8 女王の『不正』


 『英雄の試練』は、フィオリトゥラ魔法学校の敷地内にある競技場で執り行われる。競技場は円形構造の闘技場のような施設だ。ルリジオンの街に古代より存在する遺跡の1つである。昔はその闘技場で魔道士たちの競技と賭け事が行われ、それによりルリジオンの街は栄えてきた。魔道士を育成するための施設が近接されるようになり、それが魔法学校の起源となっている。


 現在、フェリンガ王国では闘技場による賭け事の運営は禁止されている。しかし、学校が開催する魔法競技祭は例年、その競技場で開催され、ルリジオンの名物娯楽となっていた。


 南の地の王都からルリジオンの街までをつなぐ街道を、朝から多くの馬車が通り過ぎる。100年ぶりに開催される催事、その上、この試合によって王位継承権が定まるとあって、国民の関心は高い。

 全国の有力貴族たちはルリジオンを目指して、馬車を走らせていた。

 その中に、一際豪奢な外装の馬車があった。四方が軍馬、騎士、王宮魔道士によって固められていて、重々しい雰囲気だ。

 掲げられているのは。王室の紋章――国王アベラルド・フェリンガと、妃マファルダを乗せた馬車である。


 王家の馬車がルリジオンに到着したのは、昼過ぎのことだった。歓待を受けた後、国王夫妻は競技場の貴賓室へと通されていた。もっとも高台に作られたバルコニー型の観戦席だ。

 アベラルドは席に着くと、気難しい表情で両目を閉じる。元より口数の少ない男ではあるが、今朝からは特に無口だ。考えにふける様子で、椅子に深く寄りかかっていた。


 一方で、王妃マファルダは好奇の目を試合場へと向けていた。彼女は高揚感に頬を染め、口元をつり上げる。それを誰にも気付かれないように、扇で覆い隠していた。


(ようやく、あの出来損ないを処分する機会に恵まれました)


 もうすぐだ。彼女の悲願が叶う時が来た。その瞬間を想像し、マファルダは興奮を抑えられずにいた。横目で夫の姿を窺う。アベラルドは気難しい表情で、何を考えているのかわからない。特に第二王子シストに関わることでは、彼はいつもそんな態度をとる。

 そのことがマファルダの神経を余計に逆なでするのだった。


(陛下は最後まで、あれが誰の子なのか教えてくださらなかった……。きっとろくでもない素性の女なのでしょう。英雄王の特性をも、あの子は受け継がなかったのですから)


 魔道士は通常、力の強い方の属性を受け継ぐ。英雄王『スフィーダ・フェリンガ』の属性は「火」だった。アベラルドもフィンセントも「火」だ。それなのに、シストだけ「風」属性なのである。それが余計に、マファルダの中で「あの子だけ余所者である」という感覚を強めていた。


 マファルダが、シストを排そうと決意したのは彼が6歳の時だった。シストが王宮から離れ、市井の学校に通うことが決まった時。

 マファルダはその馬車に刺客を差し向けた。

 だが……結果は失敗に終わった。その日は天候が荒れていた。運良く落ちた落雷によって、刺客たちは意識を失った。その後、警備隊にシストが保護されたのだ。

 『第二王子は無事です』――その知らせを聞いた時、マファルダは心の底から憤った。

 何と悪運の強い子供なのだろう、と思った。


 それからというもの、マファルダはシストを怪しまれずに消す方法を考えていた。

 魔法学校でフィンセントがシストと決闘することになったという話を聞いた時、次こそはチャンスだと思った。マファルダは学校にフィンセントの護衛として、配下を忍ばせていた。彼を使って、フィンセントを誘導した。後はシストが決闘で敗れて、遺跡に向かうことになれば計画は完璧だった。付き添った教師が、シストを遺跡の中で処分してくれる手はずになっていた。


 しかし、マファルダの思惑とは裏腹に――フィンセントはシストに決闘で敗北した。その知らせを聞いた時、マファルダはショックのあまり、自室で倒れた。


 ――わたくしの子が……! あんな素性の怪しい忌み子に負けるなんて!


 決してあってはならないことだった。

 マファルダは更に憎しみにかられた。

 何としてでも、彼を排除しなくては……! その考えばかりに憑りつかれるようになっていた。


 ――次こそはしくじるものですか。この試合であれを始末するのです。


 マファルダは扇で口元を隠す。ねっとりとした笑みを湛えていた。

 マファルダは競技場に視線を配る。1人の男が通路を歩いているのが見えた。メガネをかけた冴えない容貌の男だった。


 フィオリトゥラ魔法学校の教師――デムーロ。

 マファルダは彼に1つの命令を与えていた。


『試合前に、お前はあの出来損ないに魔法をかけるのです』


 デムーロは間違いなく、マファルダのために遂行してくれるだろう。

 そうすれば、フィンセントの勝ちは確実だ。フィンセントに人殺しをさせようとまでは思っていないが、試合後に重傷を負ったシストを仕留めることは簡単だろう。怪我による衰弱死ということであれば、周囲の言い訳も立つ。


(――勝つのも、王位を継ぐのも、わたくしの子です)


 マファルダはその優越感に浸りきって、口元をつり上げていた。



 +


 閲覧席は貴族席と平民席で分かれている。

 ジークハルト・エメリアは貴族席から、平民席に目を凝らしていた。報告のあった娘の姿を頼りに、ジーナを探している。ようやく娘を見つけることができると、彼はホッと息を吐いた。失踪してから初めて見る娘の姿である。


(おお、ジーナ……。元気そうで安心した)


 ジーナのそばにはもう1人、少女の姿がある。2人は仲睦まじそうに話していた。その様子にジークハルトは目を細める。

 あの笑顔を曇らせるわけにはいかないと痛感する。


(この試合……もしフィンセント殿下が勝つことがあれば……)


 この国の行く末と、娘の将来はどうなることか。

 ジークハルトは私情を大いに交えながら今後を憂う。胸の内で『フィンセントが試合中に腹痛に襲われますように』と呪詛を唱えるのだった。



 +


「おい、人族の群れだ」


 競技場の外縁部に腹ばいになって、ベルヴァは眼下を見渡していた。その隣からはリズがひょっこりと頭を出す。縁に両手をかけて、覗きこむような姿勢だった。


「ジーナは……お、いたいた」


 と、ベルヴァが注目していたのはジーナたちだ。五感に優れている彼はすぐにその居場所を見つけることができた。飼い主を見つけた犬のように、ベルヴァは尻尾をふりふりとしている。

 一方、リズは別方向をじっと見つめていた。


「やはりあの男の正体は……」

「んー?」


 ベルヴァが訝しげにリズの視線を追う。通路を1人の男が歩いている。それはフィオリトゥラの魔法教師だった。



 +


「殿下。規定により、試合前に御身の検査をさせていただきます」


 教師デムーロは恭しく頭を下げていた。

 前に立つのはフィンセントとシストだ。2人は競技場の入り口で彼に呼び止められていた。

 デムーロが呪文を唱える。すると、2人の体は淡い光に包まれる。


「差し支えございません、お手間をとらせました」


 フィンセントは高慢そうに顔を背け、中へと入っていく。シストは彼と距離を開けて、歩き出した。

 彼らの背にデムーロは声をかける。


「……ご武運を」


 彼が礼をすると、その手首では無骨なリングがしゃらんと揺れた。

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