10 その声は届いた
フィンセントが魔法を解き放つ。
試合場は熱気に包まれた。炎が這うように一面を覆いつくし、シストに迫りくる。逃げ場はない。魔法が使えないシストに、その攻撃を防ぐ手はない。
シストは目を見張る。
眼前に炎が映り、視界が赤く染まった。
その時だった。
『……どうか、シスト様が怪我をしませんように』
どこからか、声が聞こえた。
聞き覚えのある声だ。
(ジーナ……?)
シストは目を瞬く。瞬間、彼の中で昔の記憶が弾けた。
10年前のことだった。
王宮を追い出されることが決まって、シストは中庭で1人、泣いていた。その時、声をかけてくれたのがジーナだった。
ジーナはカネストレッリをシストに分け与えてくれた。そのお菓子は優しい味がして、すごく美味しかった。『美味しい』と告げると、ジーナは嬉しそうに笑った。
『少し待っててね』
少女はそう言い置いて、去っていく。
彼女は別の菓子を手に戻ってきた。
『これも、あげるね』
ジーナは照れたような笑顔と共に、それをシストに差し出した。
『これからあなたにいいことがありますように、って祈りをこめたの』
シストはその袋を受けとって、まじまじと見つめた。
焼き立てなのか、袋越しでもほんのりと温かいことがわかる。その温かさが、じんわりと胸に染み渡った。
その日の午後。
シストは馬車に乗って、通うことになる学校へと向かっていた。しばらく王宮に戻ることはできない。外は重い雲が立ちこめ、昼間なのに薄暗かった。
しかし、シストは不思議と寂しさは感じなかった。膝の上に乗せたお菓子が、ほんのりと甘い匂いを漂わせている。その菓子をそっと口に運んでみると、優しい味がした。
事件が起こったのは道中のことだった。
馬車が突然、停止する。
外からは馬のいななき、御者の悲鳴――そして、怒号が聞こえてきた。
シストは不安になって、ジーナからもらった菓子の袋をぎゅっと握りしめる。
乱暴に馬車の扉が開く。そこから顔を覗かせたのは、知らない男だった。粗暴な風体をしている。手には剣を持っていた。
『お前がシスト・フェリンガだな――』と、男が告げる。そして、その剣を振りかぶった。
シストは目をつぶる。その時、どこからか声が聞こえたのだ。
『あの子に、これからいいことがありますように』
それは少女の声だった。
そこでシストの意識は途切れた。
気が付いたら、雨音が響いていた。シストは馬車の外に倒れていた。辺りを見渡して、彼は驚愕する。馬車が焼け焦げていた。野盗と思わしき男たちが地に伏している。皆、意識を失っていた。
その後、シストは警備兵によって助け出された。
これはシストも後から聞いて知ったことだが――
その日、偶然にも馬車の近くに雷が落ちた。それによって、野盗たちは倒れたのだという。
シストはそれを奇跡だと思った。そして、ジーナからもらった菓子の袋をまじまじと見つめる。落雷の奇跡が起こった時、彼女の声が聞こえた気がした。
『いいことがありますように』彼女の言葉を思い出す。その祈りが天に通じたから、それによって奇跡は引き起こされたのではないかとシストは思った。
シストは我に返る。火に呑まれた試合場に彼は立っていた。観客の悲鳴が遠くから響いていた。
10年前に聞こえた、少女の祈りの声と、
『……どうか、シスト様が怪我をしませんように』
今、聞こえてきた祈りの声。
その2つがシストの中で重なる。
(ああ、そうか。……彼女だったんだ)
烈火に染まる視界の中で、シストは観客席を見上げた。
彼女の姿を見つける。
すると、温かな安堵が胸の内に広がった。
シストは理解した。
10年前にお菓子を渡してくれた少女と、今朝、試合の前にお菓子を差し入れてくれた少女が――
同一人物であるということを。
