第2章「話せない聖女編」

1 「お願い」の破壊力


(ジーナか……)


 フィンセントは学校の廊下を歩きながら、思いにふけっていた。

 先日の決闘では散々な目に遭った。

 しかし、シストの勝利は『まぐれである』とフィンセントは考えていた。


 ――なぜなら、あの時の私は不調に陥っていたのだ。


 本来の実力が発揮できていれば、あんな落ちこぼれに負けるはずがない。だから、あの勝負は偶然に偶然が重なった結果だ。公正な勝負とは呼べない。フィンセントの中で、すでにあの試合はなかったものとして扱われていた。


 それより、彼が気になっているのはあの雑用人の女だった。

 彼女の名前はジーナというらしい。腹立たしいことに、ジーナ・エメリアと同名だ。

 見た目は似ても似つかないのに。あの美しいジーナと同名とは酷なことだ、とフィンセントは思っていた。


 どうやらシストが決闘を受けたのは、あの女のためだったようだが……。


(ふん……さすが落ちこぼれは、女の趣味も悪いな)


 フィンセントは鼻で笑った。

 考えているうちに、研究室にたどり着く。フィンセントが扉を叩くと、


「ああ、待っていたよ、フェリンガくん! 学校一の秀才の君が、私の研究を手伝ってくれるとは、光栄だよ!」


 中から顔を出したのは、デムーロ教授だった。メガネをかけて、冴えない見目をしている。

 フィンセントは内心で苦い感情を抱きながら、表面上はにこやかに応対した。この学校では教師の立場の方が上なのだ。


(私が王位を継いだ折には、その規則を変更し、私に不快な思いをさせた教師は皆、クビにしてやろう)


 フィンセントは密かに企んでいた。


「はい。デフダ遺跡への同行でしたね」

「しかし、大丈夫かな? いや、君の実力は私も知っているけど……デフダ遺跡はねぇ、危ない魔物がたーくさん、うようよとしているよ? 本当に第一王子の君に手伝ってもらってもいいのかな?」

「お任せください。教授も私の成績は知っているでしょう」


 フィンセントはほほ笑みながら、その裏で、眉をひくひくと震わせていた。


 ――100年に一度の大天才と謳われる私を、侮辱するつもりか!


 と、内心では憤っている。

 遺跡の調査なんて余裕に決まっている。魔力量が規格外であると言われている、自分の実力があれば。


 即座に終わらせて、学校に戻って来る。

 そして、その後は……。


(あれで終わりと思うなよ、シスト……。お前には必ず落とし前をつけてやる)


 フィンセントは暗い決意を胸に抱いていた。



 +


 王子同士の決闘について、知らせはフィオリトゥラ魔法学校中を駆け巡っていた。『勝ったのはシスト』――その情報に全校生徒はもちろん、教師陣も驚愕していたという。


 次の日からシストをとり巻く環境は、がらりと変わっていた。それまでシストは、第二王子とは思えないような扱いを周りから受けていた。令嬢たちからすれば、王位継承権がないに等しいシストと仲良くする旨味はほとんどなかった。しかし、今回の件で彼女たちは思い直したようだった。


 ――これはひょっとすれば、今後、王位を継ぐのはシストの方になる可能性もあり得る。

 と、算段を踏んだ令嬢は、すさまじい変わり身の早さで、シストにすり寄っていた。朝から何件ものお茶会の誘いを受けて、シストは辟易としていた。


 特に伯爵令嬢、カーラ・シモーネという女はしつこかった。桃色のふわふわ髪、童顔の顔付き。男子に甘えた態度をとるため、男子生徒の取り巻きが多い。

 彼女はスカート丈を校則違反のところまで短くし、第二ボタンを開けて、大きな胸を強調させている。うるうるの瞳でなぜか常に上目遣いをして、


「ええー、いいじゃないですかぁ。シスト様。お願いしますぅ」


 と、語尾にハートマークでもつきそうなほどの口調で何度も誘ってくる。

 貴族間では遠回しな言い方が好まれる。だが、シストはそういう腹の探り合いのようなことが苦手だった。何せ、15の時までは市井の学校に通っていたので。

 シストはカーラの誘いを「行かない」「興味ない」「というか名前で呼ぶな」と付け入る隙もないほど、ずばっと断っていた。


 だが、カーラは諦めずに、何度もシストを誘ってくるのだった。「こいつの頭は、記憶が定着しないのか!?」と、シストは苛立っていた。

 普段から不愛想な面持ちを更に険しくさせている。


(早く……昼休みになれ)


 シストは切実に願っていた。

 どんな高位の貴族令嬢や、美しいと噂の娘から誘いを受けても、心が動かされることはまったくなかった。それよりもシストが欲していたのは、1人の少女との昼食時間だった。


 ジーナの料理は美味しい。シストは完全に胃袋を掴まれていた。でも、その時間を楽しみにしているのは、料理だけが理由じゃない。

 ジーナのそばにいると落ち着くのだ。それに容姿は地味かもしれないが、ジーナの所作はとても綺麗だった。ふとした仕草に目を奪われることは何度もあった。


 ――彼女は本当に平民なのだろうか?


 そう疑ったこともある。


 そういえば、とシストは思い出した。決闘前に彼女からもらった、カネストレッリ。あれはひどく懐かしい味がした。

 脳裏には、彼女と同名の少女の姿が思い浮かぶ。その度に思い浮かんだ予想をシストは切り捨てていた。


 ――いや、さすがにないか。同じ名前とはいっても。彼女がジーナ・エメリアなわけがない。


 公爵令嬢ジーナの行方は気になるところだが、彼女はフィンセントの婚約者だ。自分が口出しできるようなことではない。


 学校内にチャイムが鳴り響く。ようやく長かった午前が終わった。シストはすぐに教室を後にして、昼食場所へと向かった。


 今は早く彼女に会いたくて仕方なかった。食堂の下働きをしている、ジーナに。

 何となく歩いているうちに、彼女がふとした時に見せる笑顔が思い浮かんで、恥ずかしいような、心臓が熱くなるような気持ちになったりもして。

 いつもの四阿の前でジーナの姿を見つけた時、シストはホッとした。つい頬が緩んで、険しい表情から一転して、笑顔で声をかける。


「ジーナ! …………ん?」


 その後で、シストは目を丸くした。

 ジーナがこちらを振り向く。彼女の背には、何かが張り付いている。

 人だ。

 ジーナよりも小柄な体つき。ストレートの金髪が背中側で揺れる。びくびくとこちらを見上げているのは、小動物のような翡翠色の瞳だ。


 見覚えのある姿だった。


「聖女クレリア……?」


 シストは怪訝な顔で、その名を呼ぶ。

 クレリアはシストと目が合うと、怯えた様子でジーナの背に隠れる。ジーナは淡々とした様子で口を開いた。


「シスト様、お願いがあります」


 その言葉にシストは息を呑む。


(お願い……? ジーナが俺にお願いだと……?)


 ジーナは無欲な少女だった。シストからの食事の礼をほとんど受けとってくれない。料金も定価以上は拒否されてしまう。唯一、食材を渡すと喜んでくれる様子だったので、シストはいつも彼女が喜びそうな食材を会話の中でリサーチして、用意していた。


 そんなジーナが初めて『お願い』をしてきたのだ……!

 『何でも聞こう!!』というつもりで、シストは尋ねる。


「ああ……どうした?」

「今日のお昼は、彼女と一緒でもよろしいでしょうか?」




 彼女からのお願いは何でも聞いてあげたい。

 そう思っていたはずだった。


 しかし。



 『ジーナと2人きりでの昼食』。

 今日はそれを楽しみに午前中を過ごしていたのだ。その時間が早くも崩れそうな予感に、シストは硬直した。





 話は、少し前にさかのぼる――。




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