7 決戦当日(エリデ編)
一口食べて、これではないとわかる。フィンセントはかじりかけの菓子を置いた。
エリデがもの言いたげに見つめてくる。その視線から逃れるように顔を逸らした。
テーブルの上には様々な菓子が積まれている。しかし、どれもがフィンセントにとっては、食指をそそられなかった。
しくじったな、とフィンセントは考えていた。試合前に差し入れをしたいというエリデに、早朝、フィンセントは呼び出されていた。菓子を渡された後は、さっさとその場を去ってしまえばよかった。
しかし、エリデに「どうぞこの場で召し上がって行って」と誘われて、席についてしまったのがよくなかった。
エリデはいつものカンノーロを持ってこなかった。その代わりに様々な菓子を持ってきた――その中にはフィンセントがリクエストしたクロスタータもある。しかし、ジーナが作ってくれた物に比べると、見劣りがする見た目だった。タルトの格子模様は歪だし、ジャムも照りがなく、どろっとしている。
――とても食べたいとは思えない。
フィンセントは無言で席を立った。エリデが焦ったように声を上げる。
「フィンセント様。こちらのクロスタータはいかがです? 自信作なんですよ」
「……要らぬ」
「でも、こちらは私の手作りですわ」
「『こちらは』とは何だ」
「え……」
エリデは焦った様子で目を逸らす。
「なぜあのカンノーロと同等の菓子を持ってこない?」
「そ、それは……」
「お前が得意なのはカンノーロだけなのか? それならばカンノーロを持ってこい。あのオレンジピールの乗ったカンノーロだ!」
フィンセントとエリデが使っていたのは、一般学生も利用する中庭だった。フィンセントには個人専用の休憩スペースも与えられていたが、その場所にエリデを招き入れたくなかったのだ。
周囲には他の学生の姿もあった。フィンセントの言葉は注目を集めていた。学生たちがこちらを向いて、密やかな声で呟く。
「カンノーロって……あの幻のカンノーロのこと……?」
「しっ、口を挟むなよ……!」
小さな声だったが、カンノーロという響きに敏感になっているフィンセントは聞きもらさなかった。
「……お前たち。幻のカンノーロとは何だ」
突然、フィンセントに声をかけられて、下級貴族たちは怯えた様子を見せる。
「ひっ……殿下……。オレンジピールの乗ったカンノーロとは……チョコレートがコーティングされ、クリームの詰まった物のことではないかと……」
「まさしくそれだ。お前たちも知っているのか」
「恐れながら、それは食堂で販売されているカンノーロではないでしょうか」
「食堂で売られている……!?」
「あ……その……はい……。1つ50リラで……」
「50リラだと!?」
フィンセントは驚愕して、エリデを見る。エリデの顔がどんどんと青ざめていく。その反応がすべてだった。
フィンセントは、怒りに任せてテーブルに拳を叩きつける。
「お前はたったの50リラで売られているような安物を、自分の手作りだと偽って私に持って来ていたのか!?」
「ちがいますわ、フィンセント様! 騙そうと思ったわけではありません! 私はフィンセント様を好いているからこそ、嘘をついてしまったの……!」
みっともなく弁解を始める女を、フィンセントは心の底から鬱陶しく思った。
「私の婚約者は、ジーナ・エメリアだ! 私は彼女と婚姻するのだ! お前のような身分も、容姿も、ジーナに劣っている女を娶るはずがないだろう」
「では、料理は……!? フィンセント様は、ジーナが料理下手だとおっしゃっていたではないですか」
フィンセントは何も言えなくなって、ぐっと口を噛みしめる。
「フィンセント様……なぜお黙りになられるのですか」
「お前が作った菓子など要らぬ。二度と私に近付くな。あのカンノーロも、次からは自分で買い付ける」
「フィンセント様……!?」
冷たく吐き捨てると、フィンセントはその場を立ち去った。
(そうか。私が間違っていた。私の女はジーナだけだ)
フィンセントは初めて自分の行いを悔いた。ジーナが行方をくらました理由がようやくわかった。フィンセントがエリデのような卑しい女と交流していたから……それでジーナはヤキモチを焼いたにちがいない。もしジーナに会えたら、その点は謝罪しなくては、とフィンセントは考えていた。そして、これからはジーナだけを愛すると誓うのだ。
そうすればジーナは感激して、フィンセントにまたたくさん菓子を貢いでくれるにちがいない。フィンセントはそれを「まずいな」と言いながら完食し、愛を告げるのだ。
(ああ、ジーナの菓子が恋しい)
フィンセントはジーナの作ってきた菓子を思い出す。
すると、それに付随するように、あのカンノーロの味が思い起こされた。食堂で売っているというカンノーロ。あれは夢のように美味しかった。全身に染み渡るような美味――それこそがフィンセントが求めている料理だった。
いったい誰が作っているのだろう。
後で食堂に問いたださなくては、とフィンセントは思っていた。
(その菓子を作った者を、私専属の調理人にしてやろう)
もちろん、今日の決闘でシストを打ちのめした後で、だ。
フィンセントは気付いていなかった。
自分が去った後、他の学生たちが怪訝な顔で囁き合っていたことを。
「フィンセント殿下……エリデ嬢の手作り菓子が口に合わなかったようだけど」
「殿下は婚約者のエメリア様の料理にも文句を付けていらしたわよね……」
「もしかして、殿下の食の好みが気難しいだけなのではないだろうか」
「そうだとすると、エメリア様の料理が下手だと、散々、吹聴していたのは……?」
彼らは疑惑の眼差しを、フィンセントが去っていった方角へと向ける。
+
――エリデが食堂のカンノーロを自分の物だと偽って、フィンセントに渡していたという話は、数日後には学校中に広まっていた。
上級貴族の令嬢からエリデは目を付けられ、激しく責められた。エリデは自分を慕っていた令息たちに助けを求める。しかし、そちらからも「自分たちが必死で手に入れたカンノーロを殿下に貢いでいたとはどういうことだ!」と、詰め寄られるはめになるのだった。
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