次の瞬間、視界の中で光が弾ける。
天気は晴天。空は突き抜けるような青に澄み切っている。
そんな天候にそぐわないほどの――雷鳴が辺りに響き渡った。
+
観客は皆、度肝を抜かれていた。
それは2人の魔族も同じだった。
ベルヴァがしっぽを丸めて、後ずさる。そして、唸り声を上げた。
「あの小僧の属性は、『風』なんかじゃねえ!」
「うむ」
と、リズがしたり顔(といってもぬいぐるみなので、ひょうきんな顔付きではある)で頷いた。
彼らの視線の先――競技場で弾ける光。それは青い雷光だった。
「あれは『風』の上位属性――『雷』」
「どういうことだ。人間がその属性を操れるわけがねえ。いや、人間どころか、俺たちにだってできねえよ!」
「昔から『雷』を操れる種族は、ただ1つと決まっておる。三大魔族が1つの――」
リズは厳かな声で言い放つ。
「――竜族」
+
フィンセントが生み出した炎に、シストの体は呑みこまれたかのように見えた。
直後。
光が弾ける。遅れて、辺りには雷鳴が響いた。ばちっ――炎の中で光が迸る。次の瞬間、その光を中心として、炎が一斉に後退した。
辺りを埋め尽くしていた炎が、じゅっと音を立て、消え去っていく。試合場には業火の名残である煙が立ち込めた。
フィンセントは眉を潜めて、立ち尽くす。自身の魔法が何らかの力で突然、かき消されたのだ。彼は動揺して、辺りを見渡していた。
煙でぼやけた視界の中、ばちっ――再度、光が弾ける。
フィンセントの視点が、シストに固定される。そして、愕然とした。あれだけの炎に呑まれていながら、シストの体は火傷1つ負っていない。彼は静かにフィンセントを見据えていた。
瞳の色が赤く染まっている。その視線の鋭さに得体の知れない恐怖を抱く。フィンセントは、ひっ、と声を上げると、
「何だ、お前……いったい何をした!?」
シストは何も答えずに、足を踏み出す。自分へと近付いてきたことを悟って、フィンセントは恐慌状態に陥った。
「なんだ、お前……っ、お前は、……ありえない! 無能なお前に! 私より劣るお前に、こんなことが! できるはずがないッ!」
彼は呪文を詠唱する。次々と魔法を撃ち出した。
五月雨のごとく撃ち出された火の魔法。それはすべてシストへと届く直前、彼の周囲を走る雷光によって撃ち落とされる。
攻撃が何も通じない――そのことに、フィンセントは狼狽する。彼の顔は見る見ると青く染まり、全身には汗が吹き出していた。
シストが間合いに入った。その直後、彼は流れるように動く。
「ひいぃぃ……っ!」
フィンセントの眼前に剣が付きつけられる。白刃が小さな雷光をまとう。その光が、フィンセントの鼻先で、ばちっ――弾ける。
その瞬間、フィンセントの中で矜持は粉々に砕け散った。
「や、やめろ……! お前を馬鹿にしたことは詫びる! 謝る! だからっ……!」
恥も外聞もなく、彼は必死で懇願する。
シストは静かにフィンセントを見ている。赤い双眸がまとわせる冷酷な雰囲気に、フィンセントは震え上がった。
シストが両目を閉じる。再度、目を開いた時、その双眸は普段通りの碧眼へと戻っていた。辺りに充満していたひりついたような空気が霧散する。
シストは剣を下げた。
「俺に謝る必要はない。お前に言われたことにも、腹は立てていないからな」
フィンセントは安堵の息を吐き出した。
助かった――と、彼が思った、直後。
フィンセントの体は後方へと吹き飛ばされていた。殴られたと気付いたのと同時、彼は地面に衝突する。
「だが、お前がジーナにしたことは、絶対に許さない」
煮えるような怒気を孕んだ声がフィンセントの耳に届く。
その瞬間、彼は意識を失っていた。
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