9 英雄の試練
2人の王子が競技場に上がると、平民席の観客たちはざわめいた。王子の姿を直に見るのが初めての者も多い。興味深そうにその姿に見入っている。
ジーナは不安でたまらなかった。シストの姿が見えても、胸がドキドキして落ち着かなかった。
フィンセントは余裕めいた笑みを浮かべている。シストは試合場の緊迫感が伝わってくるほど、決然とした様子だった。
両者ともに黒い服をまとっている。それは魔道士用の軍服だった。魔道士は裾の長い外套を羽織るのが正装とされる。
周囲からは、「凛々しい」「素敵」との声が上がる。
シストは外套の中に帯刀している。そのことに気付いて、ジーナはぽつりと声を漏らした。
「シスト様って剣を使えるんだ……」
その声に応えたのはヴィートだった。
「ああ、そうか。魔法学校では必要ないから、ジーナちゃんたちは知らないんだったな。殿下は魔法よりもむしろ、そっちが得意なんだよ」
「そうだったんですか」
「殿下の身体能力は昔から人間離れしてるっていうか……。昔、殿下をさらおうとしたならず者たちがいたんだけど、そいつらのことも素手でのしてたし」
「さらっとすごい武勇伝が出ましたね」
と、クレリアも目を丸くしている。
「でも、そのおかげで、ほら、見てみなよ。前の学校だと、庶民から人気あったんだよな。シスト殿下」
平民席の一部からシストを応援する声が聞こえてくる。
「シスト様の応援をしているのは平民の方が多くて、フィンセント殿下を応援されているのは貴族の方ばかりですね」
観客の熱量の差からもそれは窺えた。
貴族席の方を見ると、そちらは粛然としているが席の埋まり具合から人気の差が浮き彫りになる。フィンセント側の席は埋まっているのに、シスト側の席はがら空きだ。
ジーナは胸元を抱いて、試合場に目を向ける。
(…………シスト様)
+
フィンセントは周囲の反応に気をよくしたように、口端をつり上げていた。
「大躍進ではないか。『落ちこぼれ』と皆にそしられていたお前が、これだけの注目を浴びれるとは。もっとも……数分後には、お前に向けられる眼差しは憐憫のものになるのだろうが」
この状況すらも、ショーか何かと勘違いしているのか、彼は楽しげだ。その様子をシストは険しい目付きで睨み付けた。
「謝る気はないのか」
「いったい何を謝れと言うのか。お前が魔法の素質に劣ることは純然たる事実で――」
「そっちじゃない。ジーナを侮辱したことを謝れ」
フィンセントは苛立ったように眉を寄せる。
「平民の女にそこまでいれこむとは……痴れ者めが」
そのやりとりを最後に、2人は口をつぐんだ。
視線が交差し、緊迫感があふれる。その緊張が周囲に伝わり、観客たちも静まり返っていた。
「これより――英雄の試練を執り行う」
厳かな声が競技場全体に響き渡った。
貴賓席で国王アベラルドが立ち上がり、試合場を見下ろしている。拡声音響用の魔道具により、彼の声はよく通る。
フィンセントとシストは、険のある視線を交えた。
同時に、フィンセントは動いた。
呪文を詠唱し、掌から撃ち出す。
「火球」――火属性の初級魔法だ。球状の炎を撃つ、もっとも基本的な攻撃呪文だった。
以前までのフィンセントなら魔力量に驕って、大技を連発し、すぐに魔力切れを起こしていた。しかし、遺跡探索を経て、彼の中で何かを得たのか――彼の選択は、魔道士としての基本戦術にきちんと則っていた。
撃ち出された火球は1つだけで、軌道も読みやすい。避けるのは容易いが――
(いや、それが狙いか)
シストは瞬時に判断していた。
フィンセントは油断なくシストの動きを見据えている。こちらが避けたその隙を狙って、更に大技をぶつけてくる算段なのだろう。
それなら、とシストは呪文を唱える。風魔法で炎を散らそうとした。
だが――風は起こらない。
魔法が不発に終わったのだ。
(なっ……!?)
シストは目を見張る。
唱えたのは風の初級魔法だ。昔ならともかく、今の自分であれば失敗するはずもない。だが、現に魔法は発動していない。
困惑しながら、シストは地面を蹴り上げる。
火球を避けた――それがフィンセントの誘いこんだ罠だとわかっていながら。フィンセントがすかさず次の魔法を叩きこんでくる。
中級魔法『火千』。地面の上に炎の波が立ち上がり、襲いかかってくる。シストはもう一度、風魔法を唱える。だが、またもや不発に終わった。眼前に迫りくる熱波。
選択――右か、左か。迷う余地もない、左だ。シストは咄嗟に外套を脱いで、炎に向けて広げた。
目の前で外套が炎に呑まれる。焦げた匂い――そこには肉が焼けたような匂いも混ざる。
遅れて観客席から悲鳴が上がる。腕に剃刀を走らせたような激痛が宿った。
外套を放り投げる際に使った左腕が、炎をかすっていた。肘から手首にかけて熱傷を負った。シストは額に汗を浮かべて痛みに耐えながらも、思ったよりも軽症だったな、と考えていた。
あれだけの炎に呑まれたら普通だったら死んでいるところだ。それを左腕1本だけで済んだのだから、助かったと思うべきである。
今、考えるべきことはそれよりも――
(なぜ魔法が発動しない……!?)
