2 聖女と騎士は見た


 魔法学校の生徒たちは唖然として、その光景に見入っていた。

 魔法の実技授業が行われる訓練室。的に向かって魔法を行使する授業内容だった。その的がすべて焼却され、灰と化していた。それは一瞬の出来事だった。


「すごい……一瞬で……!」

「30は撃ち落としたぞ……」


 生徒たちはごくりと息を呑んで、その生徒へと視線を移す。そして、尊敬と畏怖をこめた眼差しを送った。

 第一王子、フィンセント・フェリンガ。

 彼は荒んだ目を正面に向けている。遺跡から戻ってきた彼は、がらりと雰囲気が変わっていた。頬はこけ、柔和だった眼差しは猛禽類のように鋭く光っている。


 その日の授業で、彼は規格外の成績を残した。

 魔法で的を撃ち落とす訓練。通常の生徒であれば、的に向かって1つずつ魔法を行使する。少し優秀な生徒ともなれば、2つ同時に魔法を放つこともできるだろう。


 だが、その日、フィンセントは30もの的を同時に『炎弾』で射抜いたのだ。

 その光景に、他の生徒たちからは感嘆の声が漏れる。


「やっぱり殿下は、この学校始まって以来の大天才だ……!」

「さすがですわ。英雄王に匹敵するほどのその魔力量……!」


 大量の魔法を一斉に行使したにもかかわらず、フィンセントは悠然とその場に立っている。それほど膨大な魔力を有しているのだ。



 皆からの賞賛の声に、フィンセントは感情を昂らせていた。

 興奮のあまり瞳孔を開きながら、その陶酔感に浸る。


(やはり、先日までのは体調不調……! これが私の本来の力なのだ!!)


 そして、彼はこうも考える。


 ――私の本来の実力があれば……!

 あんな落ちこぼれなど、ひとひねりにできるだろう、と。



 +


「フィンセント様! 今日もとっても素敵でしたわ。これ、差し入れです♪」


 授業終わり、フィンセントはエリデに話しかけられていた。

 彼女がいそいそと差し出してくるのは、カンノーロだ。

 それを初めて口にした時、フィンセントは感動した。


 さくさくの生地。薄く塗られたおかげで、パリパリとした食感となったチョコレート。そして、中からとろけ出すクリームは甘すぎず、こってりしすぎず、絶妙な味わい――。


 ――これだ!

 ――私が求めていた菓子はこれだったのだ!!


 フィンセントはそれを夢中になって頬張った。デフダ遺跡での最悪な食事事情から考えれば、それは夢のように美味しかった。

 それからというもの、エリデは毎日のようにそのカンノーロをフィンセントに差し入れてくれる。すると、不思議なことに体中に力がみなぎってくる感覚が起こったのだ。

 先日までの不調が嘘のように治っていた。魔法決闘の時はやはり体調が悪かったのだろう、とフィンセントは思っていた。ジーナが失踪したことで満足のいく食事を味わうことができず、心労がたまっていたのかもしれない。

 何はともあれ、フィンセントはようやく自身の実力を発揮できるようになったと考えていた。


 エリデが今日もカンノーロを差し出してくる。

 それを見て、フィンセントは険しい面持ちをした。


「……またそれか」

「え……」

「私は昨日、クロスタータが食べたいと言ったはずだが」

「そ、それはその……」


 エリデは途端に慌てて、目を泳がせる。


「それはまたそのうち作りますわ! わたくし、最近、このカンノーロにはまっていますの。フィンセント様も気に入ってくださっているではありませんか」

「ああ。だが、毎日であれば飽きる」


 と、フィンセントは乱暴にエリデの菓子を奪いとった。文句はつけても、その菓子の美味しい誘惑には勝てなかったのだ。彼は渋い顔で――ともすれば、まずそうにも見える顔で――カンノーロを頬張る。


「明日は別の菓子を持ってこい。よいな」


 高圧的な口調で告げるのだった。



 +


(フィンセント様……食べるだけ食べておいて、全然、褒めて下さらないのね……)


 エリデは内心でそう思っていた。

 フィンセントのカンノーロへの食いつきはよかった。夢中になって食べていた。しかし、食べ終わると、「明日も持ってこい」か、「次はあれが食べたい」しかフィンセントは言わない。一言も「美味しい」とは言ってくれなかった。


 エリデはそのことが不満ではあったものの……


(まあ、いいわ……。フィンセント様も最近は、調子をとり戻されているようだし。王位を継ぐのはこの方だもの)


 エリデが欲しいのは王妃の座だ。

 それに、と彼女は考える。


(フィンセント様はジーナの婚約者! ああ、ジーナからフィンセント様を奪えば……あんなメシマズ女より、私の方が優れていると証明される……!)


