11 わずかな希望


 『英雄の試練』は、シストの勝利で終わった。

 試合の後、ジーナたちはシストの元へと向かっていた。競技場内にある控室だ。始めは衛兵に止められたが、彼らはジーナの顔を見ると一転して、丁寧な物腰に変わり、中へと通してくれた。


「シスト様」


 ジーナたちが部屋に入ると、シストは立ち上がった。その腕には包帯が巻かれている。フィンセントの魔法で焼かれた方の腕だ。その痛々しい様子にジーナは目元を歪めて、彼へと歩み寄る。


「その怪我……もう動いても大丈夫なのですか」

「ああ……これか? 少し大げさに巻かれた。実はほとんど治っている」


 何でもない風に答えて、シストは手を開いたり閉じたりする。その面持ちから苦痛を感じている様子はなかった。

 ジーナも、ヴィートとクレリアも目を見張る。


「治癒魔法をかけてもらったにしても、早すぎませんか?」

「それに、さっきの試合での魔法は何なんですか? 俺、あんなの見たことないですよ」


 シストは迷うように視線を漂わせる。決意したようにヴィートとクレリアの方を見ると、


「来てもらったばかりで悪いが、ジーナと2人で話したい」

「ああ」

「なるほどです」


 その要請には、2人はなぜかにやにや。

 さっさと踵を返して、扉へと向かう。


「それでは殿下。お大事に。そして、此度の勝利、おめでとうございます」

「ジーナ、頑張ってね!」


 そう言い置いて、扉が閉まる。

 『頑張ってって……何を?』と、ジーナは目をぱちぱちさせていた。なぜだかそわそわとして、気恥ずかしい気持ちになる。


「あの……おめでとうございます。シスト様」

「俺が勝てたのは、君のおかげだ」


 シストの方を向いて、ジーナは息を呑んだ。

 柔らかな声だった。それに、いつにも増して優しい顔付きをしている。


(シスト様……いつもと雰囲気がちがう……?)


 それもジーナのことを『君』と呼んだ。これまでは『お前』だったのに。王族と平民の距離感であれば、本来は後者の言葉遣いの方が正しい。

 柔らかな眼差しで見つめられると、ジーナの胸は落ち着かなくなって、視線を逸らした。

 落ち着かないのはシストの方も同様だったらしく、


「こうして、目の前にいると思うと照れるな……」


 と、照れた様子で告げている。

 何が? と、再度、ジーナは首を傾げる。

 そわそわとするような落ち着かない空気が流れてから、


「先ほど、父と話したんだ。その時、俺も初めて知ったのだが、俺の母親は普通の人間ではないらしい」


 シストが切り出した言葉に、ジーナはハッとした。


「魔族――それも竜族だというんだ。しかし、そのことを公にしたら問題になるから、今まで俺の母親については存在を隠していたらしい」

「国王陛下と、竜族の間に生まれたのがシスト様なのですか……? では、シスト様のお母さまは今は……?」

「俺を生んだすぐ後に亡くなったそうだ。母についてもっと聞きたいこともあったが、それ以上のことは教えてはもらえなかった。俺が試合で使った魔法は、竜族の力らしい。そして、俺がその力を使えるようになったのは、君の料理のおかげだ」

