線を落として、エリデは心を弾ませていた。
(この評判の菓子があれば……きっと、フィンセント様だって……!)
と、彼女は上機嫌で、目当ての人物の元へと向かう。
「フィンセント様!」
エリデはフィンセントに、そのカンノーロを差し出した。
「これ……私が作って来たんですぅ♪」
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