 その様子を想像して、エリデはうっとりと頬を染める。

 何て気分がいいのだろう。

 ジーナに、料理でも、女としても、自分は勝つことができるのだ。エリデはその陶酔感に酔って、口の端を上げるのだった。



 +



 聖女は、見た……!



 という文言を体現したような存在が、そこにはいた。

 壁にへばりついて、頭だけをひょこっと出して、聖女・クレリアは様子を窺っている。

 それを通りがけに見つけたのは、ヴィートだった。


「いや……クレリアちゃん? 何やってんの?」

「あ……ヴィート様……! こっちへ……!」


 クレリアは『驚愕!』を絵に描いたような面持ちをする。ちなみにこの聖女、口を開けばうるさいし、黙っている間も表情がうるさい。

 クレリアに引っ張られて、ヴィートも物陰に隠れた。そして、2人で様子を窺うことになってしまった。やっているヴィートもこれが何なのか、まったくわかっていない。

 クレリアに示された方向を見てみる。


 すると、そこには通路で話している男女の姿があった。

 片方はシストで、片方はジーナだ。

 ジーナが包みをシストに渡している。すると、シストは嬉しそうに頬を緩めて、何かを告げた。


「私、前から思っていたんですけど……」


 と、クレリアは声を潜めて言う。


「あれって、絶対に好きですよね? 好意ダダ洩れって感じですよね?」


 ヴィートは「ああ……」と目を細める。

 そして、シストの方を見た。


「やっぱり普通は気付くよな~」

「ですよね? 私、本人に直接確かめてみます!」

「え!?」


 今度はヴィートが『驚愕!』の表情をする。

 止める間もなく、クレリアは物陰から飛び出して行った。


 ――まさか殿下に直接聞くのか!?


 そんな藪蛇……どころか、ハチの巣をつつきまわすような行為! 想像しただけでも末恐ろしくて、ヴィートは青ざめる。

 しかし、クレリアの突撃は止まらない。一直線にそちらへと向かっている。


(ちょ……クレリアちゃん!?)


 ヴィートは慌ててそちらに続いた。

 シストとジーナは別れて、別々の方向に向かっている。クレリアはその片方をつかまえようと走って行った。


 ――ジーナの方へと。


 あれ? と、そこでヴィートは首を傾げる。


「ジーナ……! ちょっとこっち来て」

「え? な……何? クレリア……?」


 戸惑っている間に、事態は進んでいく。クレリアはジーナの腕を引っ張り、人気のない裏庭へと連れこんでいた。

 ヴィートは好奇心に負けて、その後を追う。

 物陰から2人の様子を窺った。



 ――騎士は見た……!



 という状態になっている。


(クレリアちゃん……。ジーナ様に何を聞くつもりなんだ?)


 と、ヴィートは先ほどの光景を思い出す。

 シストとジーナが話している光景。この学校に来てから、ヴィートはその様子を何度も見てきた。

 ジーナはクールな少女だ。あまり表情に変化がない。シストと話している時も、たまに微笑を浮かべていることはあるが、感情を抑えた淡々とした態度である方が多い。


 だから、


「ジーナって、シスト様のことが好きなんでしょう?」


 クレリアがその台詞を吐いた時、ヴィートは頭を抱えたくなった。


 ――いや、だって、あの様子では誰がどう見ても殿下の片思いでは……?

 ――ここでジーナ様が、ばっさりと「いいえ」とでも言ってみろ。


(俺がとてもいたたまれなくなる……! だから、やめて、クレリアちゃん……!?)


 と、勝手に胃がキリキリと痛くなっているヴィート。

 ジーナの返事がない。沈黙が流れた。

 すでに痛みだした胃を抱えながら、ヴィートはその様子を窺ってみた。


 きっと、ジーナはいつものように澄ました顔で、クレリアのことを見ているのだろう。


 と、思っていたのだが。

 そこには、想像とはまったく別の光景が広がっていた。


「………………っ」


 ジーナは顔を真っ赤に染めて、戸惑った顔をしている。


(えー!!?)


 予想外の光景に叫びそうになって、口をふさぐ。

 ヴィートはやはり『驚愕!』の表情で固まるのだった。

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