「私の料理が……?」


 ジーナは呆然とする。

 その言葉を咀嚼してから、自分には過ぎた評価だと思った。


「それはさすがに買いかぶりすぎではないでしょうか。シスト様が竜族の血を引いておられるなら、元々、シスト様が持っていた力なわけですから……」

「だが、俺は今までその力を使えなかった。君の料理でその力を引き出せたのも、今回が初めてではない」

「え……?」

「前にも……、君には」


 シストはそこで言葉を切る。沈黙が流れて、ジーナは彼の顔を窺った。シストの視線はジーナではなく、扉へと向けられている。

 呆れたように息を吐いてから、シストは扉へと向かう。ぞんざいにドアを開け放った。「わああ」と声と共に、クレリアとヴィートが転がる。

 クレリアは『愕然!』という表情をして、


「なぜわかったのですか!?」

「殿下……。これは騎士として、護衛を努めようとしたのです」


 一方、ヴィートは顔付きだけは生真面目に告げる。シストは苦い表情で目を細めた。ばたん。扉を閉めると、外からは2人の声がわあわあと聞こえてくる。

 シストはジーナに向き直ると、


「明日はまだ学校にいるか?」

「はい」

「話したいことがある。朝、いつもの場所に来てくれるか」


 ジーナはその言葉に頷いた。

 『明日は、まだいるか』という言葉がおかしいことに気付いたのは、彼と別れた後のことだった。



 +


 王妃・マファルダは試合後に気絶していた。

 試合内容が想像とまったく異なる結果に終わったせいである。競技場の医務室で彼女は目を覚ました。そして、彼女はひどく憤慨していた。


 マファルダはすぐさま部屋に1人の男を呼び出す。それは王宮魔道士ルカだった。

 彼が部屋に入って来るなり、マファルダは声を荒らげた。


「お前は何をしているのです!」

「王妃様。そのように激情されては、お体に障ります」


 ルカはひょうひょうとそんなことを口にする。その泰然とした態度が、マファルダの神経を逆なでした。


「お前の魔法に不備があったのではなくて!? 話がちがいます! なぜ、わたくしの子があんな無能者に負けてしまうの!?」

「私は確かにシスト殿下に封印をかけました。しかし、何か別の力が作用した様子。その力によって、私の封印が打ち破られたのです」

「言い訳は結構です!」


 マファルダは頭に血が上っていて、ここがどこであるのかも忘れているらしい。彼女は立ち上がると、ルカへと詰め寄る。激情のままに喚き散らした。


「フィンセントが負けたのはあなたのせいです! あなたの封印魔法が成功していれば、あの無能は何もできずに敗北が決まっていたはずなのに……!」

「王妃様……。抑えてください。この場で口にすることでは……」


 ルカが神妙な顔付きで進言した時だった。


「マファルダ……そして、魔道士ルカよ……。何ということを仕出かした……」


 入口には国王アベラルドの姿がある。


「お前たちは、神聖な儀式を汚した。『英雄の試練』に水を差すことが、どれだけ愚劣な行為であるのか、知っているのか」


 国王の言葉に、ルカの面持ちからは表情がすとんと抜け落ちる。重々しい態度で頭を垂れた。

 一方で、マファルダは事の重大さを理解できていないらしく、


「陛下!」


 と、声を張り上げる。


「親が子を案じることの何が悪いのです! わたくしはフィンセントがあのような危険な場で、怪我をしないように策を講じたまでです!」

「……そうか。お前はあくまで、子を思う親心が今回のことを引き起こしたと言うのだな?」

「当然ではありませんか!」


 アベラルドは険しい表情で黙りこむ。

 それで許されたとでも思ったのか、マファルダが口元を緩めた――その直後。


「この場で騒ぎを起こすことはせぬ。だが……王都に戻り次第、お前たちの身は拘束させてもらおう」

「いかような罰でも、謹んでお受けいたしましょう」


 ルカは神妙に答える。

 マファルダは何を言われたのか理解できなかったようだった。唖然と口を開いてから、


「なぜですの! 陛下!」


 と、声を上げる。

 彼女の顔をきつく睨み付け、王は厳かに言い放つ。


「――子を思う気持ちは、私とて同じだからだ」




 +



 試合が終わった後、フィンセント・フェリンガはその足で両親の元へと向かった。


「父上! 母上……!」


 と、貴賓室の扉を開く。

 中にいるのはアベラルドだけで、母マファルダの姿はなかった。


「母上はどこです」

「マファルダは体調が優れないと休んでおる。……何用だ」


 アベラルドの声音は常時よりも低く、問い詰めるような厳しさを含んでいた。しかし、フィンセントはそのことに気付かず、口を開く。


「『英雄の試練』のやり直しを求めます!」

「お前はこの期に及んでもまだ、現状を理解できていないようだな」

「私がシストに負けるなどありえない! それに奴の使った魔法は何です! あんな魔法、今まで見たことがない! あれは、……そう、あの落ちこぼれは、まともにやっても私には勝てないからと、何か邪法にでも手を染めたにちがいありません!」


 アベラルドはフィンセントから視線を逸らし、深く項垂れた。諦観が含まれた嘆息――しかし、父の思いにまたもやフィンセントが気付くことはなかった。

 アベラルドは決断するようにフィンセントを見据える。


「不正を行ったのはフィンセント。お前の方だ」

「なっ……!? 私が……いつ!?」

「何も知らぬようだな。だが、お前の母が勝手に行ったことであっても、お前がその責任から逃れる術はないのだ。マファルダはそれだけのことを仕出かした」

「……母上が……?」

「マファルダは魔道士ルカ・レンダーノと共謀し、シストが魔法を使えないように封印魔法をかけていた」


 フィンセントはさっと顔色を変える。それがいかに罪深いことなのか、彼にも理解できたからだ。


「わ……私は何も知りません……!」

「お前の言い分については、後で聞こう」

「父上! 私は第一王子……いや、この国の王太子です! 私には、あの英雄王に匹敵するほどの魔法の才があり……!」


 アベラルドは眉を顰める。そして、失望した目で彼を射抜いた。


「本当に何も理解できておらぬようだな。『英雄の試練』で勝ったのはシストだ。今日からは、シストが王太子となる」

「そ……そんな……」


 フィンセントは愕然として立ち尽くす。ようやく自分の立場が危ういということに気付いたのだった。この状況をどうしたら打開できるのか、彼は必死で考える。

 いつもなら味方をしてくれるはずの母の姿はない。

 しかし、まだ何か手があるはずだ。不正を行ったのは母であり、自分は関係ない。自分はこの国の第一王子であり、魔法の才能だって飛び抜けているのだ。多少失敗したくらいで立場が揺らぐことはない。まだとり戻せる――と、彼が考えていた時。

 扉を叩く音がして、


「陛下。エメリア公がお話ししたいことがあると。フィンセント殿下の婚約者エメリア嬢についてとのことですが……」


 フィンセントはハッとして、顔を上げた。


「よい。こちらに通せ」


 アベラルドが告げると、扉が開く。

 そこに立っていたのはジーナの父・ジークハルトであった。


(そうだ、ジーナ……! 私にはまだジーナがいる……! 彼女さえ、私の元に戻ってくれば……!!)


 美しく、料理上手な自分の婚約者。

 彼女の料理を思い出すと、沈みかけていたフィンセントの心は幸福感に浸る。

 すると、王位継承権も、母が行ったことも、どうでもいいと思えてきた。


 ――彼女さえ、自分の元に戻って来てくれればいい。彼女の美味しい料理があれば、多少の不幸だって上書きできるだろう。


 フィンセントはわずかな希望にすがった。

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