シストは自身の右手を見る。
+
試合場でシストが困惑している。
その様を貴賓席から眺め、王妃マファルダは満足していた。
(ふふ……わたくしの指示通り、上手くやってくれましたね)
フィンセントの魔法を前に何もできない、みっともない姿。
『やはり、あれは自分の子より劣っているのだ』と、マファルダは実感し、ほくそ笑んでいた。
これからが本番だ。今日の試合は、後世に残るほどに愉快な見世物になるにちがいない。
これは決闘ではない。王家にもぐりこんだ厄介者を排除する、「見せしめのショー」だった。そして、マファルダの子が王位を継承するという、輝かしい未来を手に入れるための礎。その未来を想像し、マファルダは高揚感で満たされていた。
そして、ただのつまらない決闘をこれだけの面白い見世物に変えてくれた影の功労者に、マファルダは感謝していた。
(あなたは封印魔法の天才です――ルカ)
+
――闘技場の通路にて。
席には座らずに、壁にもたれて観戦している男がいた。
教師デムーロだ。
彼は試合の展開を見守り、小さく笑みを零す。そして、自分の手首からリングを抜きとった。
その瞬間――男の容姿は変化した。冴えなかった目鼻立ちは、整ったものへ。特徴のない茶髪は、美しい水色の髪へと。
王宮魔道士ルカ・レンダーノ。
彼は痛ましげに目を細め――しかし、どこか余裕めいた態度を維持したまま、
(悪いね、シスト殿下……女王様のご命令だ)
と、内心で呟くのだった。
+
シストの魔法が発動しない。そのことにフィンセントも気付いた。
たっぷりと優越感をにじませて、嘲笑すると、
「初級魔法すらまともに使えないとは……。やはりお前は無能ではないか。先日の決闘はまぐれだったのだな」
と、見せつけるように掌に火を生み出す。それが丸く集まって、火炎球となった。
「貴様のような雑魚に上級魔法はもったいない。下級魔法で十分だろう。これが私とお前の『差』だと、その身をもって思い知るがいい!」
その火炎球が分裂する。いくつもの炎の弾となって、掌から撃ち出された。
シストは目を見張る。これだけの数の火炎球を魔法を使わずに防ぐのは不可能だ。
しかし、脳裏をジーナの姿がよぎる。すると、不思議な力が全身に満ちた。
対応はほとんど反射だった。抜刀、同時に投擲。
シストは剣の鞘を放る。爆音――砂煙。鞘に直撃した火炎球が爆ぜたのだ。周囲の火炎球をいくつも巻きこんで、それは空中で爆散した。
その爆風をくぐり抜け、1つの火炎球が飛んでくる。
それを剣で切り裂いた。空中で割れた火炎球が破裂。小さな爆破が連続で起こった。
『おおー!』
観客席からどよめきが上がった
「魔法も使わずに防いだぞ!」
「かっこいい……!」
思わぬ展開に観客は湧いていた。黄色い声が降って来ると、フィンセントは目をつり上げる。
「貴様……! 情けをかけてやったのが間違いだったようだな」
と、激情を魔法へと変えるように――彼の掌から烈火が立ち上る。
「灰も残さぬほどに、燃やしつくしてくれる――!」
それは競技場の大半を覆うほどの、火の海だった。
+
試合場の展開に、ジーナはぞっとしていた。直視も怖くなるほどの緊迫の連続――そして、とうとうフィンセントが上級魔法を唱えた時、ジーナは真っ蒼になった。
「やめさせられないんですか!?」
と、すがるようにヴィートに尋ねる。
彼も苦しそうな表情で試合場を見つめていた。その額には汗が浮かんでいる。クレリアは泣きそうな表情で、顔を逸らしている。
その時――フィンセントの手から上級魔法が放たれた。
試合場は炎に呑まれる。その火の海にシストの姿が呑まれた。
「……そんな……」
ジーナは椅子の上でへたりこんだ。
+
観客たちが固唾を呑んで、試合を見守っている。
そんな中で、
「うあー。熱ぃ……ひげがピリピリきやがるぜ」
呑気な声を上げていたのは、ベルヴァだった。肉球を床にぺしぺしと叩きつけ、試合展開に文句を付けている。
「勝負あったな。つまんねー試合だった」
「…………待て」
と、リズが声を上げる。
「おかしいと、思わないか」
「何がだよ」
「あの男の身体能力だ。俊敏な動き、剣さばき……いや、問題はそこではない」
「ああ? 何が言いたい?」
「そもそも腕にあれだけの火傷を負って、動けること自体がおかしい……痛みでとっくに失神しておるわ。
「…………は?」
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