13 カネストレッリの思い出


 シスト・フェリンガは生まれながら、兄フィンセントと大きな区別をつけられていた。

 物心ついた頃には、シストはそのことを嫌というほど実感することになった。王妃はフィンセントのことは溺愛しているのに、自分のことは蛇蝎のごとく嫌っていた。使用人がおべっかを使うのはいつもフィンセントの方だった。彼らはシストとは、一歩引いた態度で接していた。


「なぜ陛下はあの子を王宮に住まわせているのだろう……修道院にでも送ってしまえばいいのに」


 誰かが叩いた陰口を、シストは耳にした。


 自分が王妃の子ではないと知ったのは、その頃だった。

 王はシストの母親が誰かを明かしていないのだという。だから、王宮ではシストは、「王が娼婦に産ませた子」ということになっていた。


 フェリンガ王国の王位継承権は、『スフィーダ・フェリンガの血を引き、魔道士として力がもっとも優れている者』に与えられる。そのため、シストも一応は王位継承権を得られる立ち位置だった。母親が不明でも、フェリンガの血を引いているからだ。


 しかし、魔力測定を行った6歳の時。

 シストは更に絶望を覚えることになる。兄の時は『魔道士としてやや優秀』という判定だった。

 一方で、シストは魔力がほとんどなかった。


 それも、属性が「風」だった。


 魔法は4つの属性に分類される。

 火、水、土、風。その者が使える属性は生まれながら決まっていて、親の力を受け継ぐのが一般的だ。もし、属性の異なる魔道士同士が子を成した場合は、より力の強い方を受け継ぐ。


 英雄王『スフィーダ・フェリンガ』の属性は「火」だった。そのため、フェリンガ王家は代々、「火」の家系だ。


 だが、シストの属性は「風」。


 その時、王宮では様々な議論が湧き起こったという。「シストが王家の血を引いていないのではないか!」と、王妃一派は騒ぎ立てた。しかし、現王は動じずに、「シストが自分の子である」と主張。王妃は納得しなかった。折衷案として、シストは王宮を追い出され、寮のある学校に入れられることになった。


 ジーナ・エメリアと出会ったのは、その時のことだった。

 王宮を追い出されることが決まって、シストは中庭で1人、うずくまっていた。この世界には誰も自分の味方がいないのだと思っていた。


『……大丈夫?』


 その時、1人の少女が声をかけて来た。大人びた面立ちの少女だった。


『これ、たべる?』


 彼女はお菓子の袋を手にしていた。それをシストに分け与えた。

 カネストレッリだ。少し不格好なマーガレットの形。

 素朴なバターの味がした。ホッと安心できるような甘みだった。


『美味しい』


 先ほどまで泣いていたことを忘れて、シストは笑った。すると、少女も小さく笑い返した。ドキッとするほど、美しいほほ笑みだった。


 その時の味と、笑顔が、シストは忘れられないでいた。


 通常の王侯貴族は、15歳になるまでは家庭教師などをつけ、自宅で勉強をする。その後、王立学校か魔法学校のどちらかに通うことになっている。

 しかし、シストは6歳から王宮を追い出され、普通の庶民が通うような学校に放りこまれた。そこでいろいろと揉まれたため、口調や雰囲気が王族とは思えないような砕けたものになった。


 そして――シストが15歳になった時。


 彼はようやくフィンセントと同じ、フィオリトゥラ魔法学校に通うことを許可されたのである。そして、一時、王宮へと帰ってきたシストは、彼女と再会を果たすのだった。


(あの時の……彼女だ)


 あの後、シストは彼女が公爵令嬢のジーナ・エメリアであることを知った。しかし、彼女は自分が第二王子であることに気付いていないだろう。フィンセントとちがって、シストはあまり社交界に出たこともなかった。


 シストは目を輝かせて、ジーナに話しかけようとした。

 その直前で、フィンセントがその前に割りこんできた。


「不躾な目を向けないでもらえるか。彼女は私の婚約者だ」

「なっ……」


 シストは目を見開いて、硬直する。


「明日、婚約発表のパーティが開かれる。ああ、だが、お前は参加しない方がいいだろうな。……薄汚い平民崩れになり下がったお前には、縁のない場所だ」


 フィンセントは馬鹿にしたように鼻で笑う。その顔にはありありと優越感が浮かんでいた。

 彼は去る間際、こう付け加えた。


「心配するな。――彼女は、私が幸せにする」


 シストは途方もない敗北感に打ちひしがれ、その場に立ち尽くした。




 +



(そういえば……)


