10 エイエイオー!の伝説
――家には戻らない。
ジーナの決意を聞いて、ヴィートは目を見張っている。
「なっ……それは聞けない相談ですよ。ジーナ様。言ったじゃないですか。力づくでも連れ帰ると」
「……お願いします。もう少しだけでいいんです。ここにいさせてください」
と、ジーナは丁寧に頭を下げた。
「私の料理に、本当に不思議な力が宿っているのか……わかりません。でも、シスト様とクレリアの役に立てるのなら……もう少しだけ。私は、2人のために料理を作りたいです」
「ジーナ様……」
ゆっくりと顔を上げる。
フィンセントの元に戻るくらいなら、何でもする。その決意を胸に、ジーナは息を吐く。
「それと――私の料理。ランディ様にとっても、必要な物なのでは?」
「は……はは……もしかして俺、今、交渉をもちかけられていますか?」
ヴィートはすかさずジーナの意図を察してくれた。困惑した様子で苦笑いを浮かべる。
「いやー、参りました。そう言われたら、拒否できないじゃないですか~。だって、これでも俺、あの悪魔には結構困ってたんですよ?」
「まあ……『本当に困っていたのか』ということについては、不問にしておきますが……」
「あれ? 手厳しいですね」
へらへらと笑いながら、ヴィートは頭をかく。
だが、その直後。顔付きを引き締めて、真摯な眼差しでジーナを捉えた。流麗な動作で膝をつく。まるで物語の中の騎士が、主君に忠誠を誓う儀式を行うように。恭しく――
「これからは、どうぞヴィートとお呼びください。今後はもうしばらく、この学校であなたの護衛を務めさせていただきますので」
「それじゃあ……」
と、目を輝かせるジーナ。
ヴィートは、ふ、と笑って、言葉を続けた。
「ですが、あなたの所在については、偽りなくエメリア公に報告させていただきます」
「そんな……私の居場所を知ったら、お父様は……!」
「大丈夫です」
悪戯っぽくウインクをして、ヴィートはほほ笑んだ。
「この件、少し俺に任せてもらえませんか? 決して悪いようには致しませんから」
+
その日、ジーナは寮室に戻ると、一番にベルヴァに抱き着いた。
「ベルヴァ!」
ベルヴァはいやいやと首を振りながら、じたばたとしている。構わずにその毛並みにジーナは頬をすり寄せる。
「……家に帰らなくてもよくなったの」
そう呟くと、ベルヴァは動きをぴたりと止めた。首を傾げて、ジーナの顔を覗きこむ。顔を見合わせて、ジーナは頬を緩めた。嬉しくて、顔がゆるゆるになってしまう。
「嬉しい……。これからも、よろしくね」
と、ベルヴァの前足を握る。ジーナはその足をゆっくりと上下に振った。
犬の目を覗きこむ。そして、夕方のことを思い出した。
「そういえば……あなた、夕方、街を歩いていなかった?」
と、尋ねてみると。ベルヴァはあざとい目つきで、「くぅーん?」と鳴く。無垢な瞳を見返して、ジーナは小さく笑うのだった。
+
夜の帳が落ちた後。
ベッドの上からは少女の規則正しい寝息が聞こえてくる。黒犬はその隣のカーペットの上で、腹ばいになって、目をつぶっていた。
不意に彼は頭を持ち上げる。少女がよく寝ていることを確認。
ベルヴァは尻尾をぶんぶんと振りながら、起き上がると、
「何だかよくわかんねーけど、ジーナをコウシャークから守れた」
と、その場でくるくる、尻尾をふりふりとしながら、喜びを表現する。
「きっとこれは俺のおかげだな。危なかったぜ……最悪の場合、ジーナの家でペットやる覚悟まで決めていたが」
一時は、屈辱的なペット用の首輪を装着することまで覚悟していた。そうならずに済んで助かったぜ、と、ベルヴァは安堵の息を吐く。
と、黒犬が満足そうに座りこんだ、その時だった。
……がら。
窓が突然開いた。そこから怪しい影が入ってくる。赤い目が闇の中、光った。ベルヴァは咄嗟に頭を低くして、身構える。闖入者に向かって唸り声を上げた。
しかし、相手の姿が月明かりに照らされると、拍子抜けしたように、床に座りこんだ。
「てめえは……」
「ふむ、やはりか。魔狼族の気配を覚えたのでな」
「悪魔族……何しに来た?」
ぺたぺたと床を歩きながらやって来たのは、リズ。ヴィートの腕に封印されている悪魔族のぬいぐるみだった。頭が異様に大きく、手足が短い姿のために、歩くたびに頭が左右に揺れている。
ベルヴァの前までやって来ると、彼は尊大な様子で胸を張る。
「情けないことよな。『三大魔族』の1族を成す魔狼族ともあろうものが、小娘のペットとなり下がるとは」
「悪魔族の分際で、小僧の使い魔にされているテメエが言うと、自虐通り越してギャグなんだよ!」
吠えるように言い返した言葉を、リズはさらりと受け流す。
「お主がこの小娘を気に入っているのは……やはり食事か」
「まあな」
「ふむ。確かにこの女の作る料理は興味深い」
リズは腕を組もうとして、失敗。すかっと手が上手くかみ合わずに、垂れ下がった。そして、大きな頭を持ち上げて、ベッドの上を見る。
「食事で魔力の質を上げる――まるで彼女のようではないか」
「ん?」
「名を何といったか。あの男のそばにいた、あの女である」
「いや、『あの』が多すぎて、何にもわかんねえよ」
「男の名の方は覚えておるぞ。人族の間では『エイエイヨー!』と呼ばれておった」
「掛け声か!! ん、いや待て……それ、『英雄王』じゃねえか?」
「おお、そっちであったか。『エイエイオー!』」
「微妙にちげえんだよ……。あー! 思い出したぞ。英雄王のそばにいた女!」
「うむ」
ベルヴァはハッと息を飲み、ベッド上に視線を送る。
「……そういえば、どことなく面影が……」
「うむ」
偉そうな口調で頷くリズ。
そして、ふらふらと歩きながら、ベッドに跳び乗った。
「では、我は休むとしよう」
いそいそと布団を持ち上げて、中にもぐりこもうと――したところで、
「こら、待てぃ!」
ベルヴァが飛びついて、前足でひっ叩いた。床にべちゃりと落下するぬいぐるみ。その顔をぐりぐりと潰しながら、
「どこにもぐりこもうとしてんだよ!」
「むむ……我は添い寝するなら、むさくるしい男は絶対拒否である。可憐な少女の気をとりこみながら寝たいのだ」
「や、め、ろ!
「ええい、離せ! 無礼な魔狼族め!」
リズは前足の下で、ぐにぐにと顔を変形させながら、手足をばたつかせる。次の瞬間、体をばねのように弾かせて、アッパーを放った。ベルヴァは空中でひらりと回転して、着地。その隙にリズはベルヴァと距離を置く。
両者は身構え、闘気のこめた視線を交えた。
その後しばらく、黒犬と猫のぬいぐるみの熾烈な戦いは続くのだった。
(ううーん……)
その日の夜、ジーナはうなされていた。
彼女が見た悪夢は、「大量の犬と猫のぬいぐるみに埋もれて、窒息寸前になる」というものだった。
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