6 決戦当日(ジーナ編)


 1週間は瞬く間に過ぎた。

 『英雄の試練』が開催される当日――


 ジーナはいつもよりも早い時間に起床していた。お仕着せ服をまとって、髪を丁寧に編みこんでまとめる。朝から胸がドキドキとして落ち着かない。今日の試合のことを考えると、自分が出場するわけでもないのに、不安に押しつぶされそうだった。


(私にできることは、お料理をすることくらい……)


 ジーナは食堂に向かうと、お菓子を作り始める。バターと砂糖を混ぜ、卵をくわえる。生地を作りながら、ジーナは願っていた。


(シスト様が勝つと信じています)


 その生地を平らに引き延ばす。

 花の型で1つずつ、丁寧に抜いていった。


(……どうか、シスト様が怪我をしませんように)


 できたクッキーを並べて、オーブンに入れる。橙色に染まるオーブンを見つめながら、ジーナは胸元をそっと抱いた。

 ジーナがその日作ったのはカネストレッリだ。前回の魔法決闘の時にも差し入れたのと同じ物。

 もっと手のこんだ菓子の方がいいかとも考えたが、なぜかこの菓子が一番に頭に浮かんだ。ジーナが菓子作りを好きになれた、思い出の品。シストも好物だと言っていた。前回の決闘でこれを渡して、フィンセントに勝てたこともあり、勝利の願いをこめるのにも相応しい菓子のように思えた。


 クッキーを1枚ずつ、袋に詰めてラッピングする。それを携えて、ジーナは食堂を後にした。

 シストと待ち合わせをしていたのは、いつも昼食の場として使っている中庭だった。ジーナが到着すると、ちょうど向かいの通路からシストがやって来るのが見えた。


「シスト様。おはようございます。こちら、差し入れです」


 と、ジーナはその包みを差し出す。本当は不安でたまらなかったけど、ここで悲しげな顔をするよりは、とジーナはほほ笑んでみせた。


「シスト様がお怪我をされないようにと願いをこめました」


 シストは目を見張って、ジーナの顔を見ている。何も反応がない。

 何かおかしかっただろうか、とジーナが焦った直後。

 シストは菓子の包みに手を伸ばす。ジーナの両手ごと包みこんだ。


 え……!? と、慌てるジーナ。触れ合った手がカッと熱くなる。

 すると、シストもハッとして、


「すまない。今朝は少し緊張して……」


 と、目を逸らされる。でも、なぜか手を離してくれない。

 ジーナはドキドキと鳴る胸を必死で抑えようとしていた。


(そ、そう……。さすがのシスト様もこれだけの大舞台ともなれば、緊張をするのね)


 と、シストの行動に理由を付けて、自分に言い聞かせようとした。

 落ち着かずにあちこちに散った視線。意を決して、シストの方を向く。彼は柔らかい笑みを湛えていた。


「だが、可愛すぎて癒された。ありがとう」

「え……」


 ようやく手が離れる。シストは菓子を受けとって、それを眺めている。

 だが、ジーナの手に宿った熱は、なかなか引いてくれなかった。


(可愛いって……、あ、ら、ラッピングの話……?)


 と、またもや自分を納得させ、ジーナは自分の手を胸元で握る。


「まだ時間に余裕がある。少し話していかないか」

「は……はい」


 シストに促されて、ジーナはガゼボの椅子に腰かけた。まだ手の指に熱がこもっているような感覚に、ジーナは膝の上で指先をそわそわとさせる。


「俺の魔力は昔から何をしても増やすことはできなくて……。前の決闘もフィンセントに勝てるとは、自分でも思っていなかった。すべてジーナと、ジーナの料理のおかげだ。ありがとう」


 ジーナは落ち着きなくさ迷っていた指先を、きゅっと握る。


「私の方こそ、シスト様に感謝しています。私……自分の作る料理が美味しいと思えなくなっていました。どんな料理を作っても、『美味しくない』と言われてしまって……」

「何だ、そいつは!? 舌か頭がおかしいんじゃないのか?」


 想像以上に激しい反応がきて、ジーナは目を見開く。肩の力が抜けた。小さく笑って、ジーナは話を続ける。


「だから、シスト様が『美味しい』と仰ってくれたこと……とても嬉しかったです」

「当たり前のことを言っているだけだ」


 それから何かを思い出したように、口元に手をやる。


「そういえば……フィンセントが婚約者の料理に文句をつけていたと聞いたことがある」


 それはまさにジーナのことだった。

 ジーナは何も言えずに固まった。


「フィンセントも、お前の料理を悪く言った奴も、おかしな奴だ。お前の料理が美味くないはずがない。……ジーナ・エメリアの料理だって……最近のものは俺も知らないが、きっと」


 その言葉に引っ掛かりを覚えて、ジーナは首を傾げる。その口ぶりだとシストがジーナ・エメリアの料理を食べたことがある、というように聞こえる。しかし、公爵令嬢だった時、シストに料理を振る舞った記憶はジーナにはない。


(それに最近のものはわからないって……もっと昔ってこと……? そんなこと、あったかな……)


 更にシストの口調と面持ちに、ジーナは驚いていた。まるでジーナのことを慈しんで――そして、彼女への不当な扱いに傷ついているかのような。そんな態度だった。

 どうして? と、ジーナは思う。

 シストはジーナ・エメリアのことを嫌っているはずだった。だから、彼女に寄り添うような態度は違和感がある。


「フィンセントのことは、エメリア嬢の件でも腹が立っていた。前回の決闘も、今回の件も、あいつを堂々と殴れるいい機会だ」

「シスト様は、……えっと、エメリアさま、のことを嫌っていらっしゃったのでは?」

「なっ……そんなわけ……!」


 シストは目を見開いて、否定する。それから気まずそうに目を逸らした。


「彼女に俺は、命を救われたことがある」

「…………え?」


 シストはジーナが渡した菓子を手にとる。そして、懐かしそうに目を細めた。


「カネストレッリか。俺がこれを好きになったのも、その時のことがきっかけなんだ」


 カネストレッリ。

 嬉しそうに綻んだ笑顔。『美味しい』の言葉。

 それを見つめるシストと――あの時の少年の姿が、ジーナの中で重なる。


(あ……)


 その時、ジーナは気付いた。




 シストは試合の準備のために、先にその場を去った。残されたジーナはまだ1人、ガゼボの椅子に腰かけていた。頭の中がぼうっとしている。


(シスト様が……あの時の男の子だったんだ……)


 ジーナが菓子作りを好きになれたきっかけ。美味しそうに自分の菓子を食べてくれた男の子。

 思い返してみれば、髪の色と目の色が似ている。

 あの時の男の子がシストだと、ジーナは今まで気付かなかった。

 というのも、


(今と雰囲気が全然、ちがうから……)


 あの時の男の子は泣いていた。悲しそうな面持ちと、弱々しい雰囲気の男の子だった。体も小さくて、自分よりもっと年下なのかなと思ったくらいだった。


(シスト様はあの時のこと、ずっと覚えていてくださったんだ)


 ジーナ・エメリアのことを嫌ってなんていなかった。それどころか、ジーナの気持ちに寄り添ってくれていた。

 それは全身がじんわりとした温もりに浸るほど、嬉しいことだった。ジーナはぼうっとなって、自分の指先を見つめる。


(でも……命を救われたっていうのは、どういうこと?)


 そんなことをした記憶はジーナにはなかった。

 そこだけが腑に落ちずに、ジーナは首をひねる。

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