 オーブンを覗きこんで、ジーナは不意に昔の記憶を思い出した。花の形のクッキーが焼き上がろうとしている。室内には甘い香りが満ちていた。

 オーブンを開けて、焼き具合を確認する。


 その形を眺めていて、ジーナはあの時のことを思い出していた。

 菓子作りは令嬢の嗜みだ。だから、幼い頃からジーナも菓子作りを学んだ。いや、学ばされていた。

 昔のジーナは菓子作りが苦手だった。繊細な作業が求められるし、少しでも計量がずれたら味が変わってしまう。失敗ばかりをくり返して、お菓子作りの授業が嫌になっていた。


 そんなある日。父に連れられて訪れた王宮で。

 ジーナはある少年に出会った。彼は1人で泣いていた。何があったのかはわからないけど、どうにかして元気づけたい。と、ジーナはその日の授業で作ったカネストレッリを渡した。


 少年はそれを一口、食べて、ふわっとほほ笑む。蕩けるような笑顔で言った。


『――美味しい』


 すると、ジーナの胸に温かいものがあふれて――ジーナも思わず笑顔になった。


(私がお菓子を作るのを好きになれたのって……あの時からだった)


 そのことを思い出して、ジーナは小さくほほ笑む。カネストレッリを包みながら、あの時の男の子は今どうしているだろうか、と思いを馳せるのだった。



 +



 ――王子同士で決闘が行われる。



 その情報を耳にした時、クレリアは『好都合だ』と思った。生徒たちは皆、そちらに向かうだろう。

 だから、今朝は誰にも邪魔されずに、静かな時間を過ごすことができる。


 柔らかな朝日が室内を照らしている。窓辺に腰かけて、クレリアは読書を続けていた。

 魔法学校フィオリトゥラで彼女のために与えられた部屋だ。辺りは静寂に満ちている。それだけでクレリアの心は穏やかでいられる。


 だが……。そんな平和な時間は長続きしなかった。


「聖女クレリア!」


 慌ただしい足音と共に、乱暴に扉が開かれる。クレリアは顔を曇らせて、椅子から立ち上がった。その人物は無遠慮に室内へと押し入ってくる。

 その顔を見て、クレリアは驚いた顔をする。


 相手がこの国の第一王子――フィンセント・フェリンガだったからだ。彼は1人の少女に肩を支えられている。そちらの顔にも見覚えがある。男爵令嬢のエリデだ。

 クレリアはいつも制服のポケットに忍ばせている手帳をとり出した。文字を書き始めるが、それを待ってくれるほど2人は寛容な人間ではなかったらしい。甲高い女の声が飛ぶ。


「フィンセント様は怪我をされているの! すぐに治しなさい!!」


 クレリアはハッとして、顔を上げる。そして、おろおろとフィンセントの顔を見た。

 確かに彼は全身に擦り傷を負っている。


 ということは――決闘に敗北したのは、フィンセントの方なのか?


 その疑問が顔に出てしまったらしい。

 フィンセントは思い切り顔をしかめて、怒鳴り散らした。


「余計なことを考える暇があるのなら、その分、働け! 次期王の私が命令を下しているのだぞ! お前たち民は、即座に私の要求に応えるのだ!」


 クレリアはあわあわと困り果てる。

 それから何度も頷いて、承諾の意を示した。


 クレリアは指を絡ませて、祈りの姿勢をとる。目を閉じ、息を吸いこんだ。それだけで彼女の周囲は、清涼とした雰囲気に包まれる。


 『聖女』――その役職が様になる、神々しい立ち姿だった。


 だが、次の瞬間。

 彼女の口から零れ落ちたのは――耳を疑うような濁音だった。クレリアは歌声に魔力を乗せて、『歌詠魔法』を行使する。その声は濁りきっている。少女というよりも、枯れた老婆が出すようなひどいダミ声だ。


 その歌声で、フィンセントの傷は綺麗に治っていく。

 しかし、フィンセントとエリデはそれに感謝するどころか――思い切り、吹き出した。


「これが『聖女の奇跡』!? ああ、いつ聞いても汚らしい声だ……!」

「何てひどい声! お腹の中にヒキガエルでも飼っているのかと思いましたわ!」


 彼らは馬鹿にするように笑い転げている。

 クレリアは、カーッと顔を赤く染めた。


 そして、その部屋を飛び出した。嘲笑の声は廊下にまで響いている。




 ――あなたは声に魔力をこめることができるのです。その才能は特別なもので、常に発揮されている。声質が変化してしまったのは、あなたの魔力が声に影響を与えるせいでしょう。その声はもう治らないわ。




 学校の教師に言われた台詞が、彼女の脳裏に蘇る。



 ――質のいい魔力を得ることができれば、その限りではないけれど。



 そう言われた直後こそ、クレリアは希望を抱いた。

 だけど、魔法に関わる本を何冊も読んで、そんな方法はないのだと理解した。魔力は人間の体が生み出すものだからだ。使えば減る。休めば回復する。それ以外に魔力を得る方法はない。


 だから……。


(もう嫌……こんな声……!!)


 歌う度に笑われる。馬鹿にされる。

 そんな自分を消し去ってしまいたいと、クレリアは思うのだった。

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