2 わんわん、くるくる


 その日は朝から、ジーナは上機嫌だった。

 学校のいたるところで、昨日の決闘のことが話題になっている。食堂の従業員もその話を口にしていた。シストを褒め称える声が聞こえてくると、ジーナは自分が褒められたように嬉しかった。


「あら? 珍しい」


 料理長のエマがこちらを振り返って、目を丸くする。


「いいことでもあったのかい? 顔、緩んでるよ」

「……いえ。何でもありません」


 と、クールな面持ちをわずかに緩めて――ジーナは皿洗いを続けた。




 昼休みの時間となる。

 ジーナはいつもより大きなバスケットを抱えていた。


(少し……作りすぎたかな?)


 中身はすべて今日の昼食だった。朝は早く目が覚めて、居てもたっても居られず、次々と料理を作った。

 シストがフィンセントに勝利したお祝いだ。この料理を見せたら、シストは喜んでくれるだろうか。また「美味しい」と褒めてくれるだろうか。

 それを想像すると胸が弾んで、作る手が止まらなかった。早くいつもの場所に向かおう。と、ジーナは中庭を抜ける。

 その時だった。


「あら、返してほしいの? なら、そう言ってくださる?」


 響いてきたのは、どこか意地の悪い声。


「筆談じゃ何を言っているかわからないわぁ~、ほら、赤ちゃんだって、要求は自分の口で言うのよ? 言ってみなさい?」


 校舎の裏側からだ。不穏な空気にジーナは足を止める。そして、物陰からそちらを伺った。

 ゴミ捨て場がある一画だ。生徒たちは立ち寄らない場所なので、閑散としている。

 女生徒が誰かを壁際に追いつめている。追いつめられているのは金髪の少女だった。一方、彼女を見下げて、悦に入った表情を浮かべているのは桃色の髪の少女だ。彼女は手に何かを掲げている。


「あら、大変。手が滑ってしまったわ」


 わざとらしく言って、それをゴミ捨て場につっこんだ。ジーナは眉を寄せる。彼女が捨てたのは、ランチボックスだった。金髪の少女はショックを受けた顔で、ランチボックスを凝視していた。


 ――それが誰であろうと、料理を粗末にする人間は許せない。

 ジーナは口を開いていた。


「やめなさい」


 その言葉で、女生徒が一斉に振り返る。皆、見覚えがある顔だった。社交界で接したことがある令嬢たちだ。

 その中心人物らしき女生徒は、


(カーラ・シモーネさん……?)


 ジーナ・エメリアだった時、いつもジーナに声をかけてくる少女だった。社交界で顔を合わせると、カーラはジーナの元に寄って来て、「わぁ~、ジーナさまの今日のドレス、素敵ですぅ~!」と、やたらと甘い声で言うのだった。


 しかし、今のジーナの姿では、カーラには気付いてもらえない。彼女は険しい表情でジーナを睨み付けた。


「は? あなた、雑用人よね。というか、嫌だわぁ~、あなたの格好も顔も、地味すぎて」

「カーラさん、言い過ぎですわ~!」

「あら、ごめんなさい。私って、本当のことをつい言ってしまうのよね……」


 カーラは頬に手を添えて、ふぅ、とため息を吐いた。


「でも、本当のことだから。ごめんなさいねぇ?」


 ジーナは面食らって、口をつぐむ。その様子に令嬢たちはくすくすと笑った。彼女たちはジーナがショックを受けて黙りこんだと思ったようだが……。

 ジーナはただ、驚いていただけだった。

 カーラの態度があまりにちがいすぎることに。


(人によって態度を変えるという噂を聞いたことはあるけど……ここまであからさまなのね)


 ジーナは内心でため息を吐く。そして、淡々と告げた。


「……人の見た目や立場で態度を変えるあなたの方が、よっぽど醜いと思いますが」

「な……っ!?」


 カーラは顔を真っ赤に染め、喚き始める。


「何ですって……!? この地味ブス女が!!」


 周りの令嬢も追従して、「そうよそうよ!」と頷いている。

 ジーナはそれを冷めた目付きで眺めていた。


 その時。


 たん、と何かの影が飛び降りてきた。それはジーナとカーラの間に割って入る。

 ジーナは目を丸くし、令嬢たちは「ひっ!?」と顔を引きつらせた。

 黒犬――ベルヴァだ。ここ数日でまた体が成長していた。子犬から中型犬への移行期といった段階だった。ベルヴァは唸り声を上げて、カーラに牙を剥く。


「な……何なのこの犬!?」


 カーラたちは怯えた様子で後ずさる。そこに「わん!」勢いよくベルヴァが吠え立てた。

 カーラたちは飛び上がり、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「……ベルヴァ」


 ジーナが声をかけると、ベルヴァがくるりと振り返る。しっぽを振って、じゃれついて来た。

 その頭を撫でて、ジーナは「ありがとう」と礼を言う。ベルヴァはぴょんぴょんと飛び跳ねて、ジーナの持っているバスケットに顔を近付ける。しっぽをぶんぶん、鼻をひくひく。


 その様子でジーナは気付いた。


「もしかして、お昼、足りなかった?」


 まるで「そうです!」と肯定するように、ベルヴァはしっぽを振り回す。ジーナはバスケットからグバーナをとり出した。木の実やレモンの皮のすりおろしを入れて、焼いたパンである。


「これも食べて。明日は量を増やすね」


 パンをぱくりとくわえて、ベルヴァは嬉しそうにその場で回る。くるくる。楽しそうにしっぽを振って、走り去った。

 ジーナは金髪の少女と向き直る。


「大丈夫ですか?」


 小柄で可愛らしい雰囲気の少女だ。彼女は目が合うと、慌てた様子で立ち上がる。手帳をとり出して、何かを書き始めた。


『ありがとうございます』


 と、紙をこちらに向ける。小さくて、遠慮がちな文字だった。

 ジーナはほほ笑んで、


「いいえ。そういえば……それ、あなたの昼食?」


 ゴミ箱に捨てられたランチボックスを見る。蓋が空いて、中身がぶちまけられている。

 少女はしょんぼりとした顔で、手帳を掲げる。


『そうです』


 ジーナは「……そう」と、静かに息を吐いた。

 持っていたバスケットを掲げると、


「今日、お昼を作りすぎたの。あなたの口に合うかはわからないけど……、一緒にどうですか?」


 その言葉に、少女は目を丸